重い扉 〜side Mitya
フィンがオリーブと再会していたちょうどその頃のこと。
ミーチャはリンゴを手土産にウィルの病室の前へ立っていた。
アイザックが戻って来て数日が経ったが、懸命な調査の甲斐もなく、リリィの消息は未だ不明のままだった。ウィルは普段と変わらず振る舞おうとしていたものの、それがミーチャには却って痛々しく思えた。
(リリィは何処へ行ってしまったんだろうか。ウィル、辛いだろうな……)
病室の前でそんな事を考えながらミーチャは優しく戸を叩いた。彼独特のリズミカルなノックが響いた後。
「……入ってくれ」
弱々しいウィルの声に心苦しさを感じながらも、ミーチャはいつも通りの笑顔で力一杯引き戸を開けようとした。然し元々滑りの悪い戸は(ミーチャの予想通り)半開きでつっかえて止まり、ミーチャは中途半端な苦笑いをせざるを得なかった。
「……もうっ、溝に蝋を塗ってっ、おいてっ、くれとっ、頼んだっ、でしょっ? ウィルっ!」
全身の力を込めて引き戸を動かしながらぼやくミーチャだったが、ウィルがこちらに眼を向けていない事は見ずとも分かっていた。がたがたと音を立てて開いた木戸は、いつも以上に重たかった。
「……あぁ、すまなかった」
戸を開ききったタイミングで気怠げな声が漸く聞こえ、ミーチャは顔を上げた。
室内は薄暗く、静かで、湿っぽい匂いが漂っていた。ベッドを囲むカーテンと電源の入っていない照明、そして微かに聴こえる雨音の所為でウィルが余計落ち込んでいるのではと考え、ミーチャは問答無用で照明をつけカーテンを乱暴に開け放した。
「……眩しい」
生気のない声と共にカーテンの奥から現れたのは、眼の下にくまを作ったウィルの横たわる姿だった。
暫くの間、病室ではリンゴの皮を剥く音が小雨の音を掻き消していた。ベッド上のウィルも皮剥き中のミーチャも、互いにかける言葉が見つからずにいた。然し果肉の放つ瑞々しく甘い芳香によって、室内の重苦しい空気は少しずつ軽くなっていった。
リンゴを剥き終わると、ミーチャは手元で一つながりになった皮を見下ろし満足気に一息ついた。
「ふぅ、皮剥きも大分慣れました。誰かさんが食べ物を選り好みする所為ですよ〜」
ミーチャはわざとウィルを茶化すように軽口を叩いたが、ウィルの表情は冴えなかった。
ここ数日の間にウィルの食事摂取量は少しずつ減っていた。それが嗜好の所為でない事くらい、空気の読めないミーチャにも分かっていた。
(リリィの不在が堪えているんだ。早くリリィの居場所と戻す方法を見つけなければ……)
リンゴをきっちり八等分に切り分け、種の部分を外し器に盛りながらミーチャが考え込んでいたその時だった。
「なぁミーシャ」
思いがけずウィルの言葉が聴こえた所為でミーチャの右手に力がこもった。刃がザクリと果肉を抉り、ミーチャははっと息を呑んだ。ナイフは掌までは届かなかったが、ミーチャは無傷の左手を無意味に振り苦笑いした。
「はは、危ない危ない。手が滑りましたよ……っと、どうしました?」
ミーチャは真顔で尋ねた。ウィルは相変わらず顔を窓の外へ向けたままだったが、その眼には小さな光が宿っていた。ウィルは一回ゆっくり瞬きしながらミーチャの方へ顔を向けると言った。
「……お前にとって、アイザックはどんな存在だ?」
唐突な質問にミーチャは驚いたが、小さく唸りながら考え込んだ末、口を開いた。
「……強いて言うならば、兄、みたいなものでしょうか」
ミーチャの答えにアイザックは密かに苦笑したが特に何も言わず、ミーチャ自身もアイザックの反応を特に気に留めはしなかった。ミーチャは言葉を選び話を続けた。
「当然なのかもしれませんけど、アイザックは僕の事を一番理解してくれています。とても頼り甲斐のある存在です。それはリリィも同じでしょ?」
「……そう、だな」
ミーチャの無邪気な笑顔にウィルは弱々しく微笑み返した。それがミーチャには却って辛かったが、敢えて笑顔を保ちつつ話題転換を図ることにした。
「まぁ、グリニスさんみたいなケースもありますけどね」
「グリニス……って、誰だっけか」
ウィルの中で記憶が曖昧であろう人物名を出せば、必ず聞き返してくるだろうとミーチャは予想していた。自分の思惑通りの返答にミーチャは内心ほっとした。
「やだなぁ、忘れたんですか? グリニスさん……いや、ステラさんと言った方が分かるかな」
「あぁ……ステラね」
ミーチャの言葉にウィルは漸く思い出したと言いたげに頷き、白い天井を仰ぎ見ながら記憶を辿った。
「……初めて彼奴と仕事した時は驚かされたっけな。根は良い奴だとは思うんだが……俺は少し苦手だ」
「それは無理もないですね」
ウィルの前にリンゴの盛られた皿を置くとミーチャは苦笑して答えた。ウィルが食べ終えた後に皿と一緒に洗うつもりの果物ナイフを手に取り、刃の水気をさっと拭き取るとミーチャは話を続けた。
「彼女の場合は特殊ですから、彼女がステラに合わせているあのスタイルは、仕事の上では妥当でしょう。でも正直、彼女は合わせ過ぎだと思うんですよね」
「何が?」
リンゴをひとかけ頬張りながらウィルは尋ねた。いつものミーチャならば行儀悪いと顔をしかめる所だが、今はウィルの元気を少しでも戻す方が大事だった。ミーチャは気にしていないふりをする為にナイフを表裏表と反転させ、目に付いた汚れを一つ一つ擦りながら口を開いた。
「彼女は自分自身の事を『ステラを構成する部品の一つ』と言います。しかし彼女はオリジナルでステラはエクストラです。その区別というか、線引きはした方が良い…と、僕は思います」
磨き終えたナイフをテーブルに置きミーチャは難しい顔でぽそりと付け加えた。
「……恐らくですが、ステラも僕と同じ事を気にしているでしょう」
ミーチャが何を気にしているのかはウィルに分かる筈もなかった。ウィルは黙ってリンゴを味わう事にした。
裏ペクトラ劇場:番外編〜Battleship〜
ウィル(以下W):前回は久し振りの出番でハジけすぎたわ。自重自重。
ミーチャ(以下D):そうですね。まぁ昨日うっかりハジけてた所為で書き終えてた最新話更新をぽかった作者よりはマシでしょう。
W:…お前、よく作者を吊るし上げてるよな。何か恨みがあんのか?
D:いえ?寧ろ親近感が湧いてますよ?
W:どの辺が?
D:そりゃアレですよ、“They ain't going to sink this battleship, no way.”ですよ!
W:…はい?
D:だから、「戦艦が簡単に沈むか!」ですよ‼︎
W:…お前昨日、チキンブリトー食っただろ。(冷めた眼)
D:…。
W:ついでに今日の昼間、近所のプラモ屋に行って1/700スケールのBB-63を買おうか買うまいか散々悩んだんだろ。
D:…ナンノコトデショウ?(眼をそらす)
W:ミーハーというか、にわかというか…(溜息)
D:い、いいでしょ別に⁉︎
W:どうせなら始めから日本語訳で言え。英語で聞き取る事なんか出来ねえくせに。
D:君の(どんな国の言語も聞き取り理解する事が出来る)能力なら問題無いでしょう?
W:大有りだ。俺の頭の中では「あいつらがこの戦艦を沈めることはないぜ。」ってなるんだよ。
D:…ないわぁ…。そんな訳は…ないわぁ…。




