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ペクトラ  作者: KEN
ジーク•ウルド 第二幕 〜欺瞞〜
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詫び

 懐中時計の裏蓋の鏡を見つめた後、首を絞められている状態のままミーチャは眼鏡を外した。

「…交替、しましたよ? リリィ。腕を……」


 しかしリリィは全く腕を緩めなかった。


「あんたがミーチャだと証明出来るまでは外さない」

「……疑り深いですね、分かりましたよ」



 ミーチャはやれやれと言いたげに小さくため息をついた。首を絞められたままゆっくり起き上がると、前屈みの体勢をとり、そのままリリィをそっと背負って立ち上がった。


「潔癖なアイザックじゃ、こんな状況でこんな事はできないでしょ?」


 ミーチャはにっこりと背中のリリィへ微笑む。


「……確かにね」


 リリィは腕のホールドを解くと、操作手を失い倒れている人形を指差した。


「背負ってもらったついでに悪いんだけど、あの人形のとこまで運んでくれる?」

「はぁ、それは構いませんけど……?」


 ミーチャは言われた通りに人形へ歩み寄る。


「背負ったまま近づいて観察させて頂戴。アイザックも貴方も変な事をしようものなら、後頭部が凹むからそのつもりで」


 リリィの容赦ない発言に、ミーチャはがくりと項垂れた。


「うぅ、さらりと酷い事を言いますねぇ……悲しくなってきました」

〈此奴、俺達の事を下僕とでも思ってんのか⁉︎〉


 当のアイザックは(ミーチャの精神世界の中で)憤っていた。


(当たらずとも遠からず、といった所ですね。ま、今回はアイザックにも非があります。ここは大人しく言うことを聞きましょう)


 心の中で苦笑いしながらミーチャはアイザックを宥めた。


〈……何だか、真っ赤なワンピースの金髪ツインテ人形と話してる気分だわ……〉


 げんなりした口調で漏らすアイザックの愚痴は言い得て妙だった。


(ぜんまいも人工精霊もありませんけどね?)


「何をにやにやしているのよ?」


 突然背後からリリィの声がかかった。アイザックと話していてつい口元が綻んでしまったようだ。


「いえいえ、滅相も無いっ‼︎」


 ミーチャは緩んだ顔を引き締めた。

 リリィは負ぶわれた状態でミーチャへ指示を出し、アイザックの操っていた人形の観察を始めた。

「ちょっと腕持って。……ふうん、関節と筋肉はこんな風にしてるのね。次は脚を持ち上げて。……さすがに足の趾を別々に動かすことはできないのか。……もっと屈んで。よく見えない」


 左手で触りながら人形の細部の動きを確かめるリリィへミーチャは申し訳なさそうに言った。


「すみませんでした、リリィ。僕がアイザックを止めなかったから、こんな酷い事に……」


 その言葉に作業の手を一度止め、リリィはミーチャへ無機質な眼を向けた。


「……もし良ければ、アイザックに聴かれないようにして貰える?」

「それは別に出来ますけど……何か?」


 きょとんとするミーチャに、リリィは少し気まずそうに目線を外した。


「ま、本当は聴かれても構わないんだけどね。万が一この場でキレられても面倒だから」


 納得したミーチャは数秒眼を閉じ、そして左耳へ耳栓をした。


「これで大丈夫。僕達ペクトラの慣例としてやってますけど、この耳栓、おまじない程度のものですよね」


 左耳を指差しながら苦笑するミーチャへリリィは少しだけ微笑んだ。


「そうね、もう片方の人格に話を聴かれていない事を他人にアピールする以上の意味はないでしょうよ。大事なのは思いの強さだもの。……で、さっき言いたかった事だけどね?」


  観察の手を止めず、リリィはミーチャの詫びへの答えを訥々と語り始めた。


「結論から言えばね、仕方なかったと思う……ちょっとここ持って」


 話をしながらもミーチャに人形の首を固定させ、リリィは人形の顔を更に仔細にチェックしていた。自分と同じ顔の人形が前髪を鷲掴みにされるさまに、内心ミーチャは自分が責め立てられているような錯覚を感じていた。


「……アイザックは日頃冷静に振る舞ってるけれど拘りは強いからね。そういう手合は、たがが外れると手がつけられなくなる。いつかこんな事も起こるだろうと思っていた」


 人形の頭をそっと元に戻し、リリィは朗らかな笑みをミーチャへ向けた。


「いつも面倒な注文ばかりする私達に付き合ってるんだから、この程度の事で気に病まなくていいのよ、ミーチャは」


 その慈しみに満ちた表情にミーチャは眼を瞠った。リリィがそんな表情を自分に見せる訳がないと思っていた。


「アイザックの所為で大怪我させてしまったので、文句を言われると思ってました……」


 ミーチャの唖然とした表情が余程滑稽だったのか、リリィはぶっと吹き出した。


「貴方達とは長い付き合いだからね。今更アイザックが何かした程度で、貴方へ八つ当たりなんかしないわよ」


 リリィの思わせぶりな言葉にミーチャは首を捻ったが、それ以上は追求しなかった。


   /


 一通り観察を終えると、リリィは自分を地面に降ろすよう指示した。


「ありがとう、とても助かったわ。貴方は早く病院へ行って点滴して貰いなさい」

「『貴方は』って、リリィこそ病院へ行かないと‼︎ その脚でまだ先生のとこへ行くつもりですか⁉︎」


 リリィの左脚は大腿部を中心に赤黒く変色していた。どう見てもジークのいる廃病院へ行ける状態ではなかった。それでもリリィの瞳に宿る決意の光は揺らいではいなかった。


「当然よ。ジークは助ける。絶対に」

「無理に決まってるでしょ⁉︎ 助けるどころか、先生の所へ辿り着く事だって出来やしませんよ‼︎」


 まともに動かすことすらままならない脚で立ち上がろうとするリリィをミーチャは押し留めた。その手を振り払い、リリィは額に冷や汗の滲んだ顔でミーチャを睨んだ。


「何とかするわよ。貴方が気にする事じゃない。それよりミーチャ、副作用が出る前に早く病院へ行きなさい」

「副作よ……」


 ミーチャが聞き返そうとしたその時、強烈な嘔気と眩暈がミーチャを襲った。


「うぅ……‼︎」

「ミーチャ‼︎」


 膝からくずおれるミーチャを抱き起こそうと、リリィはその場へ屈みこんだ。


「やはりジークに変な薬を投与されていたのか。多分禁断症状のようなものね。彼奴の事だから後遺症が長引くような投与はしてないだろうけど……」


 ミーチャは何か答えようとするが、嘔吐えずきが先立ち言葉にならなかった。ミーチャを一人で歩かせるのは少し無理がありそうだった。


「……仕方ない」


 苦々しげに人形とミーチャを見下ろし、リリィは嘆息した。


   *


 ミーチャに副作用の症状が現れ始めたちょうどその頃。

 廃病院ては、ジークの一人演説が漸く終わろうとしていた。特に中身のない雑談しかしていなかったジークだが、その油断なく闇の中の相手を睨みつける視線の威圧感が、相手からの先制攻撃を許しはしなかった。


「……さて、ここで提案だ」


 ちらりと袖から覗く腕時計に眼を向け、ジークは改まって切り出した。


「俺はお前達に知識を提供出来る。自分で言うのも何だが俺は優秀だ。きっとお前達の研究の力になれる」


 蒼い月光を背に受け、ジークは窓枠の上で胡座をかくと両手を腿の上へ置いた。


「だからな、その報酬として患者三人の身の安全を保証して貰いたい」


 ジークは深々と頭を下げた。しかし闇の中の人物は一歩前へ進み出ながらにべもなく言い放った。


「……私の任務は貴方との交渉ではない」


ーー失敗か。

 直ぐにジークは悟った。


「……そうか」


 ジークの右手がゆっくり持ち上がる。


「残念だよ」


 ボタンを押すと同時に、ジークは背中から仰向けに倒れるように窓の外へ落ちた。


ーーブシュゥゥゥ‼︎


 ジークが病室の窓から真っ逆さまに落ちると同時に、建物全体をガスの噴出音が揺らした。その振動に計画の成功を確信しながら、ジークは口にハンカチを当ててくるりと身体を起こした。同時に腰に括り付けていたロープがぴんと張り、ジークの身体はロープ一本で壁際に宙吊りになった。


 ジークの押したボタンは病院中の吸入麻酔に繋がるバルブを強制的に開放させた。病院内を気化した麻酔で満たし侵入者の動きを止めたところで病院全体を爆破させる――それがジークの計画だった。

「自分が落ちてきた窓を見上げて侵入者が追いかけて来ない事を確認し、ジークは白衣のポケットへ片手を突っ込んだ。その左手に握られていたのは、安価なオイルライターだった。


ーーピンッ、シュボッ。


 親指で蓋を弾き上げ、着火する。自らの大きな手の中で揺らめく儚い光を愛おしむように見つめ、ジークはゆっくりと一呼吸し。


ーー俺の全てが、此処で終わる。


 微かに震える左手を一回握ると、そのオイルライターを開け放たれた窓の内へ放り込んだ。


 約一分後。

 病院全体が炎と爆音に包まれ、薄暗い山空を紅く染め上げた。

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