多すぎる問題
アンネから返却された拳銃を軽く会釈して受け取り、ステラはそれを腰のホルスターにしまった。
「ちなみに先ほどの方は? お兄様……という風には見えませんでしたが」
「幼馴染よ。名前はジルベール・グリズリー」
ステラの質問に先に口を開いたのはアンネだった。
「昔から近所の子供たちの中じゃリーダー格だったし、一応年上だからメアリーはそう呼んでるだけよ。それよりステラ……」
「何でしょう」
アンネはステラの全身をじろじろと見つめた。彼女は服、髪、顔、手足はもちろん、うなじのあたりまで、埃、蜘蛛の糸、そして煤のような黒い汚れに浸食されていた。床下の無残なまでの汚さはアンネでなくともよくわかった。我が家の徹底的な大掃除の決意を再度固めると同時に、ステラに対して軽い罪悪感がアンネに芽生えていた。
「悪いこと言わないから、風呂入っていきなさいよ。咄嗟に隠れたのはわかるけど、ものすごい汚れ方よ?」
「しかし……」
ステラは自らの腕の汚れをしげしげと見つめた。ステラの堅物な性格からすれば、アンネの申し出など断った方が良いと思っているのだろう。しかしステラはそれを躊躇っているようだった。一応汚れを気にする程度の女らしさは持ち合わせていたのかと、アンネは内心思っていた。
「言われずとも、服も貸してあげるから。その方が街の中を動きやすいし」
「ちょっと姉ちゃん、そんな急に……」
「あんたは黙ってなさい。ね、そうしなさいよ、ステラ」
困惑するメアリーを黙らせ、アンネはやや強引にステラへ言った。それにはちょっとした思惑が裏にあった。しかしアンネはあくまで唯の善意を装っていた。そしてそれはなんとかステラを信用させるに至ったようだった。
「……ありがとうございます。お言葉に甘えることにします。貴女ならば大丈夫でしょうし」
「大丈夫って、何がよ」
「謀をめぐらせる程の動機も実力もないって事ですよ」
思いのほか柔らかく微笑むステラの表情に猜疑心らしきものはみられなかった。アンネは安堵の笑顔を皮肉への溜息でごまかした。
「ほんとにいちいち勘に障るわ、あんたの言葉は。さっさと身体を綺麗にしてきなさいよ。着替えたら一緒にオリーブを迎えに行くわよ」
「そうですね、寒い思いをさせているに違いありませんので」
ステラはアンネの差し出したバスタオルと着替えを受け取り、頷いた。
*
「姉ちゃん、あの人、本当にうちに泊めるつもりなの?」
「ええ、そのつもりよ」
ステラがシャワーを浴び始めた音を確認し、メアリーは不安げにアンネへ耳打ちした。アンネは力強く頷いた。
「大丈夫。ステラは口は悪いけど腕は立つみたいだし、私達に無暗に危害を加えるようなことは……」
絶対ない、と言い切りたいところだった。だが初見で銃を突きつけられた事を加味すると、そう断言するにはステラへの信頼がまだ足りない気がした。
「多分、ないはずだから」
アンネの返答に出来た間と含みのある語尾は、メアリーを余計不安にさせたようだった。メアリーはソファに腰掛けると長い溜め息を吐いた。
「いいのかなあ……ただでさえ街の人達、変な病気でぴりぴりしてるっていうのに」
「あ、そうだった。今流行している奇病、あんたは何か知らないの?」
アンネはメアリーの肩にそっと手を置き尋ねた。メアリーは一度首をひねり、そして説明しにくいとでも言いたそうな顔でアンネを肩越しに見上げた。
「うーん、割と長く熱が続いて、だんだん息をするのも苦しくなって、衰弱していくって事くらいしか……」
「呼吸器症状がメインってこと?」
「多分」
「いい加減ねえ、役立たず」
歯切れの悪いメアリーの返答に、アンネは軽く苛立ちを込めて呟いた。けれどもそれは、決してメアリーに対してだけのものではなかった。
このところ色々な事が身辺で起きているのに、自分がまともに出来た事と言えばフィンを連れて逃げ出した事だけだった。そのフィンは無理がたたって風邪をこじらせ、倒れる寸前だったのだ。その事に気付けなかった自分、いや、そもそも逃亡という選択肢を選ばざるを得なかった自分に対しての苛立ちが、メアリーへの八つ当たりの言葉となって現れた。
「私は医者じゃないもん、仕方ないじゃん」
メアリーは気を悪くしたらしく、ぷうと頬を膨らませた。少し理不尽な言い方をしてしまった事に後悔はあったが、手のかかる妹へわざわざ謝罪をするという行為にも抵抗があった。結局アンネは、メアリーの不貞腐れ顔に気づいていないふりをする事にした。
(……まあいいか、ステラは監視下におけるし、クセニアの手伝いをしていれば奇病の情報も入ってくるでしょ。あとはあの噂……)
考えを巡らせつつもアンネはメアリーのイーゼルへ歩み寄り、ジルベールの残していった白い封筒をつまみ上げた。
(変な事に首突っ込んでないといいけど、ジルベールの奴)
部屋の明かりで封筒を一度透かし見てから、アンネは封筒を破り開けた。




