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ペクトラ  作者: KEN
ジーク•ウルド 第二幕 〜欺瞞〜
59/131

紋章  /4

 ジークの病院からヘリで丸一日飛んで本部へ戻った直後、ミーチャは、約束していた時刻に掛かってきたウィルからの電話を受けた。


「予定通りに着いたみたいで何よりだ」


 ウィルの安堵した声を聴き、ミーチャは手渡された紙切れの走り書きを思い出しながら盛大な溜め息を吐いた。


「……あれは余りにひどい注文ですよ、ウィル」


 前置きも説明もなく、ミーチャの口からは真っ先に文句が飛び出た。それは冷静で温厚がとりえのミーチャらしくはなかったが、ミーチャの不満が声から伝わったのか、ウィルは言い返す事なく素直に謝罪した。


「焦ってたからな。悪い悪い」


 申し訳なさそうに繕っているのが見え見えの声に軽く苛立ちを覚えながらも、ミーチャは冷静な口調を保つよう努めた。だが電話台を叩く人差し指の音だけは抑える事が出来なかった。


「せめて、彼の覚えている限りの全行動がわからないとキツイですよ。ただでさえ時間がないんですよ? ウィルも少しは情報を集める努力をして下さいっ!」


 最後は溜まった鬱憤をこらえきれず、つい強い口調になってしまった。受話器の向こうから短い呻き声が聞こえた後、音が遠ざかるのが分かった。大方、ハウリング音に驚き受話器を耳から外したのだろう。だがミーチャの立場からすれば、これは八つ当たりしたくもなるというものだ。罪悪感は芽生えなかった。


「……分かった分かった、ちょうど今フィンがいるから、少し話を聞いてみよう」


 まだ耳がキンキンするのか、受話器を持ち替えるような雑音とともに、困惑したウィルの声が聞こえた。


   *


 フィンがウィルと出会う前のひと月の間、ウィルの住んでいた街の近くでは奇妙な事が起きていた。それは「事件」と言うにはあまりに自然的な、寧ろ天災に近いものばかりだった。一件目はウィルの街から少し離れた山中の一軒家の落盤事故、二件目はそこから更に山中へ入った廃村跡での土砂崩れ、三件目は廃坑跡の地下トンネルの爆発事故、四件目は一山越えた村での落石事故――これらの出来事が、約一ヶ月間で立て続けに起きていたのである。その一つ一つはなんの変哲もない偶発的な事故と世間では扱われていた。しかしフィンから話を聞いた限り、彼の行動範囲がその事故現場と合致しているのは、見過ごしてはならない事実だと言えた。ミーチャはそれら五件の事故を重点的に調査する事にした。


   *


 最終的にミーチャがその手掛かりに行き着いたのは、ウィルに電話をした後、自室で調べ物へ没頭し、十日程経過した後だった。

 ミーチャは気になる調べ物があると本部の自室に閉じこもる事がままあった。風呂は勿論、寝食すら忘れて一つの事に没入出来るのはミーチャの長所の一つであると、相棒のアイザックは心から尊敬し認めていた。しかしその長所は同時に、潔癖性のアイザックには非常に辛いものだった。空腹や寝不足はあまり苦にならないが、不衛生な環境だけはアイザックにとって耐え難い苦行に他ならなかった。


「二つの頭を持つ、黒い鷹?」


 調査の末に行き着いたその紋章に、ミーチャの目は釘付けになった。いつも前髪を留めているピンも外し、ぼさぼさの頭髪をかきあげるミーチャの姿はすっかり別人だった。ふと机上のスタンドミラーに目をやり、ミーチャはあまりに粗雑な自分の姿に苦笑いした。


(まず、シャワーを浴びましょうか)

〈そうして貰えると助かる〉


 困惑気味のアイザックの顔が、鏡の向こう側にはあった。


   *


 本部の男性が使用するシャワー室は、大衆浴場の壁沿いに、電話ボックスの如くずらりと並んでいた。その一番奥のシャワー室がミーチャのお気に入りだった。曇りガラスのドアを引くと、正面の壁に三つのシャワーヘッドが縦に並んでいて、横にはそれぞれの栓を開くコックが取り付けられていた。


(現時点の情報を整理しますね)


 一番上のシャワーの栓を開き、少しべたつく頭髪を微温湯で流しながら、ミーチャはアイザックと頭の中で議論を始めた。


 余談だが、重要機密を漏らさないようにとの配慮から、本部のペクトラが公共の場で声に出さずに会話をするのは暗黙の了解となっていた。ウィルは面倒がって嫌がりがちだが、ペクトラにとって息をするように「声に出さない会話」をするのは必須のスキルとも言えた。


(フィンはひと月以上前の記憶がない。ウィルと会う前のフィンの辿った経路は、少なくとも僕達が調べたデータ上では特定出来ませんでした。でも、ウィルの街の周囲で起きた偶発的な事故のうち、幾つかがフィンの辿った場所と合っていた。そうでしたね?)


 シャワーを出しっ放しにしたまま、ミーチャは備え付けのシャンプーを手に取り、髪を洗い始めた。


〈ああ、しかもそれは、フィンの記憶がある一ヶ月の間に発生している。断言は出来ないが、関係がある可能性は十分あるな〉

(ええ。そして例の紋章が、少なくとも始めの二件で密かに見つかっています。という事は……)

〈その紋章を掲げる組織がフィンの命を狙っている、という事だろうか?〉

(わざと生かして泳がせている可能性もあるのでは?)


 ジャンプーの泡をすっかり落としたところでミーチャは一旦シャワーを止め、今度はリンスを髪につけた。


〈説明がつかないな。あんなヒョロい男の一人位、手練れでなくとも捕らえられるだろう。命を狙った結果の事故ととるべきじゃないか?〉

(それならば尚理由がわかりませんよ。フィンさん一人消す為にわざわざ目立つ事故を起こすなんて、非合理的です。寝込みを襲えばそれで済む話でしょ。フィンさんのユルい風貌からして、普通そう思う筈です)

〈……俺もお前の事は言えないが、お前も大概フィンの事をディスってるよな〉

(気のせいですよ、気のせい)


 ミーチャはシャワーで一気にリンスを流しながら、静かに微笑んだ。

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