二段ベッドの上はテレパシーが通じない
コバルトの短編賞に一年位前応募したものです。小説家になろう初投稿作品なので、見難かったところなどがあると思います。広い心で読んでください。
私、三條小夏と姉の大夏は常に一緒にいた。一卵性双生児で、生まれたときから今まで、片時も離れたことがないといっても過言ではない。
自然に囲まれた田舎町に住んでいる私たちは、毎日のように裏山に行き川遊びやターザンごっこをした。不思議なくらい仲がよく、隠し事は何もなかったし、大夏ちゃんの考えていることは手に取るようにわかる。大夏ちゃんもまた、私の考えていることをすべて察しているようだった。私たちの記憶と感情は完全にリンクしている。双子テレパシーだ。そんな私たちの関係は中学2年生になった今でも続いており、これからも変わることはないと、そう思っていた。
大夏ちゃんと仲が良い一方で、他人と話すのは少し苦手な私に彼氏が出来たのは、中学2年生の夏休み前、最後の授業の日だった。
その日の休み時間。教室で、いつものように大夏ちゃんと一緒にいた私に話しかけてきたのは、クラスメイトの高瀬冬貴君だった。クラスメイトといっても私の中学校は小さく、各学年1クラスしかないので、同じ学年の子はみなクラスメイトだ。
高瀬君は生徒数が少ないことを差し引いても、とても目立つ少年だ。野球部のエースで4番。上級生には高瀬君が評価されていることに不満を抱いている人もいるみたいだけど、下級生にはすごく信頼されていて、監督からの評価も厚い。そんな輝かしいヒトが、双子の片割れってこと以外特徴がない私に話しかけてきてくれたのは、単純に嬉しかった。
「三條さん」
「なに?」
「なに?」
同時に声を出したのは同じ三條さんである姉の大夏ちゃんだ。私と大夏ちゃんは顔を見合わせてクスリと笑った。
「あ、そっか。えーっと、小夏さんのほうなんだけど、今から少し二人で話せないかな?」
そういって高瀬君はにっこり微笑む。高瀬君は同じ中学二年生なのに、その動作はすごく大人っぽくて素敵だった。私はその微笑に少し見とれてしまって、大夏ちゃんの「小夏?」と呼ぶ声にドキッとして、ビクッとなった。
「な、なにかな、高瀬君?トイレの場所なら廊下に出て右にまっすぐ行ったところが男性用トイレだよ。職員室なら、一階に降りて右に曲がってまっすぐ行った突き当たりにあるよっ」
少し間が空いて自分がなにを言ったのか振り返ってみて、顔が熱くなるのを感じる。同じ学校の生徒になにを言っているんだ、私は。
「トイレにも職員室にも用はないよ、今は君に用があるんだ。ちょっときてくれない?」
彼のそのキラキラした笑顔に、私の顔から出ていた火はさらに強さを増した。私の頭に気球がついていたなら、ぐんぐん高度を上げ、ぱちんと破裂することだろう。そんな私を大夏ちゃんは少しおかしそうに、少し心配そうに見ている。もしかしたら気球のくだりを大夏ちゃんも双子テレパシーで感じ取って、クスクスと笑っているのかもしれない。
「う、うん。行く」私が答えると、高瀬君は嬉しそうに笑って、私の手をとり教室から連れ出した。教室に残っていた生徒は休み時間の半ばだったので、それほど多くはなかったけれど、残っていた生徒はやはり気になるらしく、ちらちらと視線を向けられているのを背中で感じた。田舎の中学生にとって、こういった色恋沙汰は数少ない娯楽の一つなのである。
校庭の隅っこにある花壇の近くにあるベンチにつくと、高瀬君は私に座るように促し、その隣に高瀬君も腰を下ろした。
ベンチはそんなに小さくなにのに肩が触れそうなほど近くに座る高瀬君に、私のどんどんその速さを増す心臓の音が聞こえないか、すこし心配だった。ベンチの右隣にある大きな桜の木の青々とした葉が私たちを日差しから守ってくれていたが、それでも夏の暑さに、私の額に汗がつたう。暑さと沈黙に耐え切れず、私は口を開いた。
「それで、用ってなに?」
私が尋ねるとそれまでよどみなかった高瀬君が少し躊躇う様子を見せてから話し始めた。
「オレさ、三條さんのことが、小夏さんのことが好きだ。ずっと好きだった。これからもずっと好きだと思う。だから……、だから!オレと付き合ってほしい!」
「無理です!」
私は間髪いれずに大きな声で叫ぶ。私の今まで生きてきた中で最高の反射神経を見せたと思う。
「な、なんで私を好きになったの?お母さんもお父さんも、大夏ちゃんと私を前髪の流す向きで判断しているから、お風呂上りには見分けがつかないほど同じ顔だし、思考回路も考えることも、今まで経験したことも、癖も、なにもかも一緒で、それなのになんで私なの?私を好きになったならきっと大夏ちゃんのことも好きになっちゃうよ!」
叫ぶように、さっきの言葉を打ち消すようにひといきでいう。
「……去年の地区大会の会場でいちばんおおきな声で応援してくれていたのは君だよ。オレが甘い球投げたせいで逆転されて、観客席からため息ばかり聞こえる中で君だけがずっと応援してくれていた。そんな小夏さんが好きになったんだ。俺が好きになったのは大夏さんじゃなくて君なんだよ」
私の目をしっかり見て、すこし恥ずかしそうに、でも今まで見た中で1番の笑顔で彼は私に言う。
私と大夏ちゃんはとてもよく似ている。そのせいか、私たちに対し人が抱く感情はいつも一緒だ。私と気が合う人は、大夏ちゃんともすぐに仲良くなる。私だけを好きといってくれる人は初めてだった。
頭の中で音楽がなる。ファンファーレだ。恋に落ちる音だ。好きになってしまった。
それからの私の毎日は、高瀬君を中心に廻っていった。夏休みに入ると、隣町に映画を見に行った。あまり面白い映画じゃなかったけれど、俳優がカッコよくって、それを高瀬君に言うと少しむくれた顔をした。私はそれがうれしかったのと可笑しかったのとで笑ってしまった。
プールには大夏ちゃんと3人で行った。この日のために大夏ちゃんとお母さんにおねだりしておそろいの水着を買ってもらったのだ。ホントはもう1人、冬貴君(付き合ってからは高瀬君じゃなくて冬貴君と呼ぶようになった)の野球部の友達と4人で行くつもりだったんだけれど、その人が夏風邪を引いちゃって結局3人で行くことになった。途中までは大夏ちゃんも楽しそうにしてたんだけどやっぱり気を使ったのか、途中から「私、向こうの25メートルプールで泳いでくるっ」といって二人にしてくれた。クロールだってまともに出来ないのにそういってくれたことが、嬉しかった反面、自分の半分がふらふらとどこかへ行ってしまうような感覚に不安も覚えた。その不安が心の片隅でどんどん大きさを増す。お母さんが、デートなんだからと言って薄く施してくれたメイクが落ちるのが嫌で水に顔をつけていなかったのに、溺れたように息苦しくなる。冬貴君に告白されたときとすこし似ていてぜんぜん違うような息苦しさだ。
プールに行った日の夜、ベッドに入ってから、まだ大夏ちゃんが起きている気配を感じ、私は大夏ちゃんと話すことにした。大夏ちゃんと私は同じ部屋の二段ベッドで寝ている。私が上で大夏ちゃんが下だ。ホントは大夏ちゃんも上がよかったんだけど、おねえちゃんなんだから我慢しなさいとお父さんに言われ、しぶしぶながら、私に譲ってくれたのだった。
「ねえ、大夏ちゃん」
「ねえ、小夏」
私たちは同時に声を発する。こんなことは珍しいことじゃなくて、二人とも話したいことがあるときはよくあることだ。こんなときやっぱり私たちは双子なんだなーと考える。
「小夏から話していいよ」
二段ベッドの上を譲ってくれたように、いつも大夏ちゃんは私に話を譲ってくれる。その優しさに、私はいつも甘えていた。
「大夏ちゃん。わたし冬貴君のことが好き」
「うん」
顔は見えないけどいつものテレパシーで動揺しているのがわかる。きっと自分の片側がふわふわとどっかに行ってしまう感覚を強く感じているのは、私よりも大夏ちゃんのほうなのだろう。そんな当たり前のことに今更気づいた私は罪悪感を胸に抱きながらも続ける。
「でもね、大夏ちゃんのほうが大事なの。冬貴君も大切だけど、大夏ちゃんのほうがもっと大切なんだよ」
「……うん」
「だからこれからも一緒。ずっとだよ?」
「わかってる」
その言葉を聞いて、大夏ちゃんの心がほぐれるのがわかった。私の心もほぐれた。
「私の話はそれだけ。大夏ちゃんの話は?」
すこし何かを考えるような沈黙の後「旅行の話」という小さな声が聞こえた。
「双子旅行の話だよ。今年も行かない?川の近くのキャンプ場でキャンプしようよ」
三條家では二年前から、夏休みに双子旅行をする。去年は箱根で、一昨年は伊豆のおばあちゃんちだった。お父さんとお母さんが毎回送迎と、必要な手続きだけしてくれる。これも教育の一環だ、とかいっていたけれど、ホントは「親」という役割から逃れられる時間が少しでもほしいのだろう。
「いきたい!」
「よかった。楽しみだね」
「うん」
今年はキャンプ場か。今からすごく楽しみだ。
「じゃ、おやすみ小夏」
「おやすみ」
私は深い眠りについた。
私は水の底に体を強く打ちつけた。川の流れの中で、何回も大きな岩に頭を打ち付る。視界の隅に同じように流されていく大夏ちゃんの姿が見え、必死に手を伸ばすけれど、水の中では大夏ちゃんが近くにいるのか遠くにいるのかもわからない。それでも懸命に手を伸ばし、指の先がこの前プールにも着て行ったおそろいの水着に触れようとしたとき、誰かの手が私の手を掴み引き上げた。
大夏ちゃんを助けられなかった。
その絶望を胸に、私は深い眠りにつく。
……まさかこの台詞を口に出すときがくるとは思わなかった。「ここはどこ?わたしはだれ?」
ゆっくり目を開けるとそこは真っ白な部屋。きっと病院だ。こういうときの定番だし……。
体を起こそうとしたところで、部屋の扉がガラガラという音を立て横滑りした。
「小夏?」
「……高瀬君?」
「よかった!」彼は泣きながら私に駆け寄って抱きしめてくれた。その涙につられ、事情もまだよくわかってないのに私も涙を流す。腕の中は暖かかった。
「川で溺れたって聞いたよ。溺れているのをキャンプ場の管理人さんが見つけて、二人を助けたんだって。小夏が助かってほんとによかった。二週間以上寝ていたんだ。夏休みも今日で終わる」
その話しを聞き私はゆっくりと思い出していった。次にプールに行ったときちゃんと泳げるようにと、川でクロールの練習を二人でやっていたのだが、私が川に流されたのを大夏ちゃんが助けようとして、結局二人とも溺れてしまったのだ。
「そうだ!大夏は?!」
「そ、それは……。まだ、目が覚めてないんだ。頭を強く打っていたみたい。もしかしたらこれからも目を覚まさないかもしれないって君のご両親から伺ったよ。隣のベッド、カーテンの向こうだ。」
私は急いでカーテンをずらす。
そこにいたのはたくさんの管と機械につながれた、もう一人の私の姿だった。さっきとは違う涙があふれてきた。ベッドの名札を見ると「三條」と苗字だけが書かれていた。きっと身分証明書を見てもお医者さんは見分けがつかなかったのだろう。あの名札が「三條小夏」だったのかもしれないと考え、ぞっとする。その一方で、どこかほっとしている私を心の片隅に見つけ、自己嫌悪に陥った。
私の怪我はどれも軽傷で、すぐに退院できることになった。しかし、大夏は管や機械ははずされたものの、なかなか目を覚まさなかった。大夏のような人たちを遷延性意識障害者というらしい。脳幹という生きるために必要な部分は傷がついていないから、自分で呼吸もするし、栄養を与えられれば、ずっと生きていられる。しかし病院にとっては、手間はかかるが、治療として出来ることは少ないので料金をあまり取れず、邪魔者のように扱われてしまう。
そこで私の退院を機に、大夏も自宅療養に切り替わることになった。
学校では好奇心と哀れみを含んだ視線にさらされる。私たちが入院している間に席替えがあったようで私たちの席は一番前の廊下側二席という人気のない席を割り当てられていた。
放課後になると、高瀬君は野球部の練習をサボって私を家まで送ってくれる。その間、ずっと手をつないでいたけど、あまりドキドキしなかったのは、きっと今も寝たままの大夏が気になっているからだ。そう頭の片隅でわかってはいるけれど、彼への気持ちをあの川底に忘れてきたような気持ちがして、恐怖を感じる。私は彼が嫌いになってしまったのだろうか。
「最近、冬貴君って呼んでくれないよな」
彼のその言葉に私は驚く。
「そ、そうだっけ?」
「そうだよ。付き合ってからは冬貴君って呼んでくれてたのに、あの事故の後から高瀬君って俺のことを呼んでいる。付き合う前に戻ったみたいだ」
私は何もいえなかった。特に意識して冬貴君と呼ぶのを避けていたわけではなかったのだ。だからなにも言い訳出来ない。私が黙っていると高瀬君はため息をついて、すこし歩を速めた。私の歩幅ではすこしつらいペースだったけれど、彼から離れたら彼への思いを本当に忘れてしまうんじゃないかという不安に背中を押され、必死に彼の後を追った。
家に帰ってからはずっと大夏と一緒にいる。大夏は自分で寝返りを打つことが出来ないので、床ずれがおきないように態勢を何度も変えてあげなくてはならない。大夏は二段ベッドの下の段にいるのだけれど、私が態勢を変えてあげようと下の段に入ると、とても窮屈だった。夜寝るとき、二段ベッドの上の段は、起き上がると天井が近くて何度も頭を打った。事故の前はどうして平気だったんだっけ?
そんなことを考えていると、いつのまにか、私の記憶があの川で流されてしまったのではないか、という馬鹿な考えが頭を埋め尽くした。
大夏にはあの事故の日から、毎日その日にあった出来事を話すようにしている。席が勝手に替えられていたこと。お弁当がおいしかったこと。音楽の時間に新しく習った曲が車のコマーシャルで使われている曲で、クラスメイト達が盛り上がっていたこと。冬貴君と一緒に帰ったこと。さっきお風呂から出て、気がついたら大夏と一緒の前髪の分け方にしてしまっていて、それを見たお母さんが泣いたこと。
私にとってかけがえのない存在が、この世界に戻ってこないというのに、私の周囲の世界は刻々と変化していて、私と大夏だけがあの夏の川底に閉じ込められている。
大夏に話しかけるたびに、そのことを実感し涙があふれそうになる。それでも大夏がぬれてしまわぬように涙を必死に堪えた。
雷鳴が轟く。雨はまだ降っていないし、風もそんなに強くないのに、雷が空を破っているような音だけが妙にはっきりと聞こえた。
「今日も送るよ、小夏ちゃん。雷すごいし」
「ありがとう。たか、冬貴君」
あわてて言い直す。
「久しぶりに名前でよんでくれたね」
嬉しそうにはにかんで、私の手をつかんで教室からでる。
外に出ると、やはり雨はまだ降っていなかったけれど、今にも降りだしそうな雲行きだった。空は黒々としていて、この季節にしてはすこし肌寒い。
「いつも送ってくれてありがとう」
私はお礼を言うのがなんだか恥ずかしくて、すこしうつむきながら言う。
「いいんだ。つらい時期だろうし、それに俺が一緒に居たいだけなんだ」
「でも、部活サボってばっかりで顧問の先生に注意されないの?エースで4番なんでしょ?」
「そりゃ最初のうちはされていたけど、事情をちゃんと話したらそんなに強く言われなくなったよ。うちの顧問そういう話に弱いみたい。まあ、それでも5番バッターに格下げされちゃったけどね。それに今日はこの天気だから部活は休みだよ」
「5番のほうが下なの?私、野球のことはよくわからないの」
「あんなに応援してくれていたのに?だから君のこと好きになったんだよ」
「え?」
「あれ?覚えてない?告白したときにも言っただろ?」
「……」
告白されたとき……。
私はなんと言われて彼と付き合うことになったんだっけ?
そう考えているうちに、私の家につき私たちは足を止める。
「ねぇ、もしかして思い出せないの?それってあの事故の影響なのかな?」
その言葉であの川に私が沈んでいた記憶がフラッシュバックする。汗が吹き出て、寒さとは関係なく体が小刻みに震えてくる。雨がポツリと頬に落ちた。
「わからない……。わからないよっ!」
そう言って家に駆け出そうとすると、高瀬君に腕をつかまれると同時に引き寄せられ、ぎゅっと抱きしめられる。雨はどんどん強くなり髪は濡れてワカメみたいに顔にこびりついた。
「どんなになってもオレは小夏が好きだから。それに小夏が忘れたこともオレが覚えているよ」
そういって彼の唇が私の唇にそっと触れる。
その瞬間、私の体は電撃が走ったように固まり、頭の中で何かが崩れ落ちるような音がした。
「やめて!」
私は身を捩って彼の腕から逃れ、両手で彼を突き飛ばし、今度こそ家の中へと飛び込む。
私は、私は、彼のことが好きじゃない!大夏!大夏に会いたい!いつもみたいに伝えなきゃ!
心の中で大夏に呼びかけながら、私は階段を一段飛ばしで駆け上がる。
私は深い眠りから覚めようとしていた。随分長い間眠っていたような気がする。体は妙に冷え、重く、動かそうとするとギシギシと軋んでいるのがわかる。遠くに雷鳴が聞こえる。
ゆっくりと目を開けると、そこは私たちの部屋の二段ベッドの下の段だった。私はクスリと笑う。こういう時って真っ白な部屋にいて、「ここは……病院?」とか言うものじゃないのかな?
そんなことを考えていると、玄関のドアが乱暴に開かれるような音がして、階段を誰かが駆け上がってくるのがわかった。この跳ねるような足音は間違いない。もう一人の私だ。一番大切なあの人だ。双子テレパシーで私が起きたのがわかったのかな?
ドアが開かれ、部屋に濡れた女の子が飛び込んでくる。やはり髪がぬれていて前髪が顔にくっついていると、私たちでも見分けがつかないほど瓜二つだ。
肩で息をしている彼女に向かって、私は少し掠れた声でゆっくりと語りかける。
「おはよう。大夏ちゃん」
「おはよう。大夏ちゃん」
私はその声を聞いて、体が完全に動かなくなった。その反面思考だけは止まらない。
いま、もう一人の私はなんていったんだ?
だって、だってそんなのありえるわけない!私が大夏だなんて!
感情は否定しても、私の片隅に残っていた冷たい理性はそれを肯定する。
事故から目覚めた直後私の記憶と思考は確かに混乱していた。自分が誰かもわからないほどに。そして。
だれも、私が誰かなんてわかるはずがない。なぜなら私たちは川で溺れたから。両親ですら、前髪の流す向きで判断しているから、お風呂上りには見分けがつかないほど同じ顔なのだ。川で溺れて髪もビショビショになった私たちを見分けることが出来る人なんているはずがないのだ。現にベッドに張られた名札には名字しか書かれていなかったではないか。二週間も寝ていたのだから当然両親も私たちを見に来ているのに。
私は記憶と思考が混乱していた。周囲は認識が混乱していた。
病室に入ってきた高瀬君が、私を小夏と呼び抱きしめたのは、彼の願望もあったのだろう。そしてその願望は、私に、私が小夏であることを刷り込んだ。
私と小夏は生まれたときから、片時も離れたことがないといっても過言ではない。不思議なくらい仲がよく、隠し事は何もなかったし、小夏の考えていることが手に取るようにわかった。小夏もまた、私の考えていることをすべて察しているようだった。私たちの記憶と感情は完全にリンクしている。
だから。
私は大夏であり、小夏でもあった。自分が大夏か小夏かわからなくなるほどに。
しかしその関係は、夏休み前日の休み時間までだ。小夏は高瀬君に連れられ、私から離れていった。そこで受けた告白と小夏が抱いた彼への思いは小夏だけのものだ。私は共有できていない。
だから高瀬君を冬貴君と呼ぶことをできなかったし、彼からの思いにこたえることも出来なかった。
私も小夏と同じように今まで目が覚めていなかったのだ。
大夏ちゃんが私にこれまでのことを話してくれているのを、私は目と口を大きく開けながら聞いていた。お陰でのどがすごく乾燥してヒリヒリする。それでも頑張って、話し終わった大夏ちゃんに今度は私から話しかける。
「大夏ちゃん、私、眠っている間夢を見ていた。あの川で私が助かって、大夏ちゃんが消えちゃう夢。私ね、大夏ちゃんに手を伸ばして助けようとしたんだけど、もう少しで触れそうになったときに誰かに手をつかまれて引き上げられたんだ。だからきっと、その大夏ちゃんを助けられなかった、って思いが大夏ちゃんが消えちゃうなんて夢を見せたんだと、そう思ってたよ。
でも、違った。私が目を覚まさなければ大夏ちゃんはあの川で消えていたんだね。大夏ちゃんは消えて、冬貴君が好きな私と、冬貴君を好きじゃないもうひとりの私が残ったんだね。
それはすごく悲しいことだ」
私が一筋の涙を流すと、つられたように大夏ちゃんも涙を流す。双子テレパシーだ。そして大夏ちゃんは何かに気づいたように「あっ!」と声を上げた。
「明日高瀬君に謝らなくちゃ。私さっきひどいことを言った」
「あっ!」
今度は私が大きな声を上げる。
「冬貴君とのはじめてのキス取られた!」
私たちは、お互いの顔を見て大きな声で笑った。
「また、こんなことがあったらどうしようか?」
大夏ちゃんが言う。
「小夏が好きになったんだから、私も高瀬君のことを好きになるかもしれない。そうしたら高瀬君を好きなほうが小夏っていう見分け方は出来なくなっちゃうよ」
心配そうに私の顔を覗き込む大夏ちゃんに、私は余裕を持って答える。
「そんなの簡単だよ」
大夏ちゃんはほんとにわからないのかな?
私は大夏ちゃんの頭をさすってあげた。頭のてっぺんには大きなたんこぶがある。二段ベッドの上の段に初めて寝たから頭を何度も打ったのだろう。二段目は天井にとても近いのだ。
「二段ベッドの上の段に寝て、たんこぶが出来ないのが私だよ」
最後まで読んでくださりありがとうございます。感想などがございましたらぜひ。