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ペクトラ  作者: KEN
断章 本部へ 〜迂回〜
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嫌な間

 フィンの部屋に通されたアンネは、特に断りもせず机横の丸椅子に座った。共用語の猛特訓の際に使っていた席で、もうすっかりアンネの定位置となっている。


「共用語、上手になったわね」

「ありがとう。アンネのおかげだ」

「二人の時なら、トキリア語を使っても構わないよ?」

「うーん。せっかく共用語を練習したんだし、このままでいいさ」


 はちみつ水をアンネに手渡し、フィンも自分の椅子に腰掛ける。互いの膝が触れ合うかという距離なのも、もう気にはならなかった。

 今のフィンにとって、彼女は姉みたいな存在だった。二人旅をし、質素な缶詰飯を分け合い、他愛ない話をした仲だ。気絶させられた一件についても、仕方なかったのだと理解していた。

 ただ、ジークを置いてきてしまった事自体には納得していない。あの時自分が戻ったところで、何が出来た訳でもないのはわかっている。それでも自分はジークを見捨てて逃げたのだ。そんな思いが、フィンの心をがんじがらめに縛っていた。ジークを置いていった晩、ケインの幻覚が枕元に立って言ったのだ。「お前はまた裏切ったのか?」と。記憶がないフィンにとって、それは薔薇のトゲのように小さな、しかし強烈で鮮明な痛みだった。

 ジークのことを話したいと、ずっと考えていた。無事に逃げられただろうか。酷い目に遭わなかっただろうか。懺悔にもならない苦痛の吐露を、鼻で笑われそうな希望的観測を。

 しかし、それを話すのは今ではない。ジーク救出のために奮闘したにも関わらず、リリィはジークの事を話そうとはしなかった。それはつまり、ジークの救出が叶わなかったのだ。

 リリィが犬の姿になった理由は分からないが、おそらく想定外の無茶をしたせいに違いない。そうまでしても、ジークは救えなかったのだ。

 アンネもそれを察しているのか、ジークの話を出すことはなかった。どちらが言い出すでもなく、それが暗黙の了解となっていた。


「何だ? 話って」

「まぁ、話というほどのものでもないのだけど、ね」


 何とも歯切れの悪いアンネの答えに、やはり首を傾げるしかない。


「用事じゃないけど、二人で話す必要があるって事?」

「必要は……ないかも」

「んん?」


 アンネの真意が分からない。

 妙にもじもじしている以外、おかしな様子はなさそうだ。いや、彼女のさっぱりした性格を加味すれば、十分おかしな行動なんだろう。いずれにしても、彼女の言動の意図がはっきりしない。


「別に、フィンの声を最近聴いてないから、ちょっと様子を見に来たってだけで。他意はないんだから」


 最後の一文を妙に強調してアンネは言う。少なくとも機嫌が悪いってわけじゃなさそうだから、特に気にしなくても良いか。そうフィンは結論した。


「特に用事がなくても、話しに来てくれて嬉しいよ。共用語もわかるようになったけど、俺の国の言葉がわかる話し相手ってだけで安心できるんだ」


 本音がつい、口に出た。恥ずかしさで思わず俯く。手元のカップの底では、溶けかけの砂糖とはちみつが、くすぶった煙のように細かい泡を立てていた。


『そういうもの、かしらね』


 アンネの言葉が急に変わった。彼女の話すトキリア語は、簡素で無駄がない。わかりやすくて大変良いことなのに、フィンはそれを寂しく感じていた。共用語では訳されない些末なニュアンスがトキリア語には無数に存在しているからなのだが、記憶喪失のフィンにはそれを知る術はない。


『そういうものだよ』


 フィンはカップの中をぐるぐるかき混ぜながら、何気ないふりでアンネに視線を戻す。アンネはちょうど、はちみつ水に口をつけているところだった。


『ウィル、どうしてるかな。リリィの話じゃ、怪我してたって聞いたけど。ちゃんと治ってるかな』

『怪我?』

『ああ。俺も詳しくは聞いてないんだけど、多分……』


 はっと、口を手で押さえる。怪我をしたのはジーク救出の時の筈だ。ジークの名前を今出したくはない。

 間が空いた。

 ほんの一瞬の、だが致命的に空気を変えてしまった間が。


『いや、憶測で喋るものじゃないな。またリリィに聞いておくよ。いずれにしても、しばらくは会えないんじゃないかな。ウィルのやつ、大人しく養生していれば良いんだけどな』


 不自然な早口。額と手のひらに嫌な汗が浮かぶ。耳が熱い。下手なごまかし方しか出来なくて泣きそうだ。だが何をしようとも、何を言おうとも、この空気は覆らない。肝心な時ほど不器用な自分が、つくづく嫌になる。


「……ねぇ」


 共用語に戻ったアンネの声は、さっきよりトーンが落ちているように聞こえた。ジークの話を切り出すつもりだろうか。そうしてくれたらどんなに楽だろう。少し身構えて、言葉の続きを待つ。


「貴方、ウィルの事をどう思う?」

 

 アンネは唐突に、そう切り出した。

大変お待たせしております。

前置きが長くなってしまいましたが、次回、ようやく二人がペクトラに対して思うところを話してくれる場面に突入します。二人の立場の違い、見てきたものの違い、思想の違い、などなどを感じ取って頂けるよう書きたいと思っております。

またマイペース更新になってしまいますが、引き続きお付き合い頂けましたら幸いです。

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