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ペクトラ  作者: KEN
断章 本部へ 〜迂回〜
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役立たず

 毎日の雪かきは、それなりに辛かった。慣れないスコップ作業で腰骨が軋み、手のひらのまめはぐちゃぐちゃに潰れた。夕方になる頃には四肢の筋肉が揃って悲鳴をあげる。診療所をかねたクセニアの家で新たに課せられた日課が、この雪かきだった。

 アンネの猛特訓のおかげで共用語を話せるようになったフィンだったが、それでも出来ることは雑用がせいぜい。その半分はクレムがやってしまう(そしてしばしば失敗し、尻拭いをクセニアがする)から、フィンの仕事はどうしても限定されてしまうのだ。つまり、急がなくても支障のない仕事に。

 木のそばに雪を盛り上げ、ふうと一息つく。何気なく上へ目をやると、顔面いっぱいに雪塊が降ってきた。枝に積もった雪の落下に巻き込まれたのだ。


「痛てて……」


 冷え切った顔面にさえ響く鈍痛と冷気。鼻を強く打った感覚。木にさえ「役立たず」と言われてるような気がしてしまう。

 

「ひょろっこいくせに、よく頑張るね」


 よく通る声。蓋付きのカップを片手に、クセニアがこちらへと歩いてくる。雪まみれになっているフィンの髪を軽くはたき、カップを鼻先につき出した。


「だが、流石に無理し過ぎじゃないか?」

「いえ。無理なんてしてないですよ。ありがとうございます」


 スコップをざくりと雪に立て、フィンはカップを受け取る。蓋をとると、蜂蜜の香りが顔を温めた。少量の蜂蜜と砂糖をお湯で溶いたものを、この地域では日常的に飲んでいるらしかった。一口啜ると、喉の奥から胃にかけてじんわり温まっていく。


「おいしいです」

「口に合ったなら何より」


 頷いて、クセニアは空を仰いだ。つられてフィンも頭上を見る。

 曇天の空から落ちてくるのは粒雪。この地方では粉雪が多いが、粒雪も珍しくないのだとクセニアから教わった。

 記憶喪失のフィンには雪の区別などつかない。けれど今降っている雪は、見覚えのないものだと思う。そう、自分の目が訴えているような気がする。では、見覚えのある雪もあるのだろうか? 自分の記憶を思い出せる日は、果たして来るのだろうか。


(いや、わからない事を今悩んでもしょうがないじゃないか。今は自分にできる事だけをするんだ)


 余計な考えを振り払う。そう、共用語が理解できる今は、少しでもやれる事がある。

 言葉が理解できなかった事にフィンは引け目を感じていた。今まで何もわからなかった分、出来る事は何でもやりたい。そんな気持ちがフィンを焦らせていた。


「まぁ、なんだ。程々にやってくれよ。下僕にするとは言ったが、体を壊すような働かせ方をするつもりはない。ここにいる間の暇潰し程度に考えて、気楽にな」


 フィンの背中を叩き、クセニアはにかっと笑う。その清々しい笑顔に裏はない。やはりあの時のクセニアは、正気じゃなかったのだろう。

 もう少しで、クセニアの手を血で汚すところだった。

 見えない犯人への対抗手段は、全くない。

 ならばせめて、守らなければ。犯人が目の前に現れるまで、クセニアとクレムに危害が及ばないように、油断せず。

 たとえ役立たずと言われようとも、それが今出来る数少ない事だから。


「はい」


 ぬるくなった湯を飲み干し、フィンは微笑み返した。


   ***


 スコップを納屋にしまっていると、街の方からリリィが帰ってきた。鼻周りはすっかり黒ずみ、真っ白な全身の毛も薄汚れた灰色になっている。ここ数日、リリィはいつもこんな風に帰ってきていた。


「今日も真っ黒だなぁ」


 フィンが呆れ気味にそう言うと、リリィは露骨に顔をしかめた。


「仕方ないじゃないの。犬使いの荒いやつがいるんだから」

「アンネに頼まれて調べ物してるんだっけ。何を調べてるんだ?」

「まだ内緒。いずれ報告のためにフィンに通訳してもらわないといけないんだから、その時でいいでしょ」


 耳を後ろ脚でかきかきしながらリリィは言う。話はいいから早く風呂に入れろ、というサインだった。

 また蚊帳の外か。

 心配でもあるし寂しくもあったが、リリィなりの考えがあってのことなのだろう。

 使い捨ての手袋をはめて、右腕を差し出し片膝でしゃがむ。リリィはフィンの肩に前脚と頭を乗せ、フィンの右腕に身体を預けた。

 そのままリリィを家に上げては床を汚してしまうので、こうやってフィンが抱えて部屋に入れているのだ。これも日課の一つである。この日課のおかげか、背中と右腕の筋肉がついたようにフィンは感じていた。


「おう、リリィか。おかえり。今日も派手に汚れてきたね」


 部屋に入ると、クセニアは書類を書く手を止めて言う。これにリリィは知らん顔を決め込んだ。早く風呂に入れろと言いたげに、鼻をフィンの首筋にこすりつける。くすぐったい。


「今からこいつを風呂に入れます」

「その手で?」

「大丈夫ですよ。塗り薬のおかげで大分良い具合ですから」


 空いてる左手をぐっぱっ、とやってみせる。本当は潰れたまめが痛かったが、曖昧な笑みで誤魔化した。クセニアは困ったように肩をすくめ、ため息をつく。きっと、痛い事もお見通しなんだろう。


「……わかった。風呂に入れた後は手袋を外して手を洗い、薬も塗り直すこと」

「わかりました。ありがとうございます」


 フィンは軽く頭を下げた。


   ***


 アンネがやってきたのは、リリィを乾かし終えた直後だった。


「今日の報告は何もなし。疲れたから部屋で休む」


 そう無愛想に言って、リリィはさっさと部屋に引っ込んでしまった。


「何もないってさ」

「そう。じゃ、その件はいいや」


 やけにあっさり引き下がるなと、フィンはいぶかしむ。いつもなら文句の一つも出るのに。

 

「忙しくないなら、二人で少し話さない?」


 伏し目がちにアンネは言う。これも珍しい。つまらない世間話がしたいだけなら、クセニアを外す理由がない。何か重要な話なのだろうか。

 クセニアに尋ねようとしたら、クセニアは意味深な目配せのみであっさり承諾した。なぜかにやにや顔である。一方、アンネは不満げに顔を横に振っている。フィンには意味がよくわからなかったが、とにかく自室へと誘った。

お待たせしております。

引き続き、月一回〜二ヶ月に一回を目安に更新していこうと思います。これからもよろしくお願いします。

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