旧友の帰城
さて、ここで話は一旦数日前に遡る。
場所は旧トキリア王国、エペソス城の城下町。
ケインはウィル達と別れた後、ユーリを強引に引き連れて帰国していた。ユーリの処罰も考慮せねばならなかったが、とりあえず世話になっている城下町の医師にユーリの治療と拘束を依頼すると、ケインは単身登城した。
城の自室に着いてすぐ、ケインは報告の呼び出しを受けた。呼び出した者の名前を聞き、ケインは少し憂鬱になった。彼とは親しい間柄ではあるし、彼に会える事自体は心から嬉しかった。だが彼は自他共に認める厳格な人柄だ。任務失敗を報告などしようものなら、その鋭い視線に射抜かれて持続的に自分の中の何かが減少することは必至だった。それに、フィンと彼の過去を考えると、彼にフィンの話をするのは気が重かった。
(はぁ〜、何処迄話せば良いんだろう……)
ため息を漏らしてケインはドアを三回ノックし、呼び出し主の部屋へと入った。
「ケイン•エルメス、任務報告に参りました!」
力のこもったケインの声が部屋に響き渡る。その声に答えるように、窓側を向いていた大きな椅子がギシリと音を立ててくるりとこちらを向いた。
「……お互いに城に居られる機会はそうないからな。早々に呼び出してしまった。すまない」
椅子の主の青年は、かけていた色眼鏡を外し立ち上がった。生来の目を隠すため、彼は日頃から色付きのコンタクトや眼鏡を使用していた。コンタクトより眼鏡の方が使いやすいが、眼鏡のつるが赤茶色の癖毛にひっかかるのだけは困る――以前そう青年がぼやいていたのをケインは思い出していた。
「はっ! 本日戻りました! テイル第一……」
儀礼的な語調のケインを制するように、青年は手を静かに広げて前へ突き出した。
「人払いしているから、他には誰もいない。昔のように普通に話してくれ」
「いや、しかし、今は立場が違……」
困惑するケインを強い視線で黙らせ、青年はきっぱりと言い放った。
「忘れたか。あの日から俺達は、立場は違えど同じ目的を果たす同志だと言っただろう。地位の確認など周りの馬鹿どもにさせておけ。今の俺は只のテイルだ」
「……わかった、テイル」
ケインはテイルが昔と殆ど変わっていない様子である事に内心安堵していた。
テイルは眼鏡を机の上に置くと、ケインのすぐそばに置かれた椅子に座るよう促し、自らも椅子へ深々と腰掛けた。
「本当は色々と話をしたいのたが、俺も長期滞在は出来ないんだ。とりあえず、今回の任務について教えてくれ。お前が連行出来ずに帰ってきたということは、余程手強い相手だったのだろう?」
真っ直ぐケインを見つめるテイルの視線は、昔から慣れ親しんでいるケインでさえ軽く威圧感を感じる位強かった。
テイルの一族には稀に僅かに縦長な瞳孔を持った人間がおり、テイルはその稀な瞳を持って産まれた人間だった。そのため、明るい場所では、テイルの眼は猫の様にキレの細い瞳孔となった。その人らしからぬ眼が彼のきつい印象を更に助長させていたのだった。
城内の人間の中にはテイルの事を「猫の眼」と蔑視する者もいたが、テイルの人となりを知るごく僅かな人間は、テイルに理解を示し信頼を寄せていた。旧友のケインもその一人だった。
「手強かったというか……不測の事態が発生したんだ。それで捕まえられなかった。申し訳ない」
深々と頭を下げるケインに、テイルは何でもない事と言う様に優しい低音で答えた。
「俺が任務の事でお前を咎めた事はないだろう? そんなに気を落とすなよ」
机の上のコーヒーカップに手を伸ばし、テイルは一口だけコーヒーに口をつけた。そして穏やかに言葉を続けた。
「でも珍しいな。お前がしくじるなんて」
ケインは言うのを躊躇った。しかし、テイルにとって非常に重要な案件である事が分かっているのに、自分が言わないのは裏切り行為だ――ケインはそう思い口を開いた。
「密入国の件で言語学者を事情聴取しようとした際、彼奴を見つけた……フィニス•リーカーを 」
ケインの口から重々しく発せられた言葉に、テイルの表情が一転、険しくなった。
「彼奴、生きてたのか……!」
肘掛けを握る手が強くなり、椅子からギシギシと軋む音が漏れた。予想出来てはいたが、テイルはフィンの名前に過剰な反応を示した。彼の瞳はさながら、獲物の鼠を追い詰めた猫の様にぎらついていた。
「テイル……」
緊張したケインの掠れ声でテイルは我に返った。
「……それで、奴は?」
荒ぶる鼓動と乱れる呼吸を整えつつ尋ねるテイルに、ケインは更に申し訳なさそうに縮こまった。
「……すまない、逃げられてしまった……」
「そうか……」
隠しきれない落胆の色を見せつつも、テイルは努めて明るくケインを励まそうと笑顔を作った。
「逃げられたのは仕方がない。今回の接触は想定外だからな」
しかし、そう言うテイル自身の身体は、湧き立つ憎悪に震えを抑えられなかった。心を鎮める為に再びコーヒーを一口飲み込むと、テイルは肺の中の空気を全て吐き出す様に深呼吸した。
「彼奴が生きているとわかったならば、俺の職権を使う時が来たか……」
テイルは天井を見上げ独語すると、何かを決意した様に暗く、鈍く、しかしながら確かに強い視線をケインに向けた。
「分かっているな、この事は他言無用だ。城の人間も殆ど信用ならないからな」
その有無を言わせぬ佇まいに、ケインは寒気すら覚えた。その場の空気は言葉を発する事が許されないかの様な緊張に包まれ、ケインはテイルの考えている事を聞く事も出来ず、ただ黙ってゆっくり頷いた。
ーータンッ。
そして静寂は、テイルの背後に突如降り立った軽い靴音で破られた。




