お嬢様と執事の夕べ
夕食を終えて間もなく、ベアトリクスは自分のベッドに潜った。急ごしらえで簡素なつくりの丸太小屋であるにも関わらず、彼女の個室をきちんと用意しているのは合格だ。しかし、リビングと個室の間仕切りがカーテンというのはいただけない。酷い経費削減をしてくれたものである。老執事からの些細な嫌がらせだと解釈したものの、それで彼女の怒りが収まる筈は無い。そんな状況でも彼女が何も言わなかったのは、慣れない雪道を往復させられ、愚痴をこぼす体力すら残っていなかったからだ。
用意された硬いマットレスに勿論不満はあった。だが羽毛布団を頭から被り猫のように丸くなってしまえば、大して気にはならない。イマヌエルからしばしば『布団饅頭』と揶揄されるこのスタイルが、彼女のお気に入りだった。
「お嬢様、失礼致します」
カーテンの開く音と共に聞こえたイマヌエルの声。だが、ベアトリクスは狸寝入りを決めこんだ。ぴくりとも動かない布団饅頭を前に、執事は何故か彼女を起こそうとしなかった。気配からして、カーテンを戻してダイニングへと戻ってしまったようだ。いくらか不審に思いながらもそのまま寝たふりを続けていると、陶器がかちゃかちゃ擦れ合う音に続いて、カーテンが再び開く気配がした。
「お嬢様、ジルベール様の使いの方がお見えになるまでは、お休みにならない方が良いのでは?」
イマヌエルの話のバックで、とぽとぽと液体を注ぐ音が聞こえた。コーヒーでも飲ませて起こしておこうというのだろう。カフェイン濃度の高い飲み物が苦手なベアトリクスには、新手の嫌がらせとしか思えなかった。
「荷物を受け取るだけじゃない。あとは任せるわ。イマヌエル」
布団饅頭から頭すら出さず、彼女は億劫そうに答えた。折角布団の中が温まりかけてきたところなのだ。そこから這い出て、いつ来るかもわからない客を待つのはごめんだった。
「私は構いませんが、万が一箱の中身に問題があれば、お嬢様の責任になってしまいますよ?」
「大丈夫だってば」
それでも食いさがる執事を睨みつける為だけに、ベアトリクスはようやく布団饅頭から顔を出した。
「折角得た上客だもの、変な事はしないでしょ。私にとっては、体力温存の方が大事なのよ」
そう言って寝返りを打とうとした矢先、突然何かが彼女の鼻先に突きつけられた。その外観を視認するより先に、彼女はその正体を把握した。鼻の奥をくすぐる、ハイビスカスとローズヒップの甘酸っぱい香り。間違えようがない。それは彼女が最も愛飲しているハーブティーだった。彼女の好みを知り尽くした執事ならではの「攻撃」は、彼女にとってかなり有効だった。
(こ、こんな事でご機嫌取りしようったって……うぅ、ハーブティー、ハーブティー、か……)
ベアトリクスは薄目でハーブティーを見据え、そして布団からおずおずと右手を伸ばした。だが、執事はカップをすかさず脇へやり、枕元から遠ざけてしまった。彼女は恨めしげに執事を見上げ、ついに渋々起き上がった。
ようやく執事から受け取ったハーブティーを一口飲むと、身体の中心から手足の先に向かって温かさが広がっていくのがわかった。彼女は何も言わずハーブティーを飲み続け、その間、執事も無言で脇に立っていた。
彼女は気づいていた。グリズリー邸を出てから、イマヌエルはどことなく落ち着かない風だった。だがその理由は全く思いあたらない。ジルベールに不穏な動きがあったなら直ちに報告する筈だし、真正面にいた自分が気づかなかったわけがない。では、彼は何を気にしているのだろう? そして何故、何も言わないのか……?
「『戦乙女』の事が気になる?」
ベアトリクスは適当にカマをかけてみる事にした。
「……いえ、お嬢様、そのような事はありませんが……」
イマヌエルらしくないどもり方だった。本当に『戦乙女』の事が気になるらしい。彼に教えたのは『戦乙女』が他の惑星の滅亡に関わっていたという事だけの筈だが、他に何が気にかかるというのだろう? 彼女の好奇心センサーは無駄に大きく反応を示し、それは彼女の重い口を開かせるきっかけとなった。ベアトリクスはカップを膝の上に置いた。
「前に言ったと思うけれど、『戦乙女』の事は本当に全く視えてないのよ。現在の容姿も、何してるのかも。わかったのはこの街にいるって事と、何故か私の『断片』も近くにいるって事だけ。『断片』の事がなかったら、私が面倒な事をする必要はなかったのに。ったく。『ワトソン』への依頼が無駄になっちゃった」
口を尖らせつつ執事の顔をチラ見すると、執事は年相応に皺の寄った眉間に更に皺を寄せ、しっかり渋い顔になっていた。だが彼はまだ何も言わない。きっと彼女に言う程の事では無いと思っているのだ。だがそれを詮索せずにおくほど、彼女は無関心ではいられなかった。
「気になる事があるなら言って頂戴。今は気分が良いから、余程の事でなければ答えてあげる」
寝巻きの裾を整えて足を組み替え、ティーカップをベッド脇のテーブルにおくと、ベアトリクスは探るような目でイマヌエルを見上げた。彼女の口調は柔らかかったが、その両眼は威圧的で、有無を言わせぬ気迫に満ちていた。イマヌエルは観念したのか、はあと一つ息をつくと、彼女の表情を伺うような素振りで話し始めた。
「『断片』と『戦乙女』の存在が近いというのは、偶然でしょうか? 例えば、何らかの方法でお嬢様の『断片』を見つけていた『戦乙女』が、密かに殺そうと狙っている、という可能性もあるのではと……」
執事の話を聞いていたベアトリクスは、終始両眼を丸く見開いていた。だがとうとう堪えきれなくなり、ふっと鼻を鳴らした。戦乙女の能力とか対策とか、もっとややこしい事を考えているだろうと思っていたベアトリクスにとって、執事の答えは拍子抜けすぎて、笑いとばしたくなる程だった。
「それは無いわね。単体では全く意味をなさない『断片』を殺そうとするくらいなら、本体を直接狙った方が余程有意義だわ。それにね、多分『戦乙女』は目覚めてない気がする。本人の姿も力の反応も全く『視え』ないのは、そういう事だと思う」
ベアトリクスは力を込めてそう言った。実際、イマヌエルの仮説も可能性が全くないとは言えない。だが、そもそも『戦乙女』の事が全く視えてない現状を説明できる要因が、そのくらいしかないのである。『戦乙女』はまだ目覚めていない。この予想だけは正しいだろうと、ベアトリクスは信じていた。
「そうだ、明日の晩あたり、キースに手伝って貰おうかしら」
ベアトリクスは膝の上でぽんと両手を打ち、今度はくだけた笑顔で執事を見上げた。
「彼の能力があれば『断片』を見つけるのは容易いだろうし。で、『戦乙女』は見つからなかったって事にしてー」
「ゼラ様に叱られますよ」
「……そうよね」
彼女の思いついた姑息な策はさらりと却下された。ベアトリクスはむうと不満げな声で唸ったのち、例の布団饅頭の形に戻った。今度は顔だけを外に出して。
「『断片』はともかく、『戦乙女』の方は、どうしても見つからない場合……」
そこまで言うとベアトリクスの眼は、雷雲が広がった空のように暗くなった。
「最悪、街一つ犠牲にしなきゃならない。ギガを地球みたいにするわけにはいかないから」
元来、ベアトリクス自身は安易な破壊活動を好まなかった。その彼女にここまで言わしめる程の危険性が「戦乙女」にはあるのだ。イマヌエルはそれだけ理解してくれればいい。そう彼女は考えていた。
「安心して、イマヌエル。折角の取引相手を安易に潰す事は出来ない。それは本当に切羽詰まった時の話よ」
ベアトリクスは軽く微笑んでみせた。
「とはいえ、何の手がかりもなしに探すのはきついのよね。街の人間全員、しらみつぶしに視るしかないのかしら。うーん、明確な根拠はないけれど、何となく怪しい気がするんだけどなぁ……あの隠れスケコマシ」
そう言いながら彼女は、布団饅頭を崩さぬよう器用に寝返りをうって仰向けになった。そのまま頭上に目をやると、先程よりも緊張の解れた顔のイマヌエルと目が合った。
「つまりそれは、お嬢様の勘ですか?」
意地の悪い笑みを浮かべる執事の言葉に、皮肉がこもっていない訳がない。ベアトリクスは真っ赤になった両頬をぷうと膨らませた。
「えーえー、どうせ能力抜きでの私の勘は、全く当たりませんよー」
そう言って、彼女は布団饅頭の中へと引っ込んでしまった。




