暗がりの説得 /7
ミーチャが拘束された手で器用に折りたたみナイフを広げるさまをぼうっと眺めながら、ジークは黙って座っていた。
ミーチャは手足のガムテープを手早く切り離し、ナイフをたたみ直すと立ち上がりながら持ち主へ投げ返した。ジークはそれを伸ばした指先で受け止め、胸ポケットへ戻した。
「先生、そろそろ理由を教えて下さい。説明もなく僕をこんな場所へ監禁するなんて、少しやり過ぎのように思います」
べたつく手首のガムテープ跡を気にしつつ非難めいた声で抗議するミーチャへ、ジークは無言で顔を横に振る。どうやら「答えられない」という意味らしい。
ジークの秘密主義は今に始まった事ではないが、今回ばかりはミーチャも黙っているわけにはいかなかった。
「……何故、何も教えてくれないんですか? さっきの紋章もそうです。僕に確認するだけして……訳がわかりませんよ」
ミーチャは右手をこめかみに添え当て頭を振る。麻酔でぼんやりしていた頭は、既にはっきりしていた。
「まずい事になっているんでしょう? 僕も手伝いますから。僕はいつもそうしてきたじゃないですか?」
切々と訴えかけるミーチャの悲痛な声が室内で反響し、配管が微かに共振した。ランプの灯火が僅かに揺らめき、暗闇に沈む二人の横顔を一瞬だけ浮かび上がらせる。ジークの表情は、幽霊屋敷に飾られた蝋人形のように凍りついていた。
沈黙が続く中、ジークはランプへ手を伸ばし光量を調節し始めた。カタカタという小さな音が、静かな室内に響いていた。
二人は暫くの間、その場に佇んでいた。
俯きがちにランプを弄る手を止めず、ジークははっきりと聞こえるように言った。
「お前達は手を引け。これ以上関わるな」
ミーチャが反論しかけたが、ジークは間髪入れずぽつりと呟く。
「と言っても、俺が巻き込んだようなもんだな……」
彼らしくないしんみりとした口調に、ミーチャは反論を飲み込んだ。
恐らく何を聞いても、ジークはこれ以上答えはしないだろう。その決意の固さは、彼を包む緊張感が如実に物語っていた。
ミーチャは両腕をだらりと下げ、頭をかくんと落とす。
「せめてこれだけは教えて下さい。なぜ先生が、あの紋章を持ってるんですか」
その瞳に諦念と悲哀を滲ませ、ミーチャは静寂を壊さぬよう呟いた。ミーチャの呟きにランプを弄る手が止まり、灯の揺らめきもなくなった。
一呼吸おいて、ジークの低音が暗闇に響く。
「スカウトされた。それだけさ」
その意味を頭で理解するために、ミーチャは首筋からじわりと噴き出た冷汗が背中まで流れ落ちるだけの時間を要した。
「双頭の黒鷹の、仲間に……?」
わなわな震える口から無理矢理吐き出された掠れ声に、ジークは無言で頷く。
ミーチャは、自分の四肢が末梢から一気に冷えていくのを感じた。
今のジークの言が本当であるならば、ジークはもう……。
ジークはランプを片手にゆるゆると重い腰を上げ、ミーチャへと歩み寄っていく。それを見つめるミーチャの首が、緩やかに横へと揺れ始めた。
ミーチャの目前で立ち止まりランプ越しに見下ろすジークへ、ミーチャは不信感に満ちた視線と軽蔑に震える声を向けた。
「フィンさんを、売ったんですね」
刹那。
ジークの持っていたランプが、ミーチャの頭にこつんとぶつかった。
「ばーか」
実にジークらしい人を小馬鹿にした顔が、光の向こうからミーチャを覗いた。
「俺がいつ患者を売ったよ? こんだけ長い付き合いしてるってのに、お前という奴は……少しは医者の俺を信用しやがれ」
やれやれと言いたげに嘆息しながら、ジークは薄汚れた白衣をひらりと翻した。
「スカウトはされたが、仲間じゃない。元々断る予定だったんだ」
一瞬苦々しい表情を浮かべたジークは、ランプの光へ背を向けた。
ポケットから取り出した飴の包みを前歯で固定し、棒を持つ手首を捻って包みを開けると、包みを吹き飛ばして口へ飴を放り込む。そしてミーチャへ振り返りながら、いつものように棒を歯で噛み締め、ジークはにやりと微笑んだ。
「とにかく、組織の方は俺が何とかする。代わりに、お前には一つ頼みがある」
ミーチャの鼻先へ人差し指を突き出し、ジークは口をミーチャの耳元へ近づけて囁いた。
「ウィルを、何としても足止めしてくれ」
「どうしてですか?」
ミーチャから当然聞かれる問いかけへ、ジークは道化師のような歪な微笑みを浮かべ答えなかった。代わりにジークは、ミーチャが着ていた筈の防弾ベストをひらつかせた。
「え⁉︎ それ僕の……」
思わず自らの胴を触ったミーチャは不覚にも、その時初めて、自分の身体に異物が巻かれている事に気が付いた。
「下手に触るなよ、ダイナマイトだから。アイザックは知ってるんだろ? それがいかに危険な代物か」
ミーチャへ再び背を向け、ジークは扉へと歩き始めた。




