病院へ
病院の屋上にはストレッチャーを引いた看護師数名と長身の医師一名らしき姿があった。アイザックはヘリを着地させ、プロペラは回したまま入り口のドアを開けた。途端、耳をつんざくような轟音がヘリ内に充満する。しかしそんなことを気にしてはいられなかった。
アンネとフィンは、プロペラの風圧でよろけながらもウィルをヘリから抱え下ろした。すかさず待機していたストレッチャーが速やかにヘリの脇に着き、ウィルは直ちにその上に寝かされた。両脇のサイドフレームを立ち上げた後、ロック解除されたストレッチャーは速やかに病院内へ運ばれて行った。
長身の医師は一人ヘリの傍らに残っていた。ポケットから棒付きの飴玉を取り出しヘリの内側を覗き込むと、飴玉を振りながらアイザックに声をかけた。
「よお、思った通り早く着いたな!」
アイザックは医師へ深々と一礼し、医師はにかっと笑った。
「ありがとうございます先生、急に連絡をしてしまい、申し訳ありません」
「その可愛げのない真面目顏はアイザックの方だな? ははっ、高エネルギー外傷患者を予約制で受け付ける病院なら、飛び入りに文句を言うかもしれんがね。……ん? そんな予約を受け付けてたら、俺は殺人幇助にならないだろうか?」
自分で言った冗談に、医師は急に真面目に考えこみ始めた。腕組みしながら飴玉で唇を叩く医師に「そんな事はどうでも良いんで」と言いたいのをぐぐっとこらえ、アイザックは言葉を選んだ。
「それも大事な問題かもしれませんが……ウィルの奴、助けてやってくれませんか?」
アイザックの言葉に医師はにやりと笑い、飴玉を口に咥えた。
「助かるかどうかはウィルの身体次第。それより、助かって欲しいのはウィルなのか? それとも……」
アイザックは僅かにムッとした。今は笑えない冗談に応じられる余裕はなかった。医師はやれやれと言いたげに肩を竦め頭をかいた。
「相変わらずカタい奴だなあ……まあいい。こっちは最善尽くしてやるから、ヘリを別の場所へ移せ。いつもの場所が空いてる」
白衣をばさりと翻し病院に入っていく医師の背中に、アイザックは再びゆっくりと一礼した。
「アイザック、あの人がお医者さま?」
アンネの耳打ちにアイザックは静かに頷いた。
「ジーク•ウルド。優秀な脳外科医だよ……いい意味でも、悪い意味でもな」
*
ウィルの手術が終わるまでの間、三人は重苦しい面持ちで手術室横の待合室で待っていた。何時間たった頃だったか、ヘリを出迎えた医師が疲労困憊顏で手術室から現れた。ミーチャは医師に駆け寄った。
「ジーク先生、ウィルは……?」
ジークは手術室用の帽子を脱ぎ捨て、軽く頭を振ると言った。
「直前にお前、いや、アイザックに聞いた通りだったよ。おかげで手術範囲を最小限にすることができた。速やかに処置できた筈だが……あとは目覚めるのを待ってやれ」
ジークの額には汗がにじんでいたが、表情は柔らかかった。
*
ウィルが目覚めたのは、手術が終わってから丸二日たった後だった。
意識が朦朧とする中、自分がヘリに乗った後気絶した事まで思い出し、ウィルははっとした。すぐさま飛び起きようと試みたが、頭痛と全身の筋肉硬直から、身体を動かすこともままならなかった。どうにか開眼と首を動かす事だけは出来る様なので、静かに周囲の観察を行う事にした。
自分が寝ていたのはクリーム色のカーテンが掛けられた硬いベッドの上だった。足元のカーテンは開いているのだろう、頭の方に比べ僅かに明るかった。仄かに漂う消毒薬っぽい匂いで、ウィルは自分が病室に寝かされている事を認識出来た。少し首を擡げて足元を見ると、目の下にクマを作ったミーシャと眼が合った。
「ウィル、目が覚めたんですねっ‼︎」
ぱあっと顔を明るくするミーシャの声に反応したように、カーテンの向こうから人の立ち上がる音が聞こえた。続いてフィンとアンネがカーテンの隙間から顔を覗かせた。
「あぁ、まだ動かないで。……手術、成功したんですよ」
無理矢理起き上がろうとするウィルを制止しつつ、ミーシャはウィルの頭元に駆け寄った。ウィルは虚ろな目でゆっくり頷いたが、突然はっと目を見開いた。
「か、鏡、貸してくれ!」
ミーシャは頷き、枕元に立てかけてあったスタンドミラーをウィルの顔の上に翳した。ウィルは鏡を見つめていつもの名を呼びかけた。
「リリィ?」
しかし、いつもの凛とした声は返ってこなかった。ウィルの顔からさっと血の気が失せたのがミーシャにもわかった。
「……おい、何で返事しないんだよ……」
ウィルは悔しそうに顔を歪め、右手を握りしめた。
「……だって、手術は成功したって……だから、答えてくれよ……」
ウィルの表情は徐々に悲嘆へと変化した。
「……お前、言ってただろ? あの星空の下で……」
ウィルは言葉を一生懸命絞り出した。涙が両眼に溜まり、視界が霞んだ。
「……あの言葉は、嘘だったのか……!?」
……それでも、返事は無かった。
「……リリィ!!」
ウィルは右拳を握り締めた。ただただ、無力感がウィルを苛んだ。そしてミーシャを始め、周囲の人間も無力感に打ちひしがれた。
「ーーーーーーっっぁ‼︎」
声になり損ねた叫びとともに、ウィルは右腕をベッドに叩きつけようとした。
その刹那。
――ばちーんっ‼︎
ウィルは自分の顔をはたいた。
――いや、最適な表現をするならば、ウィルの左手が勝手に動き、ウィルの横面をはたいた、と言うべきところだった。
一瞬何が起きたか分からなかったが、ウィルははっと鏡を見直した。
「……うるさい」
瞬きした次の瞬間、ベッド上の少年の表情は、寝起きのような暗い顰め面に変わった。鏡を支えていたミーシャは直ぐにその意味を理解した。
「……まあ、ウィルの判断のおかげで私がここにいられたって事実は、認めてあげる」
顰め面の中に僅かの謝意を込め、リリィはいつもの口調で話した。再度瞬きし、ウィルは今度は驚きの表情になった。
「……リリィ……なんだな……‼︎」
いつもの和やかな空気が病室を包みこんだ。
「……ったく、心配しただろが」
「もとはと言えば油断して殴られたウィルが悪い」
「おまっ、その言い方はないだろっ⁉︎」
ひとりで涙を拭いふくれっ面になるウィルの姿は、本来ならば奇妙な光景であっただろうが、一同はほほえましく見守るのだった。




