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ペクトラ  作者: KEN
メアリー・シーベルト 〜婀娜〜
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置き去りの心

「やはり雪国は寒いですね」


 オリーブの潜伏する小屋までの道を二人で歩く中、口を開いたのはステラの方だった。アンネから山程渡された防寒服を全て着込んで着膨れてはいたが、寒冷環境に不慣れで、しかも風呂上がりのステラにとって、インパイの街に吹きすさぶ雪風はさすがに身に堪えていた。だが日頃から無口なステラが敢えて口を開いたのは、その厳しい寒さのせいではなかった。


「……あぁ、うん、そうね」


 アンネはステラの顔を見ようともしなかった。彼女の顔は二人の進行方向を向いていたが、眼は何処か遠くを見つめているかのように空虚だった。二人の間に流れる重たい空気が、珍しくステラを居た堪れない気持ちにさせていた。


 ステラが風呂から上がった時、アンネは既に心ここに在らず、といった表情を浮かべてイーゼルの前に佇んでいた。その手には白い封筒が憎々しげに握り潰されていた。それが先程の客の置き土産なのだろうという事までは推測出来たが、その内容が何だったのかまでは、流石のステラも聞くのが憚られていた。


(今は殆ど上の空ですが、あの時はぴりついた空気が垣間見えていました。アンネさんの表情はほぼ間違いなく、あの手紙らしきものが原因なのでしょう。ですが……それは他所者の自分が詮索するような事ではないのでしょうね)


 虚ろなアンネの眼を些か気まずい思いで一瞥し、ステラはまた押し黙る事にした。吹雪は容赦なく二人へ降りかかり、その勢いは全く弱まる気配をみせなかった。


   *


 ステラが小屋の扉を開けると、部屋の片隅で藁に包まり小さく震えているオリーブの姿がすぐ眼に飛び込んだ。しかしステラとアンネの顔をみとめたオリーブは、すっかり真っ青になってしまった唇で弱々しく微笑み、銃と荷物を大事そうに抱えて立ち上がった。ステラは慌ててオリーブへと駆け寄った。


「あぁ、無理をしてはいけません、オリーブ。荷物は私が持ちますから。よく頑張って耐えてくれました。さぁ、背中におぶさって下さい」


 厚着にも関わらず、ステラはてきぱきとオリーブの荷物を引き取り腹側へ抱え込むと、オリーブへ背中を向けてしゃがんだ。しかしオリーブは首を横に振った。


「大丈夫です、自分で歩けます。それより荷物……」


 ステラが抱えた荷物へと伸ばされるオリーブの手を後ろ手で優しく掴み、ステラは優しく諭した。


「貴女はまだ訓練中の子供です。訓練に必要な行動は私が指示しますから、今は身体を休めなさい。さぁ早く乗って、オリーブ」

「ですが、自分で歩いた方が多分寒くないですし、体力作りには丁度良いかなと思います」


 ステラの強い勧めにも関わらず、オリーブはステラの背に乗るのを躊躇した。その顔は弱々しい微笑みでは隠しきれない程疲れ切っていた。立っているのもやっとの筈なのに、それでもオリーブは強がりをやめなかった。

今ステラの抱えている荷物が相当な重さである事が分かっていたからこそ、自分が余計な荷物になる事を避けたかったのだろう。ステラへの気遣いをみせるオリーブの姿は無理に背伸びしているように見えた。それはステラにとって仕方がないと思う一方、痛々しいとも感じていた。


 ペクトラという人間は、オリジナルですら幼少時から大人と同様に考え振る舞うのが普通だった。それは殆どの場合において、エクストラがそれなりに年を重ねた生命体であり、その記憶を(オリジナルが意識しているかしていないかに関わらず)共有している事に起因していた。

 しかし子供のペクトラ、特にオリジナルはやはり子供なのだ。それなのに、子供らしい振る舞いを我慢しなければならないかのように産まれついてしまった不条理さを目の当たりにして、ステラは大人になったペクトラとして複雑な感情を抱かざるを得なかった。


 勿論、幼少時に子供らしく振る舞う事を許されなかった子供はペクトラでなくてもいるだろう。だがそれは大体、外部環境に伴う適応の末に精神が成長していくものである。

 一方、子供のペクトラは内面から強引に大人の感情を植え付けられているだけで、自発的に心の成長を遂げたとは言い難い。そこにオリジナルとエクストラのズレをきちんと見出し、自ら成長できたオリジナルはまだ良い。だが、今のオリーブは明らかにそうではなかった。自分も同じ問題で苦労してきたからこそ、ステラはオリーブの現状に心を痛めていた。そして自分の幼い頃もこんな風に見えていたのかもしれないなと感慨にふけった。そんなステラの肩にそっとアンネの手が触れた。


「オリーブは私が背負うわ、ステラ」


 その声にステラはしゃがんだままアンネを見上げた。その表情は相変わらず固かったが、虚ろだったその眼には少しだけ生気が戻っていたようだった。オリーブを背負ってもらう事で少しでも気まずい空気を払拭できればと考えたステラは、アンネの申し出に頷いた。


「オリーブ、今はアンネさんのご好意に甘えましょう。明日も仕事はあります。今は無理せず身体を休めましょう。ね?」

「ほらオリーブ、早く家に行きましょ。温かい食事と寝床も用意してあるから」


 二人の間に流れる妙な空気を読んだのか、単にステラの言葉に従う事にしただけなのか、オリーブは二人に深々と頭を下げると、しゃがみ込んだアンネの背中へ静かに乗った。


「さ、しっかり掴まってね」

「……す、すみません、アンネさん……」


 温かい背中にもたれて緊張の糸が切れたのだろう、オリーブは涙を滲ませながら気絶するように寝入ってしまった。その涙が凍らぬようにタオルで拭き取ると、ステラはオリーブの顔を包むように自分のマフラーを巻きつけた。


「ちょっと、私の視界が遮られちゃうでしょうが」


 顔の脇に垂れたマフラーの端に、アンネは不満げな声をあげてステラを見た。オリーブが合流した事で、幾らかはいつもの雰囲気を取り戻しつつあるように見えた。


「オリーブを温める方が優先ですよ、それ位我慢出来ないのですか?」


 ステラはニヒルな笑みで答えると、タオルを荷物にしまって雪道を駆け出した。


「さぁ競争です! 速くしないとメアリーさんに色々聞いちゃいますからね!!」

「えっ!? ちょっと、先に走るとかずるいっ!」


 少しだけ重いオリーブの身体を背負い直し、アンネも駆け出した。

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