走馬灯 〜Zeke’s memories〜
ここは俺、ことジーク・ウルドの所有する研究所。元々師匠が小さな診療所として使っていた建物をうまい具合に譲り受け、俺の好き放題に使わせて貰っていた。そう、彼奴が俺の研究所を訪れたあの時も、俺はひたすら今までのデータと睨めっこして研究の糸口を探していたんだ。
「あんたがジークか?」
初対面の大人を目の前に、彼奴は開口一番つっけんどんにそう尋ねてきたっけ。あれにはムッとしたね。だからこちらも気色悪い程柔和な笑みで、嫌味ったらしく答えてやったんだ。
「そうだよ。初めまして、リリィ」
「……俺はウィルの方だ」
こちらの差し出した右手を握ろうともせず、ウィルは仏頂面で答えた。自分を無視した発言だと捉えたんだろう。はは、案外分かりやすい奴。
「で、話は本当か?」
「ミーチャからどの様に聞いてるか知らないからなぁ。本当かと聞かれても答えられないね、僕は」
俺は黒縁丸眼鏡をくいと上げて答えた。そう、あの時の俺はまだ「僕」と言っていた。俺は割と繊細な性格なんだぜ? 見た目は昔からワイルドなおっさんだけどな。ウィルも「『僕』なんて上品な面構えじゃなかろうに」と思っていたに違いないが、流石に空気を読んだのか、それを口に出しはしなかった。
「まぁいいさ。あんたの研究に被験体として協力したら金をくれるんだろ?」
「あぁ、勿論。研究の為に是非協力願いたい。頼むよ、ウィル」
俺は眼鏡越しに精一杯の愛想笑いをウィルへ向けた。
*
「ねぇ。どうして私達の事が知りたいの?」
何度目かの実験の時、初めてリリィにそう尋ねられたんだ。
「それは勿論、科学者として研究する価値があると判断したからさ」
俺の答えは紛れもなく本心だった。だがリリィの意図は別にあったらしい。リリィはふんと鼻を鳴らした。
「価値がある、か。……貴方、私達に変な期待をしていない?」
「何の事だろうか?」
俺はそう尋ね返した。回りくどい言い方は好きじゃないが、リリィの言葉にはこう、何と言うか、射竦めるような、こちらの考えている事などまるっとお見通しだと言わんばかりの力があった。
「妹さん、病気らしいじゃない」
……これには正直参ったよ。ミーチャの奴、余計な事をぺらぺら喋りやがって……と、内心毒吐いたね。
「だから?」
俺はそう答えるしかなかった。あくまで俺は科学者だ。きっかけはどうであれ、研究内容自体に私情を挟み込んでいるつもりはなかったんだ。けれどリリィはそう思ってはいなかったんだろう。
「確かにエクストラは有能だけど、万能じゃない。私が言いたいのはそれだけよ」
リリィの眼には憐憫の情、みたいなものが少なからず浮かんでいた。
*
「……死んだんだ。たった一人の肉親が」
実験終了後の休憩室で、俺は背後に腰掛けるリリィにうっかり口を滑らせてしまった。半年に及ぶ治療の甲斐もなく妹を亡くした事が、俺には相当のダメージだった。それは素直に認めよう。そのあっけなくて残酷な結末が、そしてそのせいで増えていた煙草の煙が、普段無駄な事など言わない俺の口を軽くさせた。
「……そう」
リリィは気のない返事をした。彼奴は割と本気でどうでもいいと思っていたのかもしれないな。でもその方が有り難かった。俺がその時欲していたのは哀憐ではなかった。初期の人工AIのように一方的で無機質な相槌が、俺にはむしろ心地良かった。俺はふうと長く煙を吐き出した。
「……いい線いってた気がしたんだがなぁ。君達エクストラの生態が分かれば、或いは延命も可能だったかもしれないのに」
「永遠、とは言わないのね。意外」
リリィの言葉に皮肉が混じっている事には気づいていた。研究者は須らく恒久的なものへ強い憧れを抱いているんだと十把一からげに考えていたんだろう。ふん、俺もなめられたものだ。
「永遠に生きたいなんて妹は思っちゃいなかったよ。ただもう少し、あともう少しで良かったんだ。それなのに……あぁ、畜生が」
煙草の灰を落とすと同時に出た最後の言葉は、本当は言うつもりじゃなかった。自分の人間としての限界が妹を救えなかった。その思いが俺と俺の研究を変え始めていたのかもしれなかった。
「……研究は? 辞めるの?」
「辞めない」
俺の答えははっきりしていた。仄かに温かみの残る妹の亡骸を目の前に、散々泣き崩れた末の結論だ。変えられる筈がない。俺はまだ長く残る煙草を灰皿に押し付け火を消した。
「結論を出さずに追究を止めるなんて科学者じゃない。誰が何と言おうと……俺は続ける。ペクトラの研究を」
俺は眼鏡を外し、左手でゆっくりと握り潰した。ぽとりと床に落ちた血は俺の覚悟の色だった。
*
俺はリリィを呼び出しては自分の仮説を話して聞かせるようになった。リリィは他のエクストラの知らない何かを握っているような気がした。彼奴と話す機会を重ねているうちにそう思うようになっていた。
「なぁ、エクストラの存在方法に関する俺の仮説は実際のところどうなんだ? いい線いってるんだろ?」
「さあね」
俺の変わりばえしない問いかけにリリィはいつも鬱陶しそうに答えた。この野郎、じゃあ本気で話を聞きたくなる話題を振ってやろうじゃないか。
「そうだ、お前が前言ってた……あの、なくなった記憶を戻す、って奴?」
「わかったの⁉」
リリィはテーブルに身を乗り出して食いついた。大当たり。そうなる事は分かっちゃいたが、こうも予想通りの反応をされると何故か愛らしさすら感じるから不思議だ。
「わかったなんて言うはずないだろ。お前が長い間取り組んできた課題に、俺のような人間ごときが簡単に答えを出せるかよ」
「……あぁ、それもそうね」
……前言撤回。愛らしさなんかこれっぽっちもありゃしない。
「ひでぇなおい。まぁいいさ。これなんだが」
俺の差し出した論文をひったくるように掴み取り、リリィは食い入るようにそれを読み始めた。少しの間黙ってページを繰っていたリリィだったが、最後のページをめくり終えると首を横に振った。
「目の付け所は面白いと思うけれど、ここの論理展開がおかしいわね。ボツ」
リリィはディスカッションの中程を指でとんとんと叩き、テーブルへ放り投げた。俺はリリィに突き返された論文の該当部位を確認した。よくよく読み直してみれば、悔しいがリリィの言う通りだった。
「また駄目かぁ」
俺はソファに身体を投げ出した。リリィはそんな俺の顔を覗き込み、首を傾げた。
「……えらく頑張るのね」
リリィには到底理解出来なかっただろう。妹を亡くした自分にただ一つ残されたこの研究が、自分の今の全てだったなんて。
「今の生きがいだからなぁ」
そう言うと俺はリリィの眼を見つめた。リリィの眼は深い闇の底へ続いているような、あるいは雲ひとつない夜空の向こう側へ続いているような、未知の世界への入り口のように俺には見えた。
「……なんつって」
訝しげなリリィに向かって俺はぺろりと舌を出し、懐から煙草を一本取り出した。だが火をつけようと口に咥えた瞬間、それはリリィに取り上げられてしまった。
「煙草は寿命を縮めるからやめときなさい。研究成果を出すまで、貴方には死んで貰う訳にはいかないんだから」
リリィは俺の顔の横で煙草をぐしゃりと握り潰した。あー、勿体無い。でもまぁ、そう言われたら仕方ないな。今回だけは、お前の言う事を大人しく聞いてやろうかね。
――妹が生きてたら、やはり俺の煙草を止めさせようとしただろうか。
そんな妄想が浮かんだのは、きっと徹夜明けで頭がぼうっとしていたからに違いなかった。俺はそのままソファで一眠りする事にした。




