行き倒れの青年
青年は、河原の砂利の上で眼を覚ました。見覚えのない風景に眼をぱちつかせたが、状況は変わるはずもなかった。自分がその場所にいる理由も、自分が何処でどんな暮らしをしていたかも思い出せない。その事に気付き、青年は愕然とした。辛うじて思い出せたのは、自らの名前だけだった。
青年は戸惑いながらも、歩き出した。何でもいいから情報が欲しかった。出会った人々に次々話しかけ、彼は再び愕然とした。彼が理解出来る言語を話す者が、誰一人居なかったのだ。 食料確保もままならない日々が続き、彼の精神と体力はじわじわと削り取られていった。
青年はいく日も放浪し続け、街に辿り着いた。草根を噛み飢えを凌いできたものの、身体は正直だった。強い空腹感が彼の身体を支配し、飲食店の香りに誘われるまま、彼はふらふらと街中へ向かっていた。街中をあてもなくうろついていると突然、見知らぬ大男に襟首を掴まれ、高々と持ち上げられた。
男達は何やら口々にがなりたてていた。相変わらず言葉は全く理解出来なかったが、歓迎されていないのは明らかだった。どの男も筋骨隆々で、喧嘩上等と言わんばかりの風貌。
これが所謂カツアゲというものだろうか、なんて明後日の方向に思考を巡らせているうちに、襟首から地面に叩きつけられ、青年は顔面着地した。鉄錆と砂の味が、じわりと口の中に広がった。
舞い上がる粉塵にむせ混んで周りを見渡すと、周囲には人だかりが出来ていた。人々の眼には哀れみこそあったが、男達を止めようとする者は一人もいなかった。それはそうだろう。誰だって、見るからによそものの人間の味方なんかしたくない。そいつがボコられているなら尚更だ。
(ああ、俺は、ボロ雑巾のように死んでいくのか)
空腹と疲労はピークに達していた。瞼を開く力も残ってはいなかった。
「……俺は、ひとりなんだな」
言うつもりではなかった言葉が、自然とこぼれた。
(言葉が通じないとはいえ、もっと気の利いた遺言がなかったのかよ。俺は)
意識が朦朧とする中、青年は自嘲気味にそんなことを考えていた。
その時、である。
大男の一人が真横に飛んだ。
いや、何かの外力によってふき飛ばされたように見えた。間髪入れず、もう一人が反対方向へ倒れこむ。青年には何が起きたのかわからなかった。残った気力を振り絞って精一杯見上げる青年の頭上に、すっと影が差した。
そこには、一人の子供が仁王立ちをしていた。茶髪ポニーテールの後ろ姿。風にはためく水兵服の襟は、淡い水色。こんな状況でなければ、女の子と間違えたかもしれない。だがその子供は少年だった。立ち姿勢、短パンの下から覗く脚の筋肉、声質からは、少年と推察された。
少年は大男達と話しているようだったが、やはり青年のわかる言語ではなかった。
その、筈だったのだが。
「お前は本当に、ひとりなのか?」
聞き間違いではなかった。
少年が発したのは、確かに青年が理解出来る言葉だったのだ。しかしそれを喜ぶ間も無く、緊張の糸は切れた。心労と空腹の力で、青年の意識は闇に飲み込まれてしまった。