自演 /6
「お前……此処へは戻るなと言った筈だろうっ‼︎」
ミーチャを見て声を荒げる姿はいつものジークらしくなかった。その違和感に警戒心を抱きつつも、ミーチャは笑顔を軽くジークへ向けた。
「ええ、ウィルの所に大事な物を置いて来てしまって……」
言った直後、はっと何かに気づいたような気まずい表情になり、ミーチャは両手の指をもじもじと組みながら俯く。
「戻っちゃダメだってアイザックに怒られたんですけど、どうしても必要で…無理に取りに来てしまいました……。本当に、ごめんなさいっ‼︎」
最後は青ざめた顔で、上半身が水平になるまで勢い良くお辞儀した。そのあまりにミーチャらしい一連の演技に、アイザックは度肝を抜かれていた。
ミーチャは自分の性格を熟知していた。そのため、「素の自分」の行動パターン通りに演技する事は比較的得意だった。ミーチャの割と正直な性格上、そのスキルを使う機会は滅多になかったが、それがなおミーチャの演技の信ぴょう性を高めていた。
〈お前、天才詐欺師と組んで金儲けゲームしてきたら⁇〉
(嘘ついてお金儲けなんて間違ってますよぅ……)
お辞儀姿勢のままミーチャは苦笑いする。ふと足元へ転がってくる小さな金属片に気づき、それを拾い上げたミーチャは愕然とした。
それは、双頭の黒い鷹をかたどったバッジだった。
「先生が、何故これを……」
演技中なのも忘れ、ミーチャは青ざめた顔をジークへと向けた。ポケットへ入っていた筈のジークの右手が此方へ向けられているのに気付き、バッジがジークの手から放り出された物だと確信した。
「……その顔は、やはりか」
合点がいったという風に嘆息するジークへミーチャは詰め寄って行く。
「やはりって……先生、何を知ってるんですか⁉︎ 一体これは⁉︎」
ミーチャが数歩歩み寄ってきた所で、ジークは掌をぱっとミーチャの顔へ向けた。ミーチャが怯んで立ち止まったのを確認すると、「静かにしろ」と言いたげに唇に人差し指を立てる。
「見せたい物がある。こっちだ」
ジークは近くの診察室のドアを押し開けると、背中でドアを支えたまま部屋の内側へと顎をしゃくった。
(先生の見せたい物?)
ミーチャは言われるがままジークの横を通り、部屋の中へ入る。
と、そこへ突然、ミーチャの両側から大きな手が伸びてきた。
逃げる間も無く、白いハンカチのような物で鼻と口を覆われ、羽交い締めにされる。
カビ臭い匂いに吐き気を覚えながら何とか抵抗を試みたものの、直ぐに身体全体が重くなっていくのがわかった。
(吸入麻酔⁉︎)
〈やりやがったな彼奴……‼︎〉
背後でバタンとドアが閉まる音とともに、ミーチャの意識は暗闇の中へ沈んだ。
*
気を失ったミーチャが次に目覚めたのは、全身、全感覚の不快感が充満する、真っ暗な空間だった。
ミーチャの口にはガムテープが貼られ、両手首、両脚首もガムテープで拘束されており、右半身を下に湿っぽく冷たい床に転がされているようだ。頬にべたつく感触があり、何とも気持ち悪い。
手探りで上半身だけ起き上がると、ミーチャは拘束を外す作業に取り掛かる。手首と足首の拘束はどうにもならなかったが、幸いにも手首は身体の前で拘束されていたため、口のガムテープを外すのは容易だった。
無理矢理酒を飲まされた翌朝よりも酷い頭痛と、胃の内壁が口から飛び出るかという程の強烈な嘔気が、その場のミーチャを支配していた。恐らく、周囲に立ちこめる腐臭と湿気のせいだけではないのだろう。
麻酔が残りぼんやりした頭をはっきりさせるため、ミーチャは唇の端を前歯で強く噛む。唇の痛覚と口内に広がる鉄錆の味、そして暗順応した視細胞によって、幾らか明瞭となった意識と視界を周囲に向けた。
辺りは全く見覚えのない空間だった。金属とコンクリートに囲まれており、窓は見当たらない。床は少々湿っぽく、カビにその他諸々の『臭い』と形容され得る匂いが混ざった悪臭を放つ粘着性のゲルが落ちているようである。外界と隔離されている事、そして非常に不衛生な空間である事は明白だった。
(アイザックと交替してて良かったですね。君ならこんな空間、五分と耐えられないでしょう?)
〈気分不快感はお前を介して十分伝わっている。だがその意見には激しく同意だな〉
二人はいつも通りの軽口を叩き合った。それだけで、通常の冷静さを取り戻す事が出来た。
引き続き部屋の内部を観察すると、細長い筒状の物が天井や壁に沿って何本も見えた。また、何処からか水の流れる音が聞こえることにミーチャは気づいた。
(……地下でしょうか? 下水道が近くにあるのでは?)
〈大体そんなところだろうな。で、こんなふざけた真似をした主は……〉
そこまで言いかけた所で、暗室に薄暗い光が差し込んだ。
「……人の言うことを聞こうとしないな、どいつもこいつも……」
低圧ナトリウムランプと思しきオレンジの光を背に、ドアを開けたその人物は暗闇へ言い捨てる。それはミーチャを此処へ監禁したであろう人物と同じ声だった。
声の主がドアを閉めると同時に部屋は再度暗闇に包まれたが、直ぐに手提げ型のランプが灯された。
「ジーク先生、どうして、こんな事を……」
声の主の顔を確認し、ミーチャは眩しそうに目を細めながらランプの向こう側にいる医師へ呟く。しかしジークはそれには答えず、ランプを足元へ置きながら腰を下ろした。
「麻酔は切れたか? 慌てていたからな、吸入量が多かったかもしれん。まだぼうっとするなら立たない方がいい」
清々しいまでの馬耳東風ぶり、及び妙に医師らしい指示に、ミーチャは首を捻っていた。
そもそも、麻酔で気絶させたのはジーク本人の筈だ。『吸入量が多かった』と言っていたが、そこを心配していた割には呼吸や循環の管理をされていた形跡はない。むしろ口をガムテープで塞がれ、呼吸しづらい環境だったように思われる。つまるところ、一歩間違えたら自分は死んでいたのではなかろうか?と、今更ながらミーチャは身震いする。
〈……会話のドッジボールだな〉
(……そしてかなり鬼畜プレイですよ。わかっちゃいましたけどね……)
密かに嘆息し、引きつらせた顔を努力で和らげつつ、ミーチャは現状を冷静に伝えることにした。
「そもそも、手足縛られてますんで……立つどころか、尺取り虫の動きしか出来ませんよ……」
その言葉に初めて気が付いたと言いたげに、ジークは膝をぽんと打つ。
「あぁ、そう言えば。念のため拘束しといたんだっけか」
ジークは白衣のポケットから取り出した折りたたみナイフを軽やかに放り投げた。畳まれたままのナイフは放物線を描いて床に落ちた後、クルクルと床を回りながらミーチャの靴に当たり止まった。
(拘束、解いてくれるんじゃないんだ……)
更なる鬼畜ぶりにがっかりしながらも、ミーチャは無言でナイフを両手で拾い、自力でガムテープを切り始めた。




