鐘が響く街
話は二年程前に遡る。
当時のウィルはまだ駆け出しの便利屋で、とにかく稼ぐために(犯罪まがいのことを除けば)どんな仕事も請け負っていた。その日もウィルは、仕事の為に列車を乗り継ぎに乗り継いで、依頼人のいる街へとやってきたのだった。
その街は南方を大きな湖が、残る三方を高度二千メートル以上の山々が囲む、いわば陸の孤島とも言うべき場所に位置していた。外部との交通手段は街の中心にある駅から発車する列車および湖を横断する定期船に限られ、街を出入りする人間は必然的にそのいずれかを利用することになった。
当初ウィルは船で街に入るつもりでいた。その方が早くて楽だからだ。しかし依頼人がご丁寧に列車の切符を送ってきたことと、船の運賃が馬鹿高かったことから、やむなく数日かけての列車旅となってしまったのだった。
(うぅ、生活費のためとはいえ、こんな辺鄙な街まで出張る羽目になるとは……)
列車の長旅で揺られた腰をぽきぽき鳴らし、ウィルは改札をくぐり街へと降り立った。
眼前には大きな教会と思われる塔がそびえ立っていた。塔の最上階に大きな鐘がぶら下がっているのが遠目にもわかった。定時を知らせる鐘だろうかとウィルが思った矢先、正午をつげているであろう鐘の音が厳かに街中に響き渡った。するとどうだろう。町中を行きかう人々が一斉に立ち止まり、教会に向かって祈りを捧げ始めたのだ。一人だけぼうっと突っ立っているのもばつが悪いので、ウィルも慌てて祈る真似をした。郷に入れば郷に従え。これはリリィから教わった言葉だ。
人々は皆同じような形のペンダントを首からさげており、それを掌に包んで祈っているようだった。恐らくは信仰の象徴をペンダントのデザインに使っているのだろうという事は察したものの、生憎ウィルは信仰心という概念を持ち合わせていない人間だった。ペンダントがどんな形をしていたかなんて覚えるつもりもなかった。早く「お祈りの時間」が終わらないだろうかと、ウィルはそれだけ考えていた。
鐘の音は数分間続き、その間人々は祈りの姿勢を続けた。ふと馬車の往来が気になったウィルは薄目を開けて大通りを盗み見した。しかし視界の範囲内に馬車を見つけることはできなかった。後で街の人間に聞いた話によると、正午の前後1時間は馬車の運行を停止させているらしかった。
因みにこの街の内部を通行する乗り物は馬車と自転車が殆どで、エンジンを動力源とする車の類は走ってはいなかった。さらに余談だが、祈りの時間とはいえさすがに外部との交通手段までは停止させるわけにはいかないとのことで、船着き場および駅内部ではお祈りは義務ではないという事だった。そうと知っていたら鐘の音が鳴り終えるのを待って駅を出たのにとウィルは後悔した。
鐘の音が鳴り終わり街の人々の様子が元通りになったところで、ウィルは依頼人との待ち合わせ場所を確認するべく地図を広げた。
(えーと、噴水広場の女神像前に十一時、だったよな)
噴水広場の場所は教会から見て駅とほぼ反対側に位置していた。地図の縮尺からしてそんなに遠くではなかった。現在時刻は正午、つまり10時過ぎだから、一時間近く時間を持て余す筈だった。
(買い食いしながら時間をつぶすとするか)
地図を畳みウィルは昼ご飯の算段を始めた。いつものウィルならばご当地のリンゴを物色するところなのだが、教会の周囲に青果店は見当たらず、露店の袋詰めメロンパンで妥協せざるをえなかった。焼き立てをおまけで一個貰い、早速それをほおばろうとしたウィルは教会へちらりと目をやり、手を止めた。ウィルは暫く教会を見上げたまま立ち尽くしていたが、持っていたメロンパンを袋の中へ突っ込むと、手を叩いてパン屑を払い、すたすたと教会へ入っていった。
〈どうしたの? さっさとその辺で腹ごしらえしちゃえばいいのに〉
訝しそうに尋ねるリリィにウィルはいたずらっ子のような笑みを浮かべ、ぺろりと親指についた砂糖を舐め呟いた。
「……折角だからさ」
*
内部は何の変哲もない教会のようだった。修道女らしき女性が数人いたが何か作業をしているようで、ウィルには気づいていなかった。
ウィルは上へと続く階段を見つけると、足音を忍ばせ近づいた。階段には立入り禁止の張り紙はなさそうだったが、自分の行きたい場所は恐らく一般開放はしていないとウィルは予想していた。その為上っていくところを教会の人間に見られたくはなかったのだった。
三階分ほど上ったところで案の定、赤色に染められた綱がウィルの行く先を遮った。綱に括り付けられた張り紙は共用語ではない文字で書かれており読めなかったが、それはほぼ間違いなく「立入り禁止」を表す言葉だった。
ウィルは周囲に人がいないことを確かめると、赤い綱をくぐりさらに上へと登った。階段をもう数階分上り終えたところでウィルは屋根裏のような殺風景な部屋に辿り着いた。いくつかの小窓から光が差し込んでいるものの、内部は全体的に薄暗く埃っぽかった。
「ここじゃないんだよなぁ……」
困り顔で再び周りを見回したウィルは、間もなく目当てのものを見つけてにやりとした。
「今度はこれか」
壁にたてかけられた金属製の梯子を軽く指で弾き、ウィルは上を見上げた。叩いた音の響き具合と肌触りからして、アルミをメインとした合金だろうとウィルは思った。リュックのひもを調整し直し、ウィルは軽快に長い梯子を上り始めた。
〈……ちょっと、こんな場所までやってきて、どうするつもり!?〉
リリィにはウィルの思惑が掴めなかった。普通ならばウィルが何を考えていようがリアルタイムでわかるはずなのに、である。ウィルは自身の思いを意図的に心の奥底に隠していた。
「……まあ黙って見てろって。もうすぐだからさ」
梯子の通路は細めで手元は暗く、おまけに周りは埃臭かった。しかしウィルは構わず上り続けた。
そして。
梯子の最終段に手がかかったところで、ウィルは両腕の力で上体を勢いよく上へ引き上げた。
と。
心地好いというにはやや強すぎる風と光が、ウィルの顔全面にぶち当たった。あまりの強さに思わず目を瞑ったものの、ゆっくり薄目を開けながら、ウィルはそろそろと梯子の上の床へと登りあがった。
「……すげえや」
眼下に広がる街並みと遠くに連なる山々と湖の風景に、ウィルは息を飲んだ。