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ペクトラ  作者: KEN
ベアトリクス 〜商談〜
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破格なお値段

 ベアトリクスはなめるように実の外観を観察した。内心、すぐにでも実を割りたくてうずうずしていたものの、流石にそれは彼女の中の僅かばかりの良心が――打算と外面の良さを使 駆使して生きてきたベアトリクスに、本当に「良心の苛責」という概念があるのかは甚だ疑問ではあるものの、ここでは言及しない事にする――許さなかった。だがそれはジルベールにしっかり見透かされていたようで、彼はにっこり微笑むと、ベアトリクスの前に右手を差し出し言った。


「中を割ってお見せしましょうか?」

「ええ、是非」


 即答。断る理由などなかった。ベアトリクスはすぐさまジルベールの手のひらに実を乗せ、背後で微動だにせず佇む老執事へと振り返った。


「イマヌエル、試薬とサンプル出してくれる?」

「承知しておりますお嬢様」


 いつの間に出していたのか、イマヌエルの手の上には一枚の黒いハンカチ、小さな試薬瓶、そして小指の先程の大きさのバイアルがあった。それらを全て受け取ると、ベアトリクスはバイアルの封を開け、白い粉をハンカチの上へ広げた。そしてジルベールが割った実を断面が見えるように置き、試薬を粉と実のそれぞれに垂らして二つを見比べた。実の断面に垂らした試薬の発色は、肉眼でもはっきりわかるほど良好で、サンプルの粉と比較しても全く問題はなかった。それは、この実の中に有効成分が十分量含まれている事を意味していた。


「……ふむ、嘘はなさそうね、今のところ」


 期待以上の結果に満足している事などおくびにも出さず、ベアトリクスはわざとらしいすまし顔でモノクルを磨きながら言った。ここから先は彼女の交渉術の腕の見せ所。相手の出方を見ながら時には強気に、時には緩く応じ、互いの落とし所、腹の内を探り合う駆け引き。それ自体がベアトリクスにとっては至上の喜びだった。


「はは、嘘も誇張もありませんよ? 精製した現物もお見せしましょうか?」


 余裕たっぷりのジルベールの返答に、ベアトリクスは自身の優位を確信した。だが油断は禁物。今この繊細な場面において、押しすぎも引きすぎもダメなのだ。ベアトリクスはさりげなく、だが油断なくジルベールの表情を目で追った。


「いえ、それは結構。質の良さは認めますわ。これならば取り引きさせて頂く商品として問題ないですわ」


 すまし顔を崩さずモノクルをポケットにしまい、垂らしていた横髪をくいとかきあげる。ベアトリクスの右耳には、ムーンストーンのピアスが鈍い光を放っていた。


「では、取り引きして頂けるのですか?」

「慌てないで下さいな、ジルベール様」


 椅子から飛び上がりテーブルの上に身を乗り出すジルベールを、ベアトリクスは柔和な微笑みで制した。


「買い取りたいのは粉ではなく実の方なのですけれど、今の収穫分は全て粉にしてしまいました?」

「いえいえ! こちらでは必要に応じて現物を作る程度の小さな設備しかありませんし、熟した実は冷蔵庫で保管しています。実の状態で買い取って頂けるならば、今から梱包させて頂きます。少々かさばりますが、大丈夫ですか?」

「ええ、運搬はイマヌエルがやりますから。とりあえず、そうねえ……三箱作って下さいませ。金額はどのくらいになりますかしら?」

「ええと……」


 ジルベールは懐から簡素な電卓を取り出した。ぱちぱちとボタンを叩く音ののち、くるりと反対に向けられた電卓は、ベアトリクスの前へそっと差し出された。


「……これでどうでしょう?」


 少しばかり神妙なジルベールの様子に、どれだけ高くふっかけたのかと軽く眉をひそめつつも、ベアトリクスは電卓の表示を覗いた。


 ……!?


 見間違いでない事を確かめるために、何度も目を瞬かせる。

 破格の値段。こんな安値で売るつもりなのか!? ベアトリクスの眉が二度ぴくついた。


(市場価格の調査をしなかった訳じゃないでしょうに……何なのこの値は! どうしてもこの場で売りたくて、ギリギリの安値を出してきたって事なのかしら。それとも、ただ交渉にはど素人ってだけ??)


 この場限りの取り引きならば、この破格値でも問題はない。だが、万が一、この値段で他に大量放出されたら? 間違いなく市場価格暴落の原因になる。それでは仲介で儲けているこちらの身が危うい。


「……えーと、価格にご不満が……??」


 眉をひそめたまま俯いているベアトリクスの横顔を、ジルベールはそっと覗き込んだ。そこで思案を終え顔を上げたベアトリクスと目が合い、彼女はまた柔和に微笑むとそっと立ち上がった。


「随分お安く出して下さるのね。嬉しいですわ。でも、この実が世間でどれだけ高い価値を持っているのか、貴方はもっとしっかり知るべきですわ。今回は……」


 そう言うとベアトリクスは電卓をひったくり、タタタンッとボタンを打ってジルベールの顔面に勢い良く突きつけた。鼻先に突きつけられた額面を寄り目で読みながら、ジルベールは間も無く目を大きく見開いた。


「一万五千ドル……という事は、一箱五千ドル! ほ、本当ですか!」


 電卓をわきによけ、ベアトリクスへにじり寄るジルベール。その顔を見るまでもなく、彼は自分の商品がとんでもない価格をつけられた事に驚愕し、歓喜しているのがわかった。


「嘘も誇張も、ありませんのよ?」


 ベアトリクスは改めて微笑んでみせた。あるいは普通の人間の分際でこちらの出方を試したのかとも思ったが……ただの考えなしだったか。肩と足から一気に力が抜け、彼女はすとんと椅子へ腰を下ろした。

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