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ペクトラ  作者: KEN
メアリー・シーベルト 〜婀娜〜
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実家の妹

 タイルの光を一歩一歩踏みしめ、仄かに青白く輝く壁の前まで辿り着くと、アンネはその場にしゃがんだ。そして手探りで壁の窪みに指を入れるとぐいと右に引き開け、そのまま身を乗り出すように明るい方へと滑り込んだ。


「よ、漸く着いたわ……」


 張り詰めていた全身の緊張を一気に緩めるように、アンネはべたりと腹ばいになった。木の床の優しい温もりは冷え切った頬に心地よかった。

 久しぶりのフローリングを存分に堪能すると、アンネは起き上がりリビングを見回した。部屋の内部はアンネの予想ほど変化してはいなかった。部屋の真ん中のローテーブルとソファーも、奥に見えるキッチンも、部屋の隅に置かれた少し場違いな雰囲気のクローゼットもそのままだった。だがよくよく注意深く見回すと、クローゼットからは僅かに服がはみ出し、キッチンのシンクからは積み上がった皿がちらりと覗いていた。床の埃は雑に掃き出されたのか、家具の下や部屋の隅にうっすらと溜まっていた。家主の適当な生活ぶりと、それを慌てて隠そうとする光景が容易に目に浮かび、アンネは目眩を覚えた。


(彼奴、絵ばかり描いててまともに掃除してないわね……)


 アンネは立ち上がりシンクの中を覗いた。前回の帰宅時に相当こっぴどく雷を落としておいたせいか、流石に生ゴミの放置はされていなかった。しかし積み上がった皿は油汚れが目立ち、鼻につく酸っぱい匂いを漂わせていた。蛇口を少し開け水道が止まっていない事を確認すると、その皿の片付けを帰宅一番の仕事と決め、アンネは一向に姿を現さない家主に声を張り上げた。


「メアリー、何処⁉︎ さっさと出て来なさいっ‼︎」

「此処だよ〜」


 か細い声とごそごそという物音が部屋の奥のドアから聴こえた。そこはメアリーが荷物置き場として使っている小部屋の筈だった。そのドアの隙間からはメアリーのワンピースと思われる緑の布地がはみ出していた。アンネはその布をつまみ上げて扉の向こうへ声をかけた。


「早く出て来なさいよ、メアリー」

「こっちから開けられなくなっちゃったぁ、姉ちゃん、開けてぇ〜」


 メアリーの泣きそうな声が部屋の内側から聴こえた。声の通りから、家主はドアの側ではなく部屋の真ん中あたりにいるであろう事、さらに家主とドアの間には雑貨類と言う名の障害物が埋め尽くされていそうだという事をアンネは察した。むしろ家主の性格からして、部屋内部のカオスっぷりを想像するのは難しくなかった。

 アンネは片手ではみ出た服を摘んだまま、もう片方の手で扉を一息に開けると同時に扉の影へ飛び退いた。部屋の中の荷物は(アンネの予想通り)凄まじい音と共に雪崩になって流れ出し、アンネの掴んでいた服以外の雑貨類は居間の床を覆うように散らばった。そしてワンテンポ遅れて、家主は漸く閉じ込められていたという部屋から転がり出て来た。


「あ痛たた……良かったぁ、出られなくなるかと思った。お帰り、姉ちゃん」


 後頭部を押さえながらも思いの外あっけらかんとした顔で見上げるメアリーに色々ツッコミたい事はあったが、まずアンネは掴んでいたワンピースをぐいとメアリーの鼻先に突きつけて言った。


「服、着ろっ‼︎‼︎」


   *


「ったく、あんたは昔から全裸が好きねぇ。同じ雪国で同じように育ったとは信じがたいわよ」


 惜しげもなく温水を出しっぱなしにして積み上がった皿をどんどん洗っていくアンネに、メアリーはワンピースから覗く素足と水彩絵の具の染み付いた腕をソファの外に伸ばしながら口を尖らせた。


「きょ、今日はたまたまだよぉ。女体の官能的な美しさが滲み出た絵を描いてくれって頼まれて。でも自分の身体を観察するだけじゃ、何というか、色っぽくならないんだよねぇ。姉ちゃん、後でモデルになってよ‼︎」

「誰がなるかっ!」


 洗い終えた皿を乱暴に積み重ねて、アンネはメアリーの提案をすっぱり却下した。そもそもメアリーとは二つしか年が離れておらず、メアリー自身、年頃の娘に相応しい魅惑的な身体つきをしていた。それは図らずもついさっき肉眼で確認したばかりだ。わざわざアンネが素肌を晒さずとも、メアリーの画力と姿見一枚で十分クリア可能なオーダーの筈だった。


「えぇ‼︎ 妹の生活費がかかってるんだよ⁉︎ 協力してよぉ‼︎」

「い、や、よっ‼︎ どうせ、その阿呆らしいオーダーの主はルーイでしょ」

「……姉ちゃん、何でわかったの⁉︎」


 メアリーは目を丸くしてソファから身を乗り出した。全く、我が妹は何でもそつなくこなせる天才肌だが、時に驚くほどの鈍さを発揮してくれるあたりが残念すぎる。アンネはやれやれと首を振った。


「気づかない方がおかしいわよ……そんな嫌らしい事を恥ずかしげもなくあんたに言えるのは、ルーイくらいじゃないの」

「……あ、それもそうか」


 メアリーは納得したように頷くとソファに顔を埋めた。こんなお馬鹿な妹の面倒をずっとみてきたからこそ、フィンとの生活にそこまで気苦労を感じなかったんだろうなとアンネは肩を竦めた。


「それよりあんた、ちょっと聞きたい事があるんだけど……」


 アンネの声にメアリーが顔を上げたその時、家の警報機がけたたましく鳴り響いた。

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