行き倒れの青年 〜side Will
ウィルが人ごみの最前列に顔を出すと、一人の人間が地面に叩きつけられた瞬間が見えた。顔面着地っ‼ 痛々しいその格好に、ウィルは声を上げそうになった。
よろよろと頭を上げる青年へ先ず駆け寄るべきか迷ったが、ウィルは状況判断を優先した。現時点では情報が少な過ぎた。見た目は明らかにただのカツアゲだが、人相が悪いだけの善人が犯人を捕らえてシメている光景、という可能性もある。双方のやり取りをもっとよく観察しようと、ウィルは更に身を乗り出した。
取り巻きの男達は、強面な事を除けば特筆すべき事もなかった。だが殴られている青年の方は違った。
頬は痩せこけ、手の指は妙に骨が浮き出て長く見えた。顔を覆う程長く伸びた鈍い金色の髪。干からびた魚みたいに濁った黄色の瞳。擦り切れた焦茶のポンチョ。長い間まともな生活を送れていないのは明らかだ。
ウィルは眼を疑った。多くの国々を渡り歩いてきたウィルだったが、そもそもみすぼらしい姿をした人間に遭遇した事が無かった。ある筈が無かったのだ。
この世界の大前提である「生者生きるべし」という言葉は、人々の生活環境を最低限保証する「民の権利」であり「国の義務」を表していた。この世界のシステムを考慮すれば、大の大人が餓える理由は思い当たらない。
とにかく、男達の所業はやりすぎだ。男達を止めようと一歩踏み出した時、青年の言葉が聞こえた。
『……俺は、ひとりなんだな』
それは通訳を得意とするウィルですら、聞き覚えのない言語だった。理解できたのは、ウィルだけの特別な能力があったからだ。どんな言語でも、一言聞いただけで理解し話せるようになる能力が。
〈ちょっと。余計なことに首を突っ込むのは止めときなさい〉
凛とした声に、出しかけた二歩目が止まる。リリィの声には、意識を一瞬停止させる圧力がある。
ウィルにとってリリィは、もう一つの自分とも呼べる人格だった。このリリィが特殊能力の原因であり、一生付き合って行かねばならない腐れ縁である。いわゆる前世から縁があるらしいが、ウィルにその時の記憶はなかった。
リリィがウィルの言動に口出しすることは基本的にない。けれど面倒ごとには巻き込まれたくない信条が、今回はウィルの意志に反していたのだろう。
(だけど、あれは止めなきゃまずいだろう。それにさ、ちょっと興味わかないか? あいつ)
そう、ウィルは興味をそそられていた。なぜ青年はこの街にいるのか――そのことよりウィルは、青年の言葉そのものに興味があった。
ウィルには「孤独」という概念が欠如していた。生まれた時から理解できない言葉はなく、リリィという存在もずっとそばにいる。そんなウィルにとって、孤独という概念は未知のそれだった。混沌としたウィルの心情を敢えて言葉にしたのならば、それは渇望と一抹の撥無だった。
更に言うならば、ウィルはストレスボルテージが最高状態だった。仕事を終えたのちのささやかな楽しみを邪魔され、溜まった鬱憤と苛立ち。それを吐き出す場がウィルには必要だった。
〈まぁいいか。あの程度なら、あなただけで何とかなるでしょ〉
(おーし、まかせとけぃ!)
にやり。
ウィルは一番近くにいた大男に狙いを定め、ダッシュ。そして男が気づいたと同時に右足で踏み切り、 華麗にとび蹴りを食らわせた。 キック到達時には、左踵を軸とした時計回転を加える徹底ぶり。この間、僅か数秒。
右顔面に左方向のベクトルを加えられた男は、清々しいほど綺麗に吹っ飛んだ。蹴った男の結末を確認することなく、ウィルは曲げていた右脚を伸展させ素早く地面を蹴りつける。
――ダンッ‼︎
蹴りの反動で跳び返り、今度は左腕を上体ごと右側に捻りこむ。跳んだ先にいた男の一人に狙いを定め、跳躍の勢いそのままに、上体の捻りと右手の押しで力を上乗せした左肘を全身で振り下ろした。
――ガツッ‼︎
肘鉄を諸に頬に受けた男は、前歯と血を飛ばし突っ伏すように倒れこんだ。
一瞬の出来事だった。攻撃を受けた当事者達を含め、状況を把握できている者はいなかった。
唖然とする残りの男達の眼前に、ウィルはでんと立ちはだかる。
「何だぁ? お前」
残った男達は睨んだが、ウィルは全く怯まない。満面の笑みを浮かべ、背後へ親指を向けると言った。
「この人、俺がもらうね」
男達は一瞬ぽかんとしたが、すぐにいかつい顔に怒りを漲らせた。
「……お前、俺達なめてるのかぁ? あ?」
「怪我しないうちに、坊やはうちへ帰りな‼」
男達の怒りのボルテージがみるみる上がっていくのがわかったが、そんなことはウィルには関係ない。とび蹴りと肘鉄程度でおさまるほど、今日のウィルは生易しくなかった。
(残りのこいつら、どう痛めつけてやろうか)
指の関節を鳴らして薄ら笑いを浮かべる。暴力を振りかざしたのは、あちらが先だ。これは正当な防衛であり、決して八つ当たりではない。
後ろの青年は、もう伸びてしまっただろうか。孤独っていうのは、どんな気分だ? そう問いかける代わりに、ウィルは青年の言葉を使い呟いた。
『お前は本当にひとりなのか?』