ホームの二人
行き先が決まった後のオリーブは潔かった。荷物が元々少ないせいもあり、旅立ちの準備は半日で終わった。そしてそれはリーナの元へ滞在する理由を失ったウィル達も同様だった。
翌日。
三人は真上からの日差しを避けて駅のホームのベンチに座り、目的の列車と見送りに来るはずのリーナの到着を待っていた。
(ったく、一緒にくればいいじゃねぇかよ、リーナの奴……)
遅れるから先に行っててね、と伝言を残し姿を消したリーナのおかげで、ウィルはオリーブとフィンに挟まれ居たたまれなさを感じていた。できる事なら今すぐ席を外したいところだった。しかし二人は言葉が通じず、しかも片方は保護者同伴だが外見は幼い少女だ。この二人をホームに残しておくのは、面倒事を招く原因となるようにウィルには思えた。
(俺にどうしろっていうんだよ、この状況……。どっちかと話していたらもう一方が肩身狭くなっちまうだろうし……)
「色々考えすぎて不機嫌気味に黙っていたウィルを察し、フィンは突然立ち上がった。
『トイレに行く』
と言うなりウィルが止めるのも聞かず、フィンはそそくさと歩いて行ってしまった。
『……トイレ、逆方向、だってのに……』
驚くべき速さで人ごみに消えたフィンを追うのは早々に諦め、ウィルは溜め息を漏らし前髪をかきあげた。
(……まあいいか。あっちは改札があるし、構内はそんなに広くはない。うまくいけばリーナが拾ってくれるだろ)
フィンに気を遣わせたのは申し訳なかったが、実のところ、二人きりの状況は出立前にちょうど良かった。最後に二人へ伝えたかった事もあった。ウィルはオリーブの左隣へと腰掛け直した。
「オリーブの列車のほうが、早く着くみたいだな」
列車の到着時刻が書かれた板を見上げて呟くウィルにオリーブは顔を伏せたまま頷いた。今日のオリーブはリーナの店を出たあたりからほとんど喋っていなかった。
「……今になって、心細くなったのか?」
オリーブが抱いているであろう緊張と不安感を紛らわせようと、ウィルはわざと冷やかし顔でオリーブの顔を覗き込もうとした。
その時だった。
不意にウィルの顔面めがけて正確に裏拳打ちが放たれた。
「うぉうっ!?」
間一髪、ウィルは背筋の瞬発力でのけ反り躱した。
が。
勢い余ったウィルの身体はベンチからずり落ち、そのまま尻から地面へ着地した。
―――ゴツッッ、ジィィィィィィン!!
地面から受けた衝撃が尾てい骨を伝い、背骨から頭蓋骨へにまともに響いた。次の瞬間、ウィルは尻を抱えて地面に立ち膝姿勢をとっていた。
「……お、お前……」
電気的な痛みが全身を駆け巡る中でウィルが現在の状況を分析するのは難しくはなかった。ウィルは眼尻を吊り上げ、少女を睨みあげた。
「ワーニャだったのかよ……」
ウィルを冷たい眼差しで見下ろす少女は、裏拳した左腕を引込めもせず小さく頷いた。
「お前がオリーブをからかおうとするのが悪い」
そこで漸く左腕を下ろし、ワーニャは溜め息を吐き出した。
「俺は元気づけようとしただけなのに……酷くないか? 顔も上げず唐突に裏拳打ちってさぁ……」
あまりの激痛で両眼に滲んだ涙を何とか引っ込め、ウィルはワーニャへぼやいた。しかしワーニャは何も言わなかった。その冷淡な視線はあからさまにウィルを見下していた。
(くそっ、俺は俺のままお前に勝ったんだぞ……!? 馬鹿にされる謂れはないってのに……!!)
内心憤慨しつつも黙ってベンチに座り直すウィルをリリィは窘めた。
〈今回は相手の情報不足に付け込んだから勝てただけ。そもそもワーニャは敵だったわけじゃない。勝ち負けを論ずる事自体がおかしい〉
異論はなかった。というよりも、頭ではわかっている事だった。単に大人な対応が苦手だというだけだった。リリィの言葉には敢えて返答せず、素知らぬ顔でベンチにもたれウィルはワーニャへ尋ねた。
「いつの間に、ってか、何で替わってんだよ、お前。今更俺に何かされると思ったのか?」
ワーニャはウィルを一瞬睨んだのち、腕組みすると閉眼し呟いた。
「お前に限らず、幼女趣味な男がこの世には多いと聞くからな。某都市の最強能力者然り、某ファミレスのウェイター然り、三人の姪と一つ屋根の下な某大学生然り、イリーガルユー……」
途中から明らかにワーニャのものと思えない言葉が陳列し始めた事に気づき、ウィルは過剰に反応した。
「待て、待て待て待て!!」
本来であれば自分へのロリコン疑惑を真っ先に否定すべきところを、ウィルは混乱してすっかり忘れていた。
「お前、世界規模の大戦争の中を生きた人間だろが! その知識をなぜ持っている!? ありえねぇっ!!」
指摘を受けたワーニャは薄目を開けて一時停止した。そして「驚愕の事実」と言いたげに眼を丸くしながらウィルへ振り向いた。
「確かに俺の知識じゃない。何処で覚えたんだ一体……?」
「いや、俺に聞かれても……」
二人は互いに困惑した顔を見合わせた。
〈……エクストラが生きてた時代と無関係な知識を持っていてもおかしくないわよ? 時間軸、世界軸の概念などエクストラには意味がないのだから〉
リリィは横車を押す形で混乱するウィルを諭してみたが、ウィルはお構いなしにリリィへも反論した。
(いーや知ってるはずがない! スペ○ウム光線だって知らなかったんだぞこいつは!?)
早くもリリィはウィルへの説明と指摘を続けるのが面倒になっていた。
〈スペ○ウム光線とも年代違う知識だけどねー……というか、そもそもワーニャは国が違うと思うわあ……もうどうでもいいけど〉
「おっと、話が脱線してしまったな。」
いち早く現実へ戻ったワーニャは真顔になった。
「……泣きたくないんだと」
それはあまりに静かで優しい呟きだった。
「……はい?」
あまりのギャップにウィルも即座に現実へ引き戻された。
「だから、表に出てたら、泣いちまうんだとさ」
ワーニャは自分の胸を親指で指し眼を細めた。
「今は俺なのに……それでも、胸が痛むんだよ」
遠くを見つめるように眼を細め、ワーニャはホームの屋根を見上げた。屋根の隙間から零れた太陽の光がワーニャの頬を照らした。
「よくわからんが……オリジナルの感情が強いと、俺にも影響するんだろう? 多分そのせいだ。その位、別れが辛いのさ。オリーブは」
ウィルは沈黙した。
一瞬、かける言葉に迷ったが。
「仲間だろ?」
ウィルの口からは率直な思いがこぼれていた。
その事に一間おいて気づきウィルは戸惑ったものの、勢いに任せて言葉を紡ぎ続けた。
「俺達はもう仲間だろ。例え俺の紹介先が気に入らなくて、別のところへ行ったとしてもさ。俺達は巡り合った。同じ飯を食ったし、喧嘩もした。俺達ペクトラの話もした」
ワーニャは視線を緩やかにウィルへ戻した。その薄く開いた瞳の奥に、オリーブの泣き顔が見えた気がした。
「物理的に離れるだけだ。その程度で、一度隣同士になった俺達の心は離れたりしない」
照れくさくなって耳まで真っ赤にしながらウィルは右手を差し出した。ワーニャはしばらくウィルの右手を見つめていたが、ふんっと鼻を鳴らした。
「……どうだかな。俺達が仲間だなんて……」
しかし冷たく言い放つ口調とは裏腹に、ワーニャの瞳からはぼろぼろっと大粒の涙が零れた。ウィルがワーニャを冷やかそうとした刹那、少女の表情は突然晴れやかになった。
「私、ウィルの仲間になる! ワーニャもなりたいって思ってる!」
オリーブが泣きながら突然現出したことでワーニャは狼狽えた。
「こ、こらっ! 俺が渋くきめようとしているときに、このがきは……」
ウィルはまたもや呆気にとられた。こうも易々と交替できるとは、オリーブはオリジナルとしてかなり良いセンスを持っているに違いなかった。
(鏡なんか必要なかったかもしれないな)
それが少しだけ面白くなくて、ウィルはお返しとばかりにワーニャを冷やかした。
「外見は八歳の女の子なんだから、かっこつけようとしたって無駄だっつぅの」
ワーニャがウィルへ掴みかかろうとしたちょうどその時、リーナとフィンは連れ立ってホームへと現れた。