微笑む男
「で、連れの子はどうしたの? オリーブ……って言ったかしら。一緒にいないのね?」
不審感を少なからず滲ませたアンネの声にステラは微かに顔をしかめた。だが彼女はあくまで淡々とした口調を崩さなかった。
「オリーブは街外れの小屋で潜伏して貰っています。この街で調査する間、安全に出入り出来る部屋と退路を確保しておきたかったので」
「思考回路が完全に特殊部隊ね……。別に鎖国してる訳じゃないし、普通の格好でいれば誰も……」
アンネが言いかけたその時だった。
「今は外をうろつかない方が良い気がする」
メアリーは唐突に口を挟んだ。その意味深長な言い方が妙に気にかかり、アンネは訝しげにメアリーの方へ振り向いた。ステラもついと顔を上げた。
「どういう意味? メアリー」
「最近変な病気が流行ってるらしくて、余所者への警戒が強くなってるんだよ。外から妙な病原菌が持ち込まれたんだって噂がたってて」
「そうだ、それを聞きたかったのよ。メアリー、その病気の事で知ってる事ないの? ずっと街にいたん……」
――ビッ、ビッ、ビーッ
やや粗野な印象を受けるインターホンの鳴り方に話の腰を折られ、アンネは露骨に嫌な顔をした。そもそも今は人が訪ねて来るような時間ではない筈だ。非常識な来客など箒で叩き返してやろうとアンネは立ち上がりかけた。しかしそれはメアリーが肩を掴んだ事でキャンセルされた。
「待って姉ちゃん‼︎ 外へ出ないで‼︎」
メアリーの青い顔は尋常ではない悪い事態だという事を匂わせていた。だが何故そんな顔をするのか、アンネにはわからなかった。
戸惑うアンネと状況を飲み込めていないステラを前に、メアリーはその場でうろたえた。
「まずい……‼︎ えぇっと、レーザートラップは再起動に時間かかるし……あぁ面倒だっ‼︎ 二人とも隠れて‼︎」
「どうしたんですか?」
「説明は後々‼︎ 早く部屋に‼︎」
「ちょっと、私まで⁉︎」
メアリーは二人を強引に物置部屋へ連れ込み、画材道具を除いて床に散らばった雑貨類ごと二人を押し込むと扉を閉めてしまった。部屋の電気は切れており、二人は暗い部屋の中でガラクタの海に佇むしかなかった。
「御友人と約束でもしていたんでしょうか?」
「それにしたって貴女はともかく、私まで隠そうとするのは変よ。今は聞き耳を立てて大人しく待ちましょう」
ステラの問いにアンネはドアにぴったり耳をつけながら言った。
*
「やぁ鈴蘭の姫、トラップの電源が落ちているようだから勝手に上がらせて貰ったよ。元気にしてたかな?」
来訪者の声がメアリーに届いたのは、キッチンの脇で絵を描いていたようにセッティングし終えた直後だった。メアリーが振り向くと、予想通りの男が一人、入り口の扉の前に立っていた。男の爽やかな微笑みがメアリーには酷く癪に障った。
「暗証番号を教えた覚えはないけれど」
「君のパスワード設定は雑じゃないか。幾つか覚えていたのを試したら直ぐ開いたよ」
朗らかな男の返答に思わず舌打ちしそうになり、メアリーはさっと顔を背けた。描きかけの絵を見つめながら彼女は尋ねた。
「こんな時間に突然やって来て、何の用? ジルベール兄さん。絵の依頼以外は受け付けないって言った筈だけど」
「姫は今日もつれないね。けれどその孤高な姿は『谷間の姫百合』の二つ名に相応しいよ」
「……ジル兄はよく次々と歯の浮くような台詞を思いつくね。凄いよほんと」
ジルベールと呼ばれた男はメアリーの皮肉にも笑みを崩さなかった。顔に貼り付けたようなその微笑みがメアリーには不愉快だった。しかしそれを知ってか知らずか、ジルベールはメアリーへつかつかと歩み寄りながら言った。
「今日はアンに頼みがあって来たんだよ。アンの居場所を教えてくれないかい? 姫」
「姉貴なら此処にはいない。だから帰ってくれる?」
「……おかしいな、ルーイが昨日街外れでアンを見かけたって言ってたぜ?」
ジルベールの声に僅かな鋭さが混じった事に気付いたメアリーは警戒心を漲らせ振り返った。ジルベールは周囲を見回しながらメアリーのすぐ目の前まで迫っていた。
「それにこの部屋、いつもより片付いているように見える。帰って来たんだろう? アンの奴が」
メアリーの鼻先まで顔を近づけるジルベールをきっと睨み上げ、メアリーはじりじり後ずさった。踵が壁に突き当たり一瞬怯んだが、それを顔には出さなかった。
「……一度はね。でも今は居ないんだってば。何処に行ったかなんて、知らないよ」
メアリーはわざと機嫌悪そうに答えると目線を下へ逸らした。その一瞬、ジルベールはぐいと身を乗り出しメアリーを壁際へ追い詰めた。ジルベールの右肘が壁へつくと同時に彼の左手はメアリーのおとがいを優しく、だがしっかりと掴んでいた。
(しまった‼︎)
両手をジルベールの左腕に食い込ませ強引に外そうとしたが無駄だった。ジルベールは切れ長の眼を細め、呟くように言った。
「嘘はためにならないよ? メアリー。君にとっても、姉さんにとっても、ね?」
仄かに甘い吐息が鼻にかかった。メアリーは逃げるタイミングを伺いながら精一杯睨みをきかせた。
「……姉貴を変な事に巻き込むつもりなんだろう? そんな事したらただじゃおかないよ?」
少しの間、二人は牽制し合うように、瞬きもせず互いの目を凝視していた。視線を先に逸らしたのはジルベールだった。
「今日のところは仕方ないな。贈り物だ。これをアンに渡してくれ。」
ジルベールは左手でジャケットの裏側から封筒を一つ取り出すと、描きかけの絵が置かれたイーゼルへと差し込んだ。
「あと、君には……」
更に身体を近づけようとするジルベールの胸を、メアリーは渾身の力をこめて両腕で突き放そうとした。しかし彼女の両腕は揃ってジルベールの左手に拘束され、乱暴に頭上へ上げられ壁に固定されてしまった。右手をメアリーの耳から首筋をなぞるように下へと触りながら、ジルベールはメアリーの耳元で囁いた。
「……慌てなさんな。直ぐに気持ちよくさせてやるって。力抜けよ」
「……っやだ‼︎ 離し……‼︎」
メアリーは懸命に逃れようともがいたがびくともしなかった。ジルベールの唇がメアリーの唇に触れようとしたその刹那。
バァンッ‼︎
ドンッ‼︎
シューッ
キッチンの隣から様々な音とともに煙幕が広がった。流石のジルベールも笑みを消し、メアリーの腕は拘束したまま周囲に警戒を巡らせた。
――カチリ。
真横からジルベールのこめかみに硬い突起物が触れた。しかしジルベールは驚かなかった。
「メアリーから離れなさい、ジルベール。寿命を縮めたくなければね」
煙幕が薄くなり、ハンドガンの安全装置を外すアンネの姿がジルベールとメアリーの眼に映った。その表情は本当に「ブチギレ」ていた。
「やぁ、久し振り。やっと会えたね、ひなげしの姫」
メアリーを掴んでいた手をさっと離し、ジルベールは拳銃を向けるアンネへゆるい微笑みを向けた。




