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ペクトラ  作者: KEN
断章 本部へ 〜迂回〜
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断片

 テレサは胡座座りの太ももの上に右腕を下ろした。その手は残り僅かの紅茶が入ったティーカップを鷲掴みにし、膝の先で保持していた。そして彼女は、一度小さく息を吐いた。


「私はね、この手で直に触れた対象の視界を見る事が出来るんだ。と言っても、リアルタイムで対象が視認しているものしかわからない。能力としてはその程度さ」


 彼女の言葉は自嘲的だったが、それは単に己の無力さを嘆いてのものではなかった。事実、彼女とロバートはほぼ独力で会社を立ち上げ、十年足らずで世界的に名を知られる大企業へと育て上げた実績を持っていた。テレサとロバートにとって特殊能力は手駒の一つに過ぎず、彼らの強みはその能力に頼り過ぎないスタンスにあるとも言えた。ミーチャはそう理解していた。


「他人の視界が覗けるだけで反則級の能力だろう。朝から晩まで社長の監視下に置かれ、プライベートなんてありゃしない。社員にとって、これ以上のセキュリティーシステムは無いわな」


 とがらせた口から飛び出したウィルの強烈な皮肉に、テレサは両目と唇を細めて微笑んだ。俯き気味のテレサの顔はよく見えなかったが、その反応はやはり好意的とは言い難かった。

 眼を塞がれ動けないウィルの苛立ちが募っているのは明らかだ。だがこの状況でテレサを刺激するのは愚策。止めねばなるまい。ミーチャはすぐさま立ち上がった。


「ウィル! そんな言い方は……」

「良いんだ、ミーチャ。こいつはそう言うって分かってた」


 そう言ってテレサは目の上に落ちてきた前髪を軽く払い、顔を上げた。テレサの苦笑い、そして落ち着きはらった声。その中には怒りの感情は見受けられず、強いて言うならばそう、懐旧の念が現れていた。自分と違い、前の世界での記憶を持っているがゆえなのだろうか。テレサとウィル達の関係も気になるところではあったが、今言及すべき事ではなかろうとミーチャは口を噤んだ。


「……さっき俺の蹴りを避けたのは、俺の視界から蹴りの軌道を予測したって事なのか」


 ウィルは口をとがらせたまま呟いた。だがその声には怒気も敵意もなく、あるのは状況把握への意欲だけのように思えた。切り替えが早いのか、単にどうでも良かっただけなのか。とにかく喧嘩をふっかけようとしている訳ではないと理解し、ミーチャはほっとした。


「ご明察」


 テレサはあっさり肯定した。ウィルは右手で頭を掻きむしり、口をへの字に曲げて小刻みに頷いた。


「……そう言う事ね。ミーシャの説明より無駄がなく分かりやすい」


 自分への批判。ミーチャは当然気がついていた。まともに取り合うのも面倒だが、言われっぱなしというのも癪だった。彼が選んだのは、正座に座り直し冷静に事実を述べつつ、話題転換をはかる事だった。


「僕はテレサさんの疑問点を予測して自分の考えを話したに過ぎませんから、何も知らない君にとって理解しがたいのは当然ですよ。ともかく、この力でリリィの視界をとらえられるかも、という事で良いんですよね、テレサさん?」

「ああ、そうだ」


 テレサは頷いた。


「ただし、オリジナルから分離したエクストラに私の能力が使えるかはわからない。そんな事例は風の噂に聞いたくらいで、実際にお目にかかったのは初めてだからね。正直のところ、五分五分……いや、駄目元と言ってもいいくらいだ」


 テレサはカップをゆっくり水平に回し、伏し目がちにそう言った。あのワンマン社長の有能な相方であるテレサが、自らの能力にこれ程厳しい評価をしているなんて。ミーチャは目を瞬かせ、そしてテレサをまじまじと見つめた。眉間にしわを寄せる彼女の目線は、カップの中で軽やかに踊る紅茶に注がれていた。


「……そもそも、だ。その能力、リリィが目を持った生き物の中にいる前提じゃないと、使えないだろ?」


 ウィルの言葉はぶっきらぼうでこそあったが、その指摘は的確だった。それにミーチャが反応するより早く、テレサはついと顔を上げ、カップを丁寧に脇のテーブルへと置いた。


「まぁ待ちな。ここから先は完全に私の推測のみの話だが、あんたから離れた後、リリィは自分の『断片フラグメント』に入ったんじゃないかと思っている」

「「『断片フラグメント』?」」


 怪訝そうな二人の声が重なった。テレサはくすりと微笑み、テーブルの菓子皿からビスケットの個包装を一つ取り上げた。そしてその袋の端を前歯で噛んで片手で裂き開け、中身を一枚テーブルの上へ落とした。


「簡単に言うとね、エクストラはある世界での生を終える度に、死後の世界で自分の一部を一旦バラバラにするんだよ」


 その言葉と共に、テレサはビスケットを指でつまみ上げ、真ん中から押し砕いた。ビスケットは五つの小片となり、乾いた音を立ててテーブルに落ちた。


「そして次の世界での生を得る時、それらを再び繋ぎ合わせる。だがその時繋げなかった断片があると、それはエクストラの核と同じ世界で別の命として生まれ落ちる。それが『断片フラグメント』だ」


 そう言ってテレサは一番小さな破片をつまみ上げ、ミーチャの鼻先にかざして見せた。


「……はぁ、なるほど」

「なるほど、じゃねぇよ。話だけじゃさっぱりわからんわ。視覚的説明があるなら俺にも見せろよ」


 ミーチャの感嘆に続いて、ウィルは不満げに声を上げた。仕方のない反応だ。だがテレサがウィルの顔面に手を置いたままの姿勢を維持しているのは、おそらく難易度の高い能力発動に必要なため。ウィルにはこのまま大人しくしてて貰った方がいいのだろう。ミーチャはそう考えた。


「後で僕が丁寧に説明しますから、今は静かに話を聞きましょう。ね?」


 励ますようにウィルの肩をそっと叩き、ミーチャは目配せでテレサに話の続きを促した。彼女は頷き、欠片をテーブルに置き直した。


「通常であればエクストラと『断片フラグメント』が関わり合う事はない。だがエクストラが何らかの理由でオリジナルと分断されてしまった場合、エクストラは無意識に『断片フラグメント』に引き寄せられると聞いた事がある。そしてオリジナルと合流できるまで、『断片フラグメント』を核の仮置き場にするんだとか」


 そこまで話してテレサは一息つき、残り少ない紅茶のカップをとった。ミーチャはティーポットへ手を伸ばそうとしたが、彼女は注ぎ足しはいらぬと言うように手を振った。


「そんな訳の分からない話、リリィから聞いた覚えはないな」


 テレサが紅茶で口を潤す横で、ウィルは更にぼそりと呟いた。


「……アイザックも、よく知らないみたいです」


 一方のミーチャは、肩を落とし項垂れた。テレサはそんな二人を見比べ、優しく微笑んだ。


「本来あんたらが知っている必要はないし、知っていたとして、利用する機会がまずないだろうからねぇ。で、話の続きだけど」


 テレサはそう言いながらビスケットの破片を一つつまみ上げ、ぽんと口に放り込んだ。破片は美しい放物線を描き、ごく自然にテレサの口の中へと消えていった。

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