本気と冗談の境界 /2
「あぁ、もう不正アクセスがあったのか」
取るに足らないとでも言いたげに飴を咥えるジークの態度にアイザックは憮然とした。
「先生、そんな悠長な事を……」
呆れ顔のアイザックに背を向け、二人分のコーヒーをカップにつぎながらジークは肩を竦めた。
「それを見越して、わざわざ偽造データやセキュリティープログラムを作って貰ったんだろう?」
「……そもそも、先生が危ない組織に関わりさえしなければ、そんな事をする必要はないんですよ……」
「でも今回の場合、狙いは俺ではなさそうだな」
書斎のドアにもたれ腕組みしたまま嘆息するアイザックに、ジークは背を向けたまま答えた。その声は唐突にシリアスな雰囲気に変わり、アイザックは一瞬耳を疑った。
ジークという人間は人と話す際、意図的に感情を隠す傾向があった。そのため彼の発言が何処から本気で何処まで冗談なのか分からないというのは、ままあることだった。
ミーチャも言動が読めない部類の人間だが、ジークはレベルが違いすぎた。ジークを完全に理解出来る人間など、本人以外には現れないだろう。そうミーチャに思わせる程、ジークは感情が読めない人間だった。
「……ええ、そうですね……」
「だろう?」
差し出されたコーヒーを受け取り相槌を打つアイザックに、ジークは飴の棒を噛み締め、唇の端でにやりと笑った。その不吉な笑みは道化師の面を想起させた。
「フィンかウィルか……恐らく前者かな。それとなくウィルに聞いておこうかね。大して期待は出来ないだろうが」
さして問題でもないかのような表情で、しかし声は真剣な重低音を崩さず、ジークはコーヒーを啜るとひとりごちた。ジークが今回の件をどれだけ重大に考えているのか、アイザックにはさっぱり分からなかった。
――本当にこの人は、本気と冗談の境界が掴めない人だ。
まだ熱いコーヒーにミルクを注いでかき混ぜ、アイザックは心の中で溜息をついた。
*
「そう言えば、翌日に検査を受けた時、ジークにフィンの事を聞かれたな。彼奴が普通の人間に興味を持つのは変だと思っていたけど、そういう意味だったのか……。それでフィンのCTを……」
思い出すようにぶつぶつ呟くウィルの横顔を、アイザックは眼鏡越しに注意深く見つめていた。
ウィルの性格からして、こちらの話を全て聞くまでは軽々に暴れ出さないだろうとアイザックは予測していた。しかし、此方の話を聞く必要がないと判断し、アイザックを振り切ってジークの元へ走る可能性は十分ある。少しでもウィルを足止め出来なければ、ジークの計画は水泡に帰すだろう。それだけは阻止せねばならなかった。
そもそも、身体能力自体はミーチャよりウィルの方が勝っていた。ウィルが本気で暴れたら、アイザックでも制圧するのは手こずる筈だ。ましてリリィには全く敵わないだろう。念のため鏡を回収しておいたのはそれを回避するためだった。
本当は、リリィの持つ特殊な事情を知っているアイザックの立場としては、ウィルにすら話をしたくなかったのだ。ウィルはその事情を知らない筈だ。だから現時点でリリィに聞かれなかったとしても、全てが終わった後で記憶の共有をしてしまう事は十分予想出来る。その時、リリィはこう言うだろう。
――アイザック、あんたを一生許さない、と。
〈すまない、リリィ。お前に一生憎まれたとしても、俺はお前を行かせるわけにはいかない……〉
伏し目がちに下唇を噛み、アイザックは掠れ声で念を押す。
「頼むから、リリィには聞かれないようにしてくれよ。これまでの話も、これからの話も」
「……ん? あぁ、大丈夫だから、続きを早く頼む」
素直に話を聞く姿勢を見せているウィルに、アイザックは少しだけ安堵した。




