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ペクトラ  作者: KEN
断章 本部へ 〜迂回〜
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ロバートの憂鬱

 社長室から地下へ続くエレベーターは長くて退屈だ。火の管理さえきちんとすれば、自分だけの密やかな空間で煙草を吸っても問題になりはしない。けれどもロバートが煙草を取り出すことはなかった。このエレベーターで地下に行くというのは、決して気楽なことじゃない。ある種の決意じみたものがなければ、この先の部屋で話す相手とは到底渡り合えない。

 身体の重さが戻り始め、ちぃんと軽くベルが鳴る。扉が開くと、薄暗い照明を背景に机が一つ。その上には小さな水晶の欠片があった。


「ゼラ様、宜しいでしょうか?」


 ロバートは椅子にかけて応答を待つ。そう待たずして、水晶が青白い光を発し始めた。


「……ん? その声はロバート? うん、ちょっと待ってね」


 声の抑揚に合わせて揺らめく水晶の光は幻惑的だ。無機質のくせに、どこか柔らかく感じられる。水晶から聞こえる穏やかな声が、幼い少女のそれであるためだろうか。だが侮ってはならない。ゼラを侮るなど、出来るはずがない。


「どう? 仕事はうまくいってる?」

「まぁまぁです。それより、リリィの居場所、ウィルに伝えておきました」

「ありがとう、助かる」


 そつのない答えにゼラの空気が緩んだ。今日の機嫌は悪くないらしい。疑問を口にするなら、きっと今がその時だ。


「何故私に、リリィのことを調べさせたんでしょうか? 私がリリィの居場所を教えなくとも、ウィルはリリィの所へたどり着いたでしょうに」


 うーんとね、と前置きしてゼラは答える。


「リリィに会えるという希望を持たせることに意味があるの。ウィルはああ見えて不安定だからね。折角同じ世界で目覚めたんだもの。覚醒するまでは簡単に死なれちゃ困るんだ」


 知らず、ロバートはため息をついた。正直なところ、余計な注文をしてきたゼラに文句の一つでも言いたかったところに、この返答である。ゼラの興味――それはもはや固執と呼ぶべきだ――は目下ウィルにしかなく、その理由を知る術はない。


「相変わらずウィルに執着していますね。だがリリィがいる限り、貴女の願いを叶えるのは難しいでしょう」


 つい、思っていたことが口をついて出た。油断した。今のは失言だったとロバートは唇を噛む。しかしゼラは気にしていない。


「大丈夫。ウィルを覚醒させる事は、最終的に彼女の望みを叶える事になる。リリィは何も分かっていないけれど、きっと最後は理解してくれる。ニンゲンを滅ぼすのは、もうすぐね」


 向こう側でゼラが不気味に微笑んだ気がした。穏やかに揺らめいていた水晶の光が、途端に禍々しさを帯びる。


「この世界を、見限られたのですか?」


 ただ余計な音を立てぬよう、ロバートは低い声で尋ねた。先ほどまで盤石な地面だと思っていたのに、今は吊り橋の真ん中に立っている気分だ。ゼラの機嫌次第では、簡単に奈落の底へ落ちかねない。


「あら? ニンゲンを滅ぼしては駄目なの?」


 聞き返すゼラの声はどこまでも無邪気だ。それが一層、禍々しい気配を濃くする。


「リリィのニンゲン贔屓は知っているけれど、トリスと言い貴方と言い、ニンゲンの味方をするペクトラが増えているのかしら?」


 機嫌を損ねただろうか。顔が見えない以上、声と気配で察知するしかない。ロバートの能力はゼラに対して意味を持たないがゆえに、殊更注意する必要がある。


「それはないでしょう」


 言葉を選んで、ロバートは慎重に答える。


「ベアトリクスの場合、ニンゲンより優れている我々が手を下すのをつまらないと考えているだけ。それに私に関しては、彼らを貴重な収入源としか見ていません。ですがこの世界を潰すと言うなら、私の研究が一定の成果を収めた後にやって頂きたいですな」


 沈黙。

 張りつめる沈黙。

 ゼラの機嫌を損ねたくはないが、ロバートにも譲れない矜持がある。

 

 静寂を破ったのは、ゼラの笑い声だった。


「貴方は相変わらず経営の研究にお熱なのね。トリスに貴方の真似をさせているけれど、あんまり楽しそうじゃないの」

「人を選ぶ学問ですからね。けれど、成功した時の喜びは格別ですよ」

「……まぁいいか。でも、ウィルの能力を目覚めさせるチャンスがあったら、私はそれを逃しはしない。それまでに貴方の研究が成功していれば良いねってことで、よろしく」


 ゼラの最大限の譲歩。ロバートにとって必ずしもベストとはいいがたいが、これが限界か。


「……はぁ、そうですか」


 ロバートはため息交じりにそう答えて、通信を切った。


   ◇◇◇


(ゼラは変わらんな)


 エレベーターの中で煙草を取り出し、ロバートは心中でテレサに語り掛ける。


〈彼女は簡単にはブレないでしょ。あんなに達観しちゃってるんだもの〉


 テレサの答えに、ロバートは無言で頷く。

 ゼラはその能力のせいなのか、人間をはっきり見下し、害獣扱いしている節があった。それに対しとやかくいうつもりは無い。人間とペクトラ達の歴史を知っていれば、言えるわけがない。


 紫煙が密やかに昇っていく。

 エレベーターの駆動音だけを聞きながら、ロバートは黙って煙草をふかす。


(良いのか? ウィル達の後を追わなくて)

〈うーん、今は様子見かな。暫くはウィルの視界をチェックできるし、肩入れしすぎてゼラに目をつけられても面倒だし〉


 テレサの意見を確認するまでもないことだ。ゼラと対立しないことが今の最重要事項。人類の滅亡は二の次でいい。ウィルの動向を把握できる今、ロバートの出る幕はしばらく来ない。


(分かった。じゃ、仕事に行こうか)

〈そうね〉


 短くなった煙草を手持ちの灰皿で押し消す。

 乾いた到着音に、ロバートは一歩踏み出した。

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