帰宅
「ちょっ、貴方達……どうしたのいったい!?」
砂まみれのぼろぼろで玄関前に立つ二人を見るなり、リーナは驚きの声を上げた。
「……まあ、色々あったんだ……はは」
困った顔で頬を掻き笑うウィルにリーナは軽く憤慨した。
「……もうっ! いくらオリーブが可愛いからって……肩車で町内を走り回り、そのまま公園の砂場へ頭からダイブ、ひとしきりプロレスごっこした後、着替えと称し服を脱がせ、スク水、体操服ブルマ、 大人用Tシャツ(チュニック風)etc.…!?」
次々まくし立てるリーナの言葉は途中から通常の想定の斜め上をいっていた。
「いや、数時間前思い出して!? そんな愉快で破廉恥なシチュエーションじゃなかっただろ!? 妄想しすぎっ‼︎」
タオルで巻いた右手を振りウィルは慌ててツッコミした。オリーブ――の姿をしたワーニャ――も無言のままぎょっとした。
「……ええ、わかってるわ」
優しく微笑みながらもリーナは涙ぐんでいた。ジョークでごまかそうとしているが、帰りが遅いことを心配していたに違いなかった。やはりすまないことをしたとウィルは思った。
「おかえり」
リーナの温かい声に、
「……ただいま」
俯きながらウィルは答えた。
*
「リーナ、フィンは?」
「先に休んでもらったわ。今日は仕事が多すぎたからね」
「……そうだろうな」
果てしない皿洗いに疲れ泥のように眠るフィンを想像するのは難しくはなかった。わざわざ起こさなくとも明日話をすればいいだけのことだ。
「とにかくお風呂の準備をするから、二人はご飯を食べてて頂戴」
二人がテーブルについたのを確認すると、そう言ってリーナは奥へと消えた。ウィルは「身体より頭に栄養をやりたいから」と、籠に盛られたリンゴに手を伸ばした。ワーニャはというと、大人しく用意された食事をとってはいたが、先程の戦いで頭が一杯なのだろう、殆ど上の空の様子だった。ウィルはリンゴを齧りつつ約束の説明を始めた。
「……えっと、俺達の事、どこまで話したんだっけ?」
湖畔での話を思い出そうとしているウィルをワーニャは不思議そうな顔で見つめた。
「……俺達?」
〈……ウィル、また説明が足りてない〉
リリィからすかさず的確な指摘が入った。思わず天井を見上げ
「っるさいなあ……」
と呟いてしまったウィルは我に返り、スプーンを持ったまま不審そうな顔をするワーニャへ慌てて弁解した。
「……あ、いやいや、ワーニャへ言ったのではなくて」
あまりに今更な告白にウィルはやや照れくささを感じながら言った。
「俺の中にもいるんだよ。ワーニャと同じような存在が」
ワーニャは軽く眼を見開きスプーンを置いた。
「お前もだったのか……」
「そ。リリィのことは後で紹介するとして、まずは俺達の事を分かる範囲で話すか」
ウィルは二個目のリンゴへ手を伸ばした。
*
ウィルの話を一通り聞くとワーニャは椅子の上で胡坐を組んだ。
「ふむ……俺達はペクトラという人間で、俺みたいなのはここではエクストラと呼ばれていると」
「そ」
素っ気なく肯定したウィルだったが、其の実ワーニャの理解の早さにほっとしていた。自分の置かれた状況を飲み込めず混乱するばかりのエクストラも稀にいて、そういう類のペクトラと話す時は非常に面倒なのだ。
「……オリーブがもっと小さい頃は、どうして俺がこんな風に存在してるのかと、よく考えていたよ」
ワーニャは懐かしむように呟いた。ふとウィルは、以前同じような疑問をリリィに聞いた事があるのを思い出した。しかし当時のリリィは曖昧な事しか言わなかった。その時の難しい雰囲気からウィルはリリィが「知らない」のではなく「答えられない」事、そしてそれは自分が知るべきでない事なのだと悟ったのだった。
(エクストラなら元々わかってるって訳じゃないんだな……。そう言えば、元々その辺りの事情を「知って」いそうなエクストラって知らないわ、俺)
頭の片隅で考えこんでいたウィルにリリィはやはり答えを返さなかった。聴こえないふりをしているのだろう。もやもやするものはあったが気を取り直し、ウィルはワーニャへ質問した。
「そういえばワーニャは、もとの世界の記憶あるのか?」
ウィルの突然の問いかけに一瞬目を丸くしたが、ワーニャは視線を上に泳がせながら答えた。
「……漠然となら」
少し思い出しにくそうに首を捻りながらワーニャは訥々と語り出した。
「……確か、どっかの国の軍で訓練兵をしてた、と思う。自分の国をこう言いたくはないが、酷い国だった……」
ワーニャは俯き気味に眉を寄せるとふう、と息を吐いた。当時の自国の悲惨な状況を思い出しているに違いなかった。
「王族は平民を重税や重労働で虐げ、更には他国に因縁をつけて、世界的な大戦争を引き起こした。結果、国民の生活は更に苦しいものになった……」
いつの間にか聞いているウィルの方も顔を顰めていた。リリィの記憶でそういう時代の知識は一応あった。しかし、こういう類の凄惨な話は経験者が当時を語るときの表情ほど雄弁に語るものはない。平和を謳ったこの世界では非常に稀有な存在だろう。
「革命が相次ぎ、流行病や飢饉も重なって、何千人もの国民が死んだ……」
ワーニャは苦しげに言葉を止めた。沢山の死を思い出したからだろうか、暗く濁った、絶望の眼をしていた。
「確かに酷いかもな……この世界じゃ考えられない」
リンゴの食べかすを弄びながら呟くウィルにワーニャはゆっくり顔を上げた。
「……この世界は、そんなに平和なのか?」
「俺も十五年しか生きちゃいないからなあ……全世界を知ってるわけじゃないけれど」
ウィルはリンゴをテーブルに置き、両腕を頭の後ろで組みながら、椅子に目一杯もたれて天井を仰いだ。
「少なくとも、俺の行ったことのある国は平和なとこばかりだった。多分、ワーニャの国に比べれば概ね平和なんじゃない? この世界は」
「そうなのか……いい世界だな」
穏やかな顔をするワーニャをちらりと見ながら、ウィルは呟いた。
「どうなんだろうね……案外、嘘で塗り固めた張りぼてかもしれないぜ」
その投げやりな言葉に、ワーニャは怪訝そうな表情を浮かべた。
「……何か裏があるのか?」
「うんにゃ。何も。少なくとも俺は、この世界の裏側なんて知らないよ」
ウィルは三個目に手を伸ばしながら首を横に振った。その時、ウィルの後ろのドアがバタッと開き、リーナが顔を出した。
「お風呂できたから、二人とも入っちゃいなさい」
二人は無言で顔を見合わせたが、ウィルからの
「先どうぞ」
の言葉にワーニャは黙って頷き、風呂へむかった。




