吹雪の夜
「……まずいですね」
ステラは背後の銃を掴みがばりと立ち上がった。その整った横顔には狼狽が少なからず現れていた。嫌味の一つも言ってやろうとアンネも腰を上げたが、もう遅かった。アンネに口を挟む隙すら与えず、ステラは装備一式をまとめ終えてしまった。
「出立の準備は?」
「できてますっ!」
既に荷物を整え終えていたオリーブの間髪入れぬ返答に、ステラは満足げに頷いた。先ほどまで無心に銃の手入れをしていた女の豹変ぶりにアンネは目眩を覚えた。
「まずいって、ちょ……どう言う事?」
戸惑いながらもアンネはステラの背中へ問いかけた。しかしステラは振り向きすらせず戸を乱暴に開け放した。荒れ狂う風雪を押しのけるようにステラとオリーブは屋外へと駆け出した。
「ねぇ待ってよ! ス……」
二人を追いかけ戸の外へ飛び出したアンネの足元を、小さな白刃が抉った。それはステラの放った折り畳みナイフだった。ステラは開いた右手越しにアンネへ睨みを利かせた。
「我々は失礼します。インパイに行くのであれば決して我々の事を他言せぬよう。背中に風穴を開けて欲しいのならば構いませんが」
冷え切った声と視線を残しステラは暗い吹雪の中へと姿を消した。オリーブも一礼をするとステラへ続いた。
「……もう、訳わかんないわ……」
戸の前に取り残されたアンネはひとりごちた。
*
小屋を離れて間もなく、二人は小さな洞穴を見つけた。熊が潜んでいるのではと警戒したステラだったが、中には鼠一匹いなかった。入り口の半分を雪で埋め、二人が眠るのに十分な空間を確保するとステラは入り口へ背を向け胡座をかいた。
「さて、もう夜ですね。さっき貴方が使用した銃も手入れをしなくては。貸してくださいオリーブ」
ステラは中央にランプを置くと優しく手を差し出した。しかしオリーブは銃をぎゅっと抱きしめ離さなかった。オリーブは微かに震えた声で言った。
「あ、あの、ワーニャにやってもらっても良いですか? グリニス……いえ、ステラさん」
「今はグリニスで良いですよ」
グリニスは柔和な微笑で答えた。オリーブを不必要に怖がらせないようにとの配慮からだった。
「ワーニャは軍人だったのでしたね。丁度良いです。銃の手入れ具合で大体の性格を把握出来ますから」
グリニスが手入れ道具一式を取り出し広げている間に、オリーブはワーニャと交替した。ワーニャは細長い銅製のブラシを手に取り、銃本体から銃筒だけ外し内側をちらと覗くとブラシを突っ込み擦り始めた。
「分解の仕方は覚えませんでしたか? 良ければ私が……」
ワーニャが細部まで分解しないのは方法を知らないからだと思い、グリニスはワーニャの銃筒に手を伸ばした。しかしワーニャは仏頂面でその手を緩く払いのけた。
「知ってる。でも俺は最低限の手入れしかしない。こんな小汚い洞窟できちんと手入れ出来るか。本当にしっかりやるなら、綿棒と布の切れ端を大量に使うもんなんだよ。野外でどうしてもこんな作業をしなきゃならんのなら、それは手入れをしないと狙撃に支障の出る範囲に留めるべきだ。少なくとも俺はそう思ってる」
饒舌に話しながらも右手はせかせかとブラシを動かすワーニャにグリニスは呆気にとられたが、こめかみに指を当てると苦々しく言った。
「色々と言いたいことはありますが、まず貴方にはペクトラ独特の上下関係を説明しておかなければなりませんね。貴方がどれだけ生きてきたのかは知りませんけど……」
その言葉を遮るように、ワーニャは磨き終えた銃筒をぶんとグリニスの鼻先へ突きつけた。
「今の俺はそんなものに興味ない。あんたがオリーブの味方でいる限り、俺はあんたの敵にはならない。そんだけだ」
ワーニャは鋭い眼できっぱり言い放った。グリニスがワーニャの差し向けた銃筒を掴み受け取ると同時に、オリーブはワーニャを無理矢理引っ込めた。
「ごめんなさいグリニスさん! その、ワーニャは人と話すのが苦手なので、それで……」
オリーブは酷く眼をぱちつかせワーニャの非礼を詫びた。しかし当のグリニスはというと、オリーブの話はおろかワーニャの言葉すら耳に入れてはいなかった。彼女の意識はワーニャの磨いた部位にのみ注がれていた。銃筒内部は煤一つなく、鈍い銀色の光を帯びていた。その部分に限って言えば、短時間で申し分ない手入れを行った証拠だった。
「……まあいいでしょう。続きは今度お話させて頂きます」
グリニスは小さく息を吐くと、ワーニャが掃除しなかった部位を分解し布の端で擦り始めた。
グリニスは元々あまり表情が外に出ない方だった。しかしオリーブは人の顔色をみるのが比較的得意だった。グリニスが気分を害されている時は僅かに右眉がぴくつく癖がある事をオリーブは知っていた。今の眉の動きは安全圏だと内心オリーブは安堵した。
「『ヴァルキリー』……でしたっけ。どういう方なのでしょうね?」
複座ばねの隙間を黙々と磨くグリニスの脇にそっとお茶を置き、オリーブは静かな声で尋ねた。グリニスは一瞬オリーブの顔を凝視したが、オリーブに特別な思惑があるわけではなさそうだと分かると直ぐに視線をばねへ戻し答えた。
「詳しくは私も知りません。ステラ本人の記憶によれば、嘗て凄まじい戦闘技能を持ち地球という惑星を滅ぼした者のようです」
「そのヴァルキリーが今現れた、というのは……」
「我々の惑星ギガの平和を脅かす可能性がある、としか言えませんね。現状では。……頂きます」
グリニスは磨き終えたばねを一旦布に包んで膝の上へ置き、温かい茶を一気に飲み干した。
「そもそもその情報自体、眉唾ものだと私は考えています。しかし、怪しい情報だとしても命令ならば動くしかない。我々は現場の人間ですから」
グリニスはオリーブを元気づけるかのように微笑んでみせた。
*
「クシュンッ‼︎」
暖かい車内にいるにも関わらず、女は大きなくしゃみをした。軽くずずっと鼻を鳴らすと吹雪く窓の外を鬱陶しそうに見つめ、女はぼやいた。
「私の噂話をしている人がいるのかしら……それとも風邪? いずれにしても珍しいこと」
女の言葉が終わるか終わらないうちに車は停止し、運転席から綺麗に折り畳まれたティッシュが女へと差し出された。
「お嬢様。目的地に到着いたしました」
ティッシュでしっかり鼻をかみ、女は一度ぶるりと身体を震わせた。
「寒いのは苦手だけれど、今回は私が行くしかないものね。仕方ないわ」
ぶつぶつとそう呟き、女は厚手のコートを羽織ると雪の降り続く車外へと降り立った。ドアを開けてもらうと同時に頭上に差し出された傘のお陰で、女に雪が降りかかる事はなかった。
「行くわよイマヌエル」
「はいお嬢様」
少しだけ不服そうに見上げる女に老人は柔らかな笑顔で答えた。
裏ペクトラ劇場
オリーブ(以下O):おはようございます、早速質問いいでしょうか?
ミーチャ(以下D):おはようございます、オリーブ。ここでウィルに口火を切らせないとはやりますねぇ。
ウィル(以下W):脱線はいいから。何だオリーブ?
O:ワーニャとウィルお兄さんが戦った時の事(第20話参照)なんですが、右側ばかり攻めていたのはわざとですか?
W:そりゃそうだよ。ペクトラにも利き腕みたいなものがあるんだ。右側を庇うように立ち回ってるように見えたからワーニャは左側が利き腕だと判断した。そんだけだ。
D:オリーブちゃんがペクトラの事をよく知らなかったのをいい事に…卑怯者ですね君は。
W:卑怯者とは大袈裟だな。わざわざ解説してから戦ってちゃしまらねぇだろ。絵面的に。
O:わ、私は卑怯だとは思ってませんよ?ミーチャさん。
D:う、うぅ…。
W:何だよ目を潤ませて。気持ち悪いな。
D:僕も「兄さん」って呼んで欲しいんでずぅ…
W:鼻汁ばっちいわ‼︎
O:…。(困惑)




