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ペクトラ  作者: KEN
オリーブ・アンダルシア 〜苦悩〜
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仕置き

 先に動いたのはワーニャの方だった。軽快にウィルの正面から走り寄ったかと思う間も無く、右腕を大きく横に振り抜きながら武器を投げつけた。ウィルは左へ飛び避けつつそれを拾い上げ、木影に走り込むと幹を背に拾得物を確認した。


(動物の骨を削って作った投げナイフ、か)


 ワーニャに投げつけようと顔をだしたが、ワーニャの姿はそこにはなく。


「取った!」


 ウィルがはっと振り返り見上げた先に、左手の武器を構えて跳躍したワーニャがいた。それはウィルが身構える間も無く放たれたが、ウィルは咄嗟に真下へ転がり込み回避し、ワーニャの背後を取った。すかさずスカートの裾を掴もうと上体を捻りながら右手を伸ばしたが、ワーニャも空中で身を捩り回避。右手で武器を引き抜きざま投げつけ、背後に両手を回した体勢ですとんと木の根元へ着地した。


「……大きな口を叩くだけじゃないって事か」


 鋭い眼でウィルを睨みつけたままワーニャは呟いた。その顔に余裕は一切みられなかった。


「今までの人間と一緒にしない方がいいぞ。俺は手加減する気なんか毛頭ないからな」


 淡々としたウィルの言葉にワーニャは歯噛みした。実際、ワーニャが今まで対峙した人間は少女の外見でワーニャを侮り、それがワーニャの奇襲を成功させる要因になっていた。しかし、通常戦闘でも一般人に遅れを取ることなどありえないと考えていたワーニャにとって、現在の状況は屈辱以外のなにものでもなかった。


「こいつっ……絶対殺るっ!」


 眼を更に血走らせ、ワーニャは背後から小さめのククリのようなナイフを抜くと両手に一本ずつ逆手で構えた。その姿は獲物に狙いを定めた蟷螂を彷彿とさせた。


「……抱きかかえた時の重量と感触はそのせいか」


 ウィルは相変わらず冷ややかな視線を向けていた。


「気付いた時に取り上げておくべきだっただろうな。手製の投擲用小刀とは殺傷力が違うぜ?」


 あどけなさの残る少女の顔に下卑た笑みを浮かべたワーニャに、ウィルは更なる嫌悪感をあらわにした。


「公衆の面前で少女の服の中を改める趣味なんかないし、何よりな……」


 話しながら先程拾った骨のナイフを左手の上でくるりと回し、順手で構え持つとウィルは吐き捨てるように言い放った。


「今の状況でも俺は、お前に勝てるよ」


 その力強い声に圧倒され、ワーニャは手が汗ばむのを感じた。

 ウィルはワーニャの右側をとるように湾曲した軌道で走り寄り、左足を相手の右踵目掛けて振り下ろした。が、ワーニャは右足を左足の後ろへ後退させながら回避すると勢いそのままに左手のククリを切りつけた。それをウィルは右手――タオルが巻かれた手甲部――で止め払い、ワーニャは払われた勢いを利用し距離をとった。この僅かな攻防の間にウィルの予想は確信に変わっていた。


(……概ね思った通り。十中八九、彼奴はペクトラ。そしてワーニャはエクストラだ。だが恐らくペクトラとしての訓練は積んでいない。オリジナルは8歳の少女。であれば狙うはただ一つ……)


 ウィルは骨のナイフを片手にじりじりと間合いを詰め始めた。ワーニャも両手のククリを構え直し体勢を整えた。


――次の瞬間。

 二人は双方同時に互いへと突進した。


 ウィルの胸部めがけてワーニャの両手のククリが×の字に振り上げられた、その刹那。


 ウィルはワーニャの両手が交差したところで右腕を勢いよく跳ね上げた。その衝撃で仰け反ったワーニャは右手のククリを放してしまった。


(チャンスッ‼︎)


 ウィルはワーニャの左手をククリごと右手で握り込み、同時に左肘を突き出してワーニャに覆いかぶさるように倒れ込んだ。


 ワーニャの右手と首はウィルの左腕に。

 ククリを持った左手はウィルの右手に。

 下半身はウィルの左足に。

 完全に拘束されていた。


「負けを認めろ」


 左腕を押しつけぎりぎり首を締め上げるウィルをワーニャはきっと睨みあげた。左腕に力がこもる感触がウィルにも伝わった。


「……殺されても認めるか」


 その言葉でワーニャが戦意を失っていない事を悟り、ウィルは嘆息した。


「……あまりやりたくはないんだが、仕方ない」


 ウィルは拘束が緩まない程度に上体を起こし、右足を立ててワーニャの左手を拘束し直した。隙あらば拘束から逃れようともがいたワーニャだったが、それは全くの徒労に終わった。

 ウィルは左手の骨ナイフを右手に持ち直し、不自然な程ゆっくり右腕を振り上げ、


「……眼を潰す」


冷酷な予告とともに右手のナイフを振り下ろした。


 左の眼球めがけて躊躇なく下ろされるナイフが迫り。


――強烈で、鮮明で、圧倒的。


 ワーニャはこれまで味わった事のない恐怖を体感した。心臓は早鐘のように喧しく鳴り響き、呼吸は激しく乱れ、全身の毛穴からは冷たい汗がじっとり滲んだ。あまりの恐怖に眼を瞑ることもできず、悪寒に全身ががたがた震えだした。

 どんな拷問であろうと耐える自信はあったのだ。にも関わらず、ワーニャは寸止めされたナイフを目の前に涙を流していた。その事実はワーニャの戦意を削ぐには十分だった。


――カラン。


 ククリの落ちた音が虚しく響いた。勝負は完全に決していた。


「……それが普通の女の子の反応だよ」


 ワーニャの左手から落ちたククリを拾い、ウィルは拘束を解いた。拘束を解かれたワーニャは頬を伝う涙を触って確認し、しばし呆然としていた。眼球を潰されかけた程度で戦意を喪失するなど、信じがたい事だった。そして嘗て誇り高い軍人だったワーニャにとって、それはあってはならない事だった。


 ショックを受け動けずにいるワーニャを抱き起こしながらウィルは励ますように言った。


「あんまり落ち込むなよ。お前の感じた恐怖は軍人のお前のものじゃない」

「……どういう、ことだ?」


 掠れ声で尋ねるワーニャにウィルは自分の左目を指さし説明した。


「俺はお前の左眼を潰そうとしたことでオリーブの恐怖を顕在化させた。……簡単に言うとだな、お前はオリーブの怯えを自分の感情と勘違いしたってわけ」

「オリーブの……?」

「そう」


 オリーブの身体についてワーニャすら把握できていない事をウィルは知っているらしかった。今日のような失態を二度と犯さないためにも、自分とオリーブの事をもっと学ぶ必要性があるとワーニャは思い知らされた。


「寧ろお前はすげえよ、ワーニャ」


 一方、ウィルはワーニャの隣で大の字になると瞬き始めた星空を見上げた。


「女の子の身体であれだけ戦えるなら、大抵の大人相手には苦労しなかっただろ? ……俺も危なかったな、本気出してなけりゃ」


 朗らかに笑うウィルに、ワーニャは完全に当惑していた。自分にナイフを向けた相手を横に、こんな無防備な体勢で笑っていられるものなのだろうか。或いは自分の本気の戦闘すら、少年にとっては手の平の上の出来事だったのかもしれない。ワーニャは内心舌を巻いていた。


 骨ナイフをポケットから取り出すと、頭上にかざすとウィルはワーニャへ疑問を投げかけた。


「骨を削った投げナイフや、あのククリの扱い方……みんな、軍人だった頃に覚えたのか?」

「独学は多分にあるが、大体そんなとこだ」


 少年の思考はきっと自分の理解できる範囲の外にあるに違いないが、今はまだそれを詮索する段階ではない――ウィルの問いかけに答えながらワーニャはそう考えていた。


「……やっぱエクストラって凄いな……。経験の差というか年のこ……、いや、何でもない」


 言いよどんだウィルの独語に未知の単語を聞き取り、ワーニャは興味を覚えた。


「……エクストラとはなんだ?」

「そっか。終わったら教えてやるって言ったっけ」


 がばりと勢い良く体を起こしてウィルは言った。


「約束だ。俺にわかる事を少し話してやるよ。でもその前に……」


 ウィルは自分が立ち上がると同時にワーニャの手を掴んで立ち上がらせ、優しく笑いかけた。


「暗くなる前に、リーナの所へ帰ろう」


 ワーニャの中で、ほんのりと温かい灯火が灯ったのを彼は感じていた。

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