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ペクトラ  作者: KEN
断章 エマ・キルシュバウム ~泉下~
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本当の姿

 夜が白々と明ける頃。


(……あれ、俺、いつの間に眠ってたっけ……)


 ウィルは寝ぼけ頭で目を覚ました。視界に飛び込んできた大きな金属の塊を見上げ、ウィルは今寝ている場所が教会の鐘の真下だと認識した。


(あぁそうか、俺は昨日の晩、アンジェリーナと話をしに来たんだ……)


 眠い目を擦りウィルはゆっくりと起き上がった。稜線にかかる雲に朝日が反射し、街を囲む山並みは幻想的に輝いて見えた。美しい光景にしばし見とれていたウィルだったが、突如、自分の現在地に大いなる問題がある事に気がついた。


「今何時っ⁉︎ ってかここはまずいだろっ!」


 慌ててウィルは梯子を滑り降りた。半分ほど梯子を降りたところで朝を告げる鐘が厳かに鳴り始め、ウィルはほっと胸を撫で下ろした。あんなもの(鐘の音)を真下で聞いていたら、しばらく耳鳴りに悩まされてしまうだろう。危なかった。

 ウィルは人目につかないよう注意を払いつつ、昨晩の逆路で教会を抜け出ると何食わぬ顔で宿屋へ歩き始めた。硬い床で寝たせいでカチカチに凝り固まった肩をストレッチで解しつつ、ウィルはリリィに話しかけた。


(結局、アンジェリーナとはどんな話を……?)

〈貴方も聴いてた通りよ。エクストラになる前の話、ダムの話、この世界の話、等。〉


 いつもと何ら変わりないリリィの淡々とした声に説明のつかない苛立ちを感じたものの、ウィルは黙っていた。

 宿屋の清算を済ませ、ウィルは依頼人へ電話連絡を入れた。依頼は遂行できたであろう事、再び問題が起こるようであれば依頼時の連絡先に問い合わせをする事、依頼料は一週間以内に現金書留か銀行口座振込での納入をお願いする事等、マニュアル通りの連絡を終えると、ウィルはモヤモヤした気持ちのまま駅へと歩き出した。

 駅へと向かう途中、初日に立ち寄った青果店の店先にちらりと視線を向けてウィルはふと立ち止まった。


〈……どうかした?〉


 リリィからの問いかけに暫し沈黙した後。


(やり残した事、思い出したわ)


 ウィルは踵を返し駆け出した。エマと過ごしたあのサクラの元へと走っていた。

 空の雲量はじわじわと増しており、昼だと言うのに街全体が暗くなりつつあった。一雨来そうだと思いつつもウィルはサクラ咲く丘へと走る足を止めなかった。


……しかし。


 数日前の記憶を頼りに森を走り抜けた先の丘に、サクラの木はなかった。そこにあったのは苔むした大岩だけだった。


 ウィルは驚かなかった。


 この街の気候でサクラは咲かない筈だとミーシャから聞いた時、あの日のサクラが幻想だったということは既に分かっていた事だった。そしてアンジェリーナが消えた今、エマと会う事など不可能だろうと言うこともウィルは理解していた。

 それでも。

 ウィルは約束を果たしたくて此処へ来たのだった。

 乱れる呼吸を落ち着かせ、ウィルは岩へ背中を預けた。薄曇りに沈む教会と家々は酷く無機質で、それでも街は仄かな息吹に満ちていた。それは陽の下では決して気づく筈のない、街を囲む自然がもたらす小さな生命の光なのかもしれなかった。


「……散るサクラも綺麗だったけどさ、このままの景色もいいと思うぜ? エマ」


 ウィルはそっと呟いた。


 ぽつ、ぽつり。


 雨が降り始め、ウィルの髪と服はしっとりと濡れていった。体温が奪われていくのも構わず、ウィルはエマへ言えなかった事を空へ呟き続けた。


「……悔しかったんだろうなぁ……。あんまり早く死ななければならなかった事が。大人になって、綺麗に着飾って、自由に生きたかったんだろうなぁ……」


 ウィルの顔を打つ雨が、涙のように頬を伝い落ちていった。


〈ウィル、後ろ〉


 リリィの声がいつになく優しく響いた。岩の後ろを覗き込むと、そこにはショートヘアの少女が座っていた。顔を隠すように俯き気味になってはいたが、頬から首筋にかけて赤い斑点のようなものが一面に出来ているように見えた。死ぬまで患っていたという病気のせいなのだろうとウィルは直ぐに分かった。 おどおどする少女にウィルは優しく微笑んだ。


「それが本当の姿なんだな、エマ。よく見せてくれ」


 少女は躊躇いがちに顔を上げた。顔一面に赤い斑点が出来てはいたが、それでも元の顔立ちの愛らしさはよくわかった。


「……何だよ、アンジェリーナの姿を借りなくても可愛いじゃん」


 満面の笑みでウィルは言った。エマは頬を真っ赤に染め再び俯いてしまった。


「そうだ、言い忘れるとこだった」


 ウィルはエマの方へきちんと向いて正座すると、おもむろに右手をエマの頭へ伸ばした。


――コツンッ。


 手首のスナップを効かせた拳が軽くエマの頭をこついだ。突然の事にエマはきょとんと顔を上げた。

 ウィルは大袈裟に眉を吊り上げていた。しかしそれは怒りの表情とは言い難かった。


「いくら見えないからって、青果店のおっちゃんからオウトウを盗んじゃダメだろ」


 少しだけ潤んだ目と優しい声がウィルの本心を雄弁に語っていた。エマは丸く見開いた眼をゆっくりと閉じ項垂れた。そして上目遣いで何かを言うように唇を動かした。


――ご、め、ん、な、さ、い。


 唇の動きからはそう言っているように読み取れた。

 もう声を出すことも出来ないのか。

 ウィルはエマの本当の最期が近い事を悟った。喉の奥から気管が潰れていくような苦しさにウィルは言葉をつまらせた。しかしそれを悟られまいとウィルは精一杯声を張った。


「……まあでも、美味かったよ。あのオウトウ」


 声の震えは結局隠し切れなかった。それでも辛さに歪んだ作り笑いは見せる訳にはいかなかった。ウィルは立ち上がり暗澹たる曇り空を見上げながら続けた。


「エマのお陰でそれを知ることが出来た。だから今回は咎めない事にする。本当の姿を隠してた事も、果物を盗んだ事も。代わりに代金を払っておくから気にするなよ」


 エマは申し訳なさそうに頭を下げた。こみあがる涙をこらえ、ウィルはエマの頭をぽんと叩いた。


「ったく、もっと堂々としろよ。これからカミサマの所に行くんだろ?」


 無宗教派の自分らしくない励まし方だと呆れながらもウィルはエマへ強張った笑顔を向けた。エマは今にも泣きそうな笑顔を残し、そっと消えていった。


 降り続いていた雨は間もなく止み、重く広がる雲の隙間から陽の光が差し始めた。ウィルは腰を上げ、湖を見下ろした。その視線の先には大きな虹がかかっていた。それはさながら湖畔から山の向こうへと渡された橋のようだった。


「……エマは本当の姿で行ったんだな」


 ウィルはひとり、丘を後にした。

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