禁句
むすっとした表情で、リリィはアイザックに止められた右脚を強引に振り解いて戻した。
「貴方にそんな話をした事も、あったっけね」
両手を短パンのポケットに突っ込み視線を逸らすリリィに、アイザックは尋ねた。
「いい機会だから聞いておくがな。お前、ウィルに重要な事を隠してないか?」
アイザックの質問に、リリィの目尻が一瞬ぴくつく。
「何故今それを聞くの?」
「いいから答えろよ、リリィ‼︎」
アイザックと視線を合わせようともせず尋ね返すリリィに、アイザックは苛立ちと怒気を含んだ声を上げた。リリィはうるさそうにちらりとアイザックを睨み、ふくれっ面のまま口を尖らせてぼそりと呟いた。
「……別に、何も」
アイザックはきつい視線でリリィを見すえていたが、リリィがそれ以上答えず黙りこくっている事に諦めのため息を漏らした。
「……質問を変えよう。何故、お前は先生を助けようとする?」
「……彼奴には、世話になってるから……」
アイザックの次の問いに、リリィは微かに震え声で目を伏せながら答える。その態度は明らかに何かを隠していた。
「……違うだろ」
背中を向けているリリィに向かい、アイザックは追い打ちをかけるように言った。
「そんな中途半端な理由で、お前が他人の為にウィルの身体を酷使する訳がない。今更下手な嘘はよせ」
「……貴方には関係ない」
解いていた後ろ髪をポニーテールに結び直し、リリィは目を伏せたまま呟く。そしてアイザックへ背を向けたまま歩き出した。
が。
「……『虚ろの魂』って奴か?」
アイザックのその一言に、リリィの足が止まった。
「何故それを……‼︎」
振り返り驚愕の顔をアイザックへ向けたリリィは、直ぐに悔恨のこもった視線を足元へ落とした。
「ジークの奴、余計な事を……‼︎」
その単語はリリィにとって、ジーク以外の誰にもーーウィルにすらーー知られてはならない言葉らしかった。ウィルを含め、他に誰も今の会話を聞いていなかった事がせめてもの救いだった。
「……その言葉、二度と口にするんじゃない‼︎」
不自然な程気色ばんだ声を上げるリリィに、アイザックは自分の予想が的中している事を悟った。
「核心をついたようだな。それがジークをた……」
言いかけたアイザックの顎を下から鷲掴みにし、リリィはアイザックの口を強引に閉じた。
「黙りなさい、人形だからって手加減しないわよ、アイザック」
リリィの腕が、いや、全身が小刻みに震えているのが、人形の身体のアイザックにも分かった。
リリィは人形の口元を右手で握ったまま高々と持ち上げようとした。しかし人形は予想外に重く、人形の足は浮かなかった。
「無理だ。この人形は70kg以上ある。幾らお前でも片腕で持ち上げるなんて出来ないよ」
押さえつけられた口でもごもご言うアイザックにカチンときたリリィは、全身の筋肉に更に力を込め始めた。右手の指が徐々に人形の顔へめり込み、みしみしと音を立て始める。
「待った待った‼︎」
顔がひしゃげる危険を察知した人形は慌てて止めようとするが、リリィの指のめり込みは止まらない。咄嗟に人形はリリィの右手首に食い込ませるように両手の指を立てて握ると言った。
「いいか? 俺の今の身体なら、お前の片腕を握り潰す事なんか造作もないんだ。悪い事は言わない、この手を離せ」
人形の指はリリィの指と同様、どんどんリリィの右手首にめり込んだ。リリィの右手首はみるみる内出血で青黒くなっていった。しかしリリィは右手を離さなかった。
「無駄よ、今の私は痛み刺激には反応しない。本気で腕を千切りにかからないと……」
リリィが嘲笑を浮かべて呟きかけたその時。
――パキッ。
軽い音と共に、リリィの右手は人形の握っていた所から異様な方向へ僅かに曲がり、固く掴んでいた右手が緩んだ。
二人は一瞬、静かに顔を見合わせた。
「すまんっ‼︎ 力加減を間違えた‼︎」
人形は慌てて両手を離し後ずさった。リリィは目を丸くしたまま呆然と折れた右腕を見ていたが、右手の指がうまく動かせないとわかると、諦めたように上げていた右腕をだらりと下ろした。
「……あーあ、とうとう折っちゃった。ウィルに大目玉食らうわね、こりゃ」
からからと笑い声を上げ、リリィは人形へ微笑みかける。
「これじゃあ、私も力加減、出来ないからね?」
次の瞬間。
リリィは人形の頭上へと飛び上がっていた。人形は頭上に迫るリリィの左踵をぎりぎり避け、目の前に降り立つリリィの顔面目掛けて裏拳打ち。リリィはそれを屈んで躱しつつ、すかさず左脚を踏み出しながら左手で人形の喉目掛けて掌底打ちを繰り出した。
〈……避けられない‼︎〉
回避が遅れたアイザックは直撃を覚悟した。
しかし。
突然膝からガクンと崩れ落ち、リリィは人形の脇へ倒れこんだ。
「……あれ?」
アイザックは勿論、リリィ本人すら、何が起こったか把握できなかった。うつ伏せになった身体を起こそうとし、そこでリリィは初めて自身の左脚に力が入らなくなっていることに気付いた。
「……あぁ、さっきの蹴りで無茶したからか」
リリィはそう呟くと、コンクリートの地面へ身体を投げ出すように倒れこんだ。
「もう限界だろ?」
頭上からひび割れた眼鏡をかけた少年がリリィの顔を覗き込んだ。人形のいた位置と逆方向から現れたため、先程蹴り飛ばした本体の方だとリリィは気付いた。
「……残念ながらそのようね」
恨めしそうにアイザックを睨み上げるリリィの髪を掴み、アイザックはリリィの頭元にしゃがみ込みながらリリィの顔がよく見えるように前髪を掴んで持ち上げた。
「ったく、お前の為を思って全力で止めてるこっちの身にもなれよ」
呆れ顔で大きくため息をつくアイザックを、リリィはただ黙って睨み続けた。
「ちっ、俺の方も限界だな。早く病院へ行かないと……」
眉間に皺を寄せアイザックはひとりごちた。ジークに投与ドラッグの作用がなくなり、カバーされていた怪我の痛みが出てきたに違いなかった。リリィの髪を根元から掴み上げ立ち上がるアイザックへ、リリィは仰向けに転がりながら機嫌悪い声を向けた。
「……ねぇ、髪を掴むの、そろそろ止めてくれない?」
ただでさえ恩着せがましい物言いに不満を感じていたところへこの仕打ちである。リリィが苛立つのは当然だった。そんなリリィを見下ろしながら、アイザックは吐き捨てるように言い放った。
「ばぁか。こんな汚いとこで暴れたお前の身体なんか触れるか。お前はこのまま引きずって行く」
その言い方に、リリィはとうとう激昂した。
「ふっざけんじゃないわよっ‼︎」
リリィは半ズボンのポケットからハサミを取り出し、アイザックの掴んでいる所から自分の髪をバッサリと切った。自然、リリィの上体は地面へ落ちる。その勢いを使い、リリィは伸膝後転の要領で下半身を浮かせ、頭と左腕を支えにしてアイザックの背後から両脚を倒すように蹴り込んだ。
蹴りの力自体はそれ程強くはなかったものの、あまりに一瞬の出来事だったためアイザックは振り返る事すら出来ずに直撃を喰らい、うつ伏せに倒れ込む。アイザックが起き上がるより速く、リリィはアイザックの背中へのしかかると、左腕をアイザックの首へ回した。
「片腕が折れててもね、この位は出来るのよっ‼︎」
リリィの左腕がアイザックの左右の頚動脈を確実に圧迫していく。
「す、スリー、パー、ホール、ド……⁉︎」
リリィの腕を振り解こうと踠くものの、圧迫を解除することは出来なかった。人形を操作してリリィを引き剥がす余裕もなかった。
「ミーチャと交替しなさい、アイザック。でないと『落ちる』わよ?」
リリィは本気で『落とし』にかかっていた。最早満身創痍で反撃の余力などないアイザックに選択の余地はなかった。
「……わ、分かった……」
アイザックはポケットから懐中時計を取り出し、蓋を開いた。




