能力(三)
テレサの話は慣れない単語ばかりで、簡単に理解できるものではなかった。ミーチャがかろうじてわかった事は二点だけ。リリィはおそらく断片の身体を借りようとしているという事。そして、断片がエクストラから分かたれた存在であっても、エクストラが断片に成りかわる事は出来ないという事。
「そうか。少しだけほっとした」
こぼれたウィルの呟きが、ミーチャには不思議だった。リリィが断片に成り代わってしまう事はそんなに問題なのだろうか? 確かに断片からすれば迷惑な話ではある。だがウィルは、こんな状況でまずリリィ以外の相手を心配するような性格ではない。
「何故ですか、ウィル?」
気がつくと、ミーチャはそれを口にしていた。
「何故って、ほっとした理由?」
戸惑い、考え、そしてウィルは言った。
「今になって別の人間としてリリィに会っても、どんな顔をしたらいいかわからないから、かな」
ミーチャは納得した。自分だって、アイザックが突然別の身体で現れたとしたら奇妙な気持ちになる。いや、奇妙を通り越して気持ち悪い。自分の腕が別の意思を持って分離したような感覚、とでも言えばいいのだろうか。とにかくイヤだ。
「人間とは限らないよ、ウィル」
テレサの言葉が釘を刺した。
「問題の『断片』なんだが、こいつは人間を始めとして、脊椎動物のカテゴリ内で生まれるらしい。あー、諸々の情報源は聞かない方が良いぞ。なかなか胸糞悪い研究内容だからな」
頭のおかしい研究者は他にもいるんだな、というウィルの軽口は黙殺された。テレサはジークの事を知らないし、ミーチャはジークを助けられなかった事にまだ触れたくなかったからだ。
「ともかくだ。その仮説が正しいなら、目を持ってる可能性は十分ある。だからリリィの視界を探るのは、決して無駄じゃあないんだよ。私の能力の必要性がわかったかい?」
「……うん、まぁ、一応。あんたの能力でリリィが確実に見つけられるって事なんだろう?」
深海魚みたいに目が退化している生物だったら無理だろうなぁと答え、テレサは控えめに笑った。
*
ウィルをソファに寝かせてから数時間が経過しても、テレサは動かなかった。ウィルの顔に手を置き、瞑想のように黙ったまま微動だにしない。それだけ能力の発動に集中しているという事だ。
当のウィルは呑気にすうすうと寝息をたてている。手持ち無沙汰のミーチャは呆れると同時に羨ましくも思っていた。
「あっ」
ふいに小さく漏れた声はテレサのものだった。ぼんやりしていた頭が瞬時に覚醒し、ミーチャは思わず前のめりになっていた。
「成功ですか!?」
テレサは目を瞑ったまま頷いた。目尻の小皺はいつもより深かった。
「……やたら視界がぼやけてるが、これは風呂場だな。そしてこの視界は人間のものじゃない。……鼻先の見え方からして、犬。中型犬、かな」
「リリィは今、犬に『入ってる』んですね?」
テレサはしっかり頷いた。
「そうだろうね。そして……これは飼い主? 薄い色の髪でボサボサのセミロング、目元は切れ長で顔立ちも綺麗なのに、全体的に幸薄そうで、いかにも冴えない印象の……青年。この犬に頭を噛まれてる……懐かれてるんじゃない。馬鹿にされてるな、これは」
目を瞑っていても如実なくらい、テレサは困惑していた。リリィがそこまでするであろう相手は、きっとどうしようもなく頼りなく、同時に気を許した人間に違いない。
(もしかして……)
一人の顔が浮かんだ。そうであってくれるなら、出来すぎた奇跡だ。
「知ってる人かもしれません。他に情報はありますか? 場所を特定できるものがもっとわかると、ありがたいのですが」
「映像が荒すぎる。もう少し強く繋がらないと……」
テレサの手に力がこもり、ウィルの顔へとめり込んだ。
「んぐぁっ!?」
そして当然のように、ウィルは寝ぼけ眼で跳ね起きた。テレサの手は再び空を切った。
「……途切れた」
「あぁ……」
起こされたウィルを前に、二人は落胆の視線を交わした。
「ん? 何があった?」
要領を得ないといった顔で、ウィルは二人の顔を見比べる。
「もう少し情報が欲しかったのに、ウィルのせいでダメになってしまったんですよ」
ミーチャの答えに数拍おいて。
「え、俺のせい!?」
ウィルは眉をしかめた。そうしたいのはミーチャも同じだ。
「仕方ないさミーチャ。私も限界だった。能力をこんな風に使ったのは初めてだしな。あぁ肩凝った」
とりなすようにそう言い、テレサは大きく伸びをした。社長は大柄だから、座ったまま伸びをしても十分大きい。この体格を維持する為に社長はどんな運動をしているのだろうか。
「あの、見えたのって、この人でしょうか?」
手帳からフィンの写真を取り出しテレサへ見せると、テレサは指差して二度頷いた。
「そうそう、この顔だった。やはり知人だったのか。ツイてたね」
にやっと笑い、テレサは紅茶の残りを飲み干した。そして今思い出したように付け足した。
「そういえば、風呂場の窓の外に雪がちらついてるのも見えたな。多分あんたらの行こうとしてるインパイだろう。おちあう場所に指定してたってところか、大方」
ミーチャは一つ瞬きをして固まった。ここに着いてから、インパイに行くという話は全くしていない。なのにテレサはそれを知っている。どうして?
--いや、ロバートの差し金か。
「おいミーシャ! どこまで個人情報をリークしてんだお前!?」
「落ち着いて! 僕は何も話してません!」
掴みかからんとするウィルを右手で制し、ミーチャは頭の中で混線した思考回路を解く。
「社長はあの能力に加え、知覚に特化した能力者を複数使っています。そうやって、あらゆる方面から情報収集しているんです。恐らくインパイの事も、能力者経由で知ったんでしょう」
タネがわかれば簡単な話だ。単にこちらの情報が筒抜けだっただけ。本気で隠そうとしなかったこちらのミスだ。ミーチャのような組織の末端がやっている事を社長が一々監視しているとは、思いもよらなかったのだけれども。
「あとは少々のカマかけ、これが意外と重要なんだ」
ネクタイを締め直しつつテレサは--いや、ロバートは言った。鏡を使わずに意識変更できる人間は、ミーチャが知るペクトラ達の中でもごく僅かだ。そのうちの一人が社長、即ちロバートとテレサだった。その仕組みはよくわからないが、ペクトラの中でも珍しい部類にはなるのだろう。
「ついでに言っておくとね、私に対する君の悪口もお見通し。私の情報収集を甘く見すぎだな、ミーチャ」
これもカマかけの一種だ。そうとは気づいたものの、ミーチャはポーカーフェイスを決めこめるほどロバートとの会話に慣れてはいなかった。
「社長、僕には身に覚えがありませんが?」
「顔が青ざめてるし、声も震えてるよ? 大丈夫かい?」
そう言う割に、ロバートの声は大して関心があるようには聞こえない。他愛ない世間話だとでも言いたげだ。
「そうだ、インパイへのおつかいを頼まれてくれないか? そうしたら私への悪口は水に流してあげるよ」
社長は不気味なほどにっこり微笑んだ。
次回は一ヶ月後の予定。




