小さな計略
ステラが黙々と銃の手入れするさまを食い入るように見つめながらアンネは思案していた。オリジナルの名を隠さねばならない理由など本来どうでもよい事ではあったのだが、アンネの純粋な好奇心はそれを水に流すことを許さなかった。
(本人は無理だろうけど……オリーブからなら、強引に聞き出せるかもしれないわね)
オリーブへ聞きこむ隙を作るために一旦トイレに行くふりをしようと、アンネはゆっくり腰を上げた。その時だった。
――ックシャンッ‼︎
アンネの小さな計略をフィンの盛大なくしゃみが見事に吹き飛ばしてしまった。その場の女全員の視線が一気にフィンへ集中し、フィンは鼻ちょうちんを下げたまま恥ずかしそうに項垂れた。
『ちょっと、ばっちいわね。はいこれ』
フィンのタイミングの悪さに内心軽く呆れながらも、アンネはポケットティッシュを一枚差し出した。それを申し訳なさそうに受け取り鼻を一回かむと、フィンはアンネとステラの顔を交互に見比べながら言った。
『……大丈夫なのか?』
『何が?』
『何って、変に疑われたくないから暫く話すなって言ってただろ? もう大丈夫なのか?』
フィンの濁声はすぐに酷くなった。聞き取りに支障が出るレベルではなかったが、アンネはポケットティッシュを丸ごと握らせると早めに鼻をかむよう促した。
『今のところはね。あの二人と話がしたい時は私に言って。でも耳打ちはダメ。言葉はそのままでいいから相手の顔を見て言うの。その方が変な誤解を招きにくくなるわ』
フィンは鼻をかみながら黙って頷いた。次にアンネはステラとオリーブを交互に見ると言った。
「今フィンにも言ったけど、彼と話をしたかったら普通に彼に向かって話しかけて頂戴。通訳は私がするわ。簡単な会話なら通訳できるはずだから」
この状況で警戒心を変に持たれなくないという意図は確かにあったが、わざわざアンネが口に出して言った理由は別にあった。
(フィンの拉致、殺害が目的ならばチャンスはいくらでもあったはず。だから現時点でその可能性は低いと考えていい。今のところ敵でないのならば、不測の事態に備えてスムーズに会話出来るようルールを明示した方が都合がいいでしょうね)
ステラの本名を知るための計略は一旦お蔵入りさせる事に決め、アンネは気を取り直した。
「……それはともかくとして」
アンネはわざとらしく咳払いすると、にっこりと微笑んだ。
「私としては此方に争う気がない事だけ分かって貰えば十分よ。どうせそっちも訳ありでしょ? ステラさん」
軽い口調に反し、アンネの眼は笑ってはいなかった。ステラ達が銃を持っていたのは鹿や猪を狩るためと思っていたアンネだったが、冷静に考えればおかしなところがいくつもあった。ステラの銃はアンネの知っている猟銃とは形も大きさも異なっていたし、狩猟で用いるとは考えにくい大きなスコープをつけていたことも妙だった。そもそも猟師ならば風向きに注意しながら足跡を辿るのが普通だ。樹上にいたステラが獲物を追っていたと考えるのは少し無理があった。
オリーブの抱えていた銃が連射可能であることを考え合わせると、二人の装備は複数人との戦闘を前提に準備されたものと思えた。最近抱えていた心配事にこの二人が関係しているのならば、アンネにとっては見過ごせない事だった。
「……私の事は呼び捨てで結構」
アンネの緊張を表情から読み取ったのか、ステラは後ろへ銃を置くと真っ直ぐアンネを見つめた。
「詳しくは言えませんが、インパイという街に重要人物が潜伏しているとの情報があり……確かめに来たのです」
はっきりしないステラの言い方にアンネはますます不安を募らせた。
(インパイ……嫌な予感がする)
「それは……」
何を確かめに来たのかと言いかけたアンネの言葉を制すように、ステラは突如掌を突き出した。
「……エンジン音……これは、スノーモービルでしょうか……?」
「ああ、街の人間だと思うわ。たまに鹿とか狩りに来るのよ」
周囲の気配を探るように見回し呟くステラにアンネは答えた。然し一呼吸置いた後、アンネはステラの発言が少しおかしい事に気付いた。
(何処からもエンジン音なんて聴こえないじゃない……吹雪の音を間違えてるのかしら)
部屋の隅でびゅうびゅう吹き込む粉雪を見ながらアンネは首をかしげた。




