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ペクトラ  作者: KEN
ベアトリクス 〜商談〜
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ココア飲む二人

「……美味い」


 ココアを一口含み、暫くの間黙り込んでいたジルベールは、緩やかに飲み込むとこくりと頷いた。そしてカップを両手で包み込むように持ち、正面に座るベアトリクスへ軽く頭を下げた。


「いやはや、本来であればこちらがお飲み物を用意すべきところを、恐縮です」

「どうかお気になさらないで、ジルベール様。私はお菓子や飲み物を皆さんに振る舞いたいだけなのですから」

「このように美味な飲み物をいつも振る舞っていらっしゃるとは、ベアトリクス様のご友人が羨ましい」


 ベアトリクスは柔らかく微笑んだ。予想以上にココアを気に入っている様子のジルベールに、ベアトリクスは少しだけ気を良くしていた。


「喉の奥に広がる芳しい香りは、温暖な所で育つ植物の種が由来ですね?」

「カカオをご存知とは、博識でいらっしゃるのね、ジルベール様は」


 皮肉ともとられかねないベアトリクスのお世辞にジルベールがまず返したのは、乾いた笑いだった。


「珍しい食品を扱う市場で一度見ただけですよ。その時は香りの良い種だとしか思いませんでしたが、このようにミルクで溶いて飲むものだったのですね。……うん、美味い」


 そう言うとジルベールはまた一口、ココアを口に含んで感慨深げに頷いた。自身への皮肉に少しは否定的な反応を見せるだろうと思っていたベアトリクスは軽く面食らったものの、それを顔には出さなかった。


「宜しければ、良い取引先を紹介させて頂きますわよ?」

「いえ結構。非常に美味ではありますが、このような嗜好品は、今の僕には必要ではありません」

「では、何がお望みかしら?」


 これが今回の商談の核心部。こちらの要求は明示していたが、それに対するジルベール側の要求はまだ明らかにされてはいなかった。ジルベールの要望に二つほど見当をつけていたベアトリクスは、ジルベールがそのキーワードを出すのではと内心身構えた。だが当のジルベールはというと、商談などどこ吹く風と言いたげにココアをすすり、持ち前の甘いマスクで微笑んでみせたのだった。


「順を追って説明しますよ、ベアトリクス様。今は貴女と、この甘美な飲み物を楽しみたいのです」


 その言葉に嘘はなさそうだった。だがその甘いマスクの裏に下心を隠している気配も確かにあった。もちろん、同じ部屋にイマヌエルがいる以上、おかしな事など出来る筈がないのだが。ともかくベアトリクスは、とりとめのない話で場を繋ぐ事にした。


「……ご存知? カカオはその昔、神の食べ物として崇められていたの。時には妙薬として、時には貨幣として珍重され、カカオの存在は、人間にとって裕福の象徴とも言えた」

「それは知りませんでした」

「無理もないわね。ものの由来を知ろうとする行為は、この世界では罪深い事とされているから」

「でも貴女は、何でも知っている」


 ジルベールはカップをくるくる回し、ココアの液面に出来上がった歪な渦模様を見つめてそう言うと、陰りのある眼をベアトリクスへ向けた。


「貴女と同じ所に立って世界を見わたしたら、きっと素晴らしい光景が見られるでしょうね」


 ベアトリクスは頷かなかった。ジルベールの求めるものが権力だとすると、ベアトリクスの手で与えるのは正直のところ難しい。代わりに彼女は、温くなったココアを一気に飲み干した。


「それが貴方の欲しいもの?」


 ベアトリクスの射抜くような眼に、流石のジルベールも顔色を変えた。だがジルベールは曖昧な笑みを浮かべて答えた。


「無理なのは百も承知ですよ。ベアトリクス様。こんな事を言いたくはないんですが、貴女の存在を知るまで、僕は本気で思っていたんです。世界は僕の手で変えられるってね」


 ジルベールはココアを一口飲み、半分ほど中身が残っているカップへと視線を落とした。


「ですが、ペクトラと呼ばれる人間を――『禁じられた知識』を持つ存在を知り、僕は世界に失望しました。なぜ神は、僕に『禁じられた知識』を与えてはくださらなかったのか? それがあれば、僕はこの街を……いえ、この惑星を、もっと素晴らしい姿にしてみせたのに! 何度もそう思いました」


 ジルベールの声には僅かに憤りがこもっていた。だがその矛先がどこに向けられているものなのか、現時点でベアトリクスに分かる筈もなかった。


「面白い事をおっしゃるのね、ジルベール様は」


 飲み干したカップを背後のイマヌエルへ渡し、ベアトリクスは社交辞令の微笑みをジルベールへ返した。


「けれど、全てのペクトラが優秀なわけではありませんわ。私のように無駄に知識を沢山持っているペクトラは、この惑星にも数える程しかおりませんの。それとね、今の私達が世界を握っているとお考えなのでしたら、それは少し間違っていますわ」


 ベアトリクスはすっと立ち上がり、その場からジルベールへと片手を差し出した。


「貴方のように頭のきれる方とお仕事出来れば、あるいはそれも可能になるやもしれませんけれどね。私達には、貴方のような素晴らしい協力者が必要なので……」


――クシュンッ!


 だがしかし、ベアトリクスの突然のくしゃみが、その場にあった張りつめた空気をすっかり打ち壊してしまったのだった。

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