狂気の医師
リリィとの喧嘩を気の済むまで繰り広げたのち、ウィルはばつが悪い顔で三人に向き直った。
「色々迷惑かけたようで……ありがとうな」
「何よ、妙にしおらしくしちゃって。らしくないわね」
絆創膏だらけの顔でウィルをちゃかすアンネに、ミーシャもにこにこと頷いて同意した。
『ほら、フィンも文句言ってやんなさい。頭と左腕と右足に包帯巻くレベルの大怪我をしてるんだから』
言葉がわからず一人困った顔のフィンをアンネはけしかけた。しかしフィンは面目なさそうに縮こまった。
『いや、元はと言えば俺のせいで皆に大怪我をさせてしまったから……俺の方が二人に謝らなければならないよ。すまない』
ウィルは大袈裟にため息をついた。
『そんなの気にするだけ損だぜ? 皆助かってわいわい言ってる、この状況でさ』
『そうよフィン、そんな事を気にするより、ウィルにリンゴを食べさせてあげた方がよっぽど有意義よ』
アンネも一口大に切ったばかりのリンゴを差し出し微笑んだ。
『そゆこと、さあ食わせてくれ』
ウィルは豪快に口を開いてみせた。その顔でフィンはようやく硬く強張った顔をほころばせた。
「それにしても、手術成功して本当によかったです。さすが先生だ」
三人の雰囲気が和んだ事に安堵し、ミーシャは口を挟んだ。そのミーシャの声にタイミングを合わせたかのように、病室の入口からコツンと靴音が響いた。
「いやはや、お前達ペクトラという種族は本当に興味深いよ」
そこには長身の男性医師が一人、長白衣のポケットに両手を突っ込み立っていた。その姿にウィルは見覚えがあった。
「げっ、お前……ジーク!」
その男の存在で自分の居場所を正確に認識したウィルは、慌ててミーシャを振り返った。
「こらミーシャ! なんでここへ連れてきた!!」
「ええ~! ウィルが急いで医者へ連れてけって言ったんでしょ⁉︎ 直ぐに受け入れて貰えてあそこから速く着ける場所なんて、ここしかなかったですよ!」
おろおろしながらも懸命に反論するミーシャを横目に、ウィルは包帯の巻かれた頭を右手で押さえ呻いた。
「確かにそう言ったけどなぁ、よりによって此奴のとこって……」
しかしジークと呼ばれた医者は、ウィルに露骨に嫌われている事など歯牙にもかけず、マイペースに話を続けた。
「いやはや、お前達ならではだよ。エクストラの異常と受傷起点だけで頭部外傷を診断してしまうあたりが。医者要らずだねぇ」
「……ご丁寧な嫌味をどうも」
ウィルは歯をぎりりと噛み締めジークを睨みつけた。ジークは肩をすくめてベッドに歩み寄り、弁解のように皮肉った。
「まさか。そりゃ確かに、お前の頭を手術した俺に対してのお前の態度には些か思う所はあるが、それだけだ」
ベッド脇に立ち、口に含んでいた飴玉の棒を外すとジークはウィルを見下ろした。親し気な口調と微笑みに反し、彼の眼は冷たく光っていた。二人の経緯をよく知らないアンネとフィンは、互いに不安げな顔を見合わせミーシャへと視線をやった。そのミーシャはというと、ただただ険悪な二人の間で黙っておろおろするばかりだった。
「別に感謝しろだとか敬えだとか、そんな事を言うつもりはないさ。それなら俺の研究に被験体として付き合ってくれる方が余程有難いしな」
ニヤリと唇の端で笑みを作るジークに、ウィルはうんざりした声を吐き捨てた。
「あんたの研究とやらに付き合わされて、こっちがどんな目にあってきたと思ってんだよ。頭に電極刺されそうになるわ、目玉に針を突き立てられそうになるわ、指を変な方向に曲げられそうになるわ……。まして、こんな貸しを作ったら、それこそ命がけの実験でもさせられかねない。そもそもまともに手術したのか⁉︎ 変な物を埋め込んだりしてないだろうな?」
ジークは心外と言わんばかりに首をゆっくり振った。
「大事な被験体の安全を保証していない実験なんか、俺はしたことないぜ? 手術だってそうだ。俺が変な事してたら、多分お前は目覚めてすらいないよ」
「嘘つけ」
ウィルは間髪入れずに否定した。
「お前は優秀な脳外科医だ。だから難しい手術を強行しても患者は死なない。死なないかわりに患者は人格や記憶ががらりと変化してしまう。そう聞いたぜ、俺は」
ウィルの言葉をジークは否定しなかった。その表情は不気味な程無表情に固まっていた。
「……別に俺を信用しなくてもいい。でも、お前達の人格は何も変わっちゃいない筈だ。今回は頭の圧迫を解除しただけなんだからな」
ウィルの苛立った表情がその言葉に一瞬迷い揺れた。
「……ジーク先生はペクトラの研究者なの?」
ウィルが口を噤んだ隙にアンネはミーシャへ耳打ちした。その声をジークは聞き逃さなかった。
「俺の呼び名はジークでいいよ、アンネ・シーベルト博士。貴方は割とご高名な方だからね、俺でさえ名前を知っている位だ。改めて宜しく」
アンネの隣に座るフィンとミーチャを押しのけ握手を求めるジークに、アンネは顔を強張らせて手を握り返した。
「……私のような平凡な言語学者の名を覚えてくださっているとは、光栄ですわ。先生」
「いえね、以前リリィに聞いた事があるんだ。『ペクトラでもないくせに常識の枠の外にいる人間』だとね」
ジークの赤裸々暴露にアンネはウィルをジロリと睨んだ。リリィの奴、やっぱりろくな事を喋ってなかったわね。アンネの眼はそう言っていた。
「おい、俺じゃないって、リリィだって!」
怒り心頭のアンネにすっかり狼狽し、ウィルはジークを怒鳴りつけた。
「おいジーク‼︎ 余計な事を言うと、二度と研究に付き合わねーぞ‼︎」
ジークはウィルへくるりと向き、今度は驚く程まっさらな無表情になった。
「悪いが、俺の博士への興味は既に薄れつつある。やはり一般人では俺の興味を満たすには足りないな」
そう言うとジークは、今度は不自然な程爽やかな笑顔でミーシャの頭をわしゃわしゃと撫で始めた。そこには少々危ない雰囲気すら漂っていた。
「……ジークは本当に、ペクトラの人達にしか興味ないのね……」
どんどんぐしゃぐしゃに乱れて行くミーシャの頭を気の毒そうに見つめながら、アンネは同情を込めて言った。ミーシャはされるがままになりながらも頷いた。
「ええ、先生は、僕達ペクトラの存在に非常に興味があるとかで、たまに変わった実験に付き合わされるんですよ。例えば……」
説明しようとするミーシャへジークは不自然な笑みを崩さず、ミーシャの肩を強く鷲掴みにした。
「こらこら、博士は専門ではないとはいえ、研究内容を迂闊に口外してはいかんな」
優しい口調ではあったが、肩を掴むジークの長白衣の袖口に妙な物が顔を覗かせている事にアンネは気づいていた。それは鈍い銀色の光を放つ索状物の先端に見えた。刀剣か鈍器か、はたまた銃器かもしれなかった。この医師は一体どのような「実験」をしているのだろう……。
ジークがミーシャの頭をリズム良く叩いたところで、病室にチャイム音が響いた。
「おっと、仕事をサボりすぎた。じゃな、ウィル。また後で話をしよう」
ジークは長白衣を翻し、何事もなかったかのように病室を去って行った。
「嵐のような人ね……」
ぽつりと呟くアンネへウィルは頷いた。
「ああ。あれでキレたら手が付けられないんだ。サシで話す時は気をつけた方がいい」
「それにしても不思議だわ」
「何が?」
「普通、人間ていうのは親近感がわくと好感度は上がる筈なのよね。でも私、あの人に親近感は湧くのに全く好感持てない……」
(それはきっと、同種のマニアック人間に対するライバル心が原因なんだろうなぁ……)
ウィルは密かにそう思っていた。