もう二度と。
女性一人称で、ほぼ語りです。最後のほうに、若干別視点が入ります。
ーーユィランは、いつも泣きそうな顔をしているね。
五度目の同居人にそう言われたとき。私は黙って、笑って見せるしかなかった。
* * * *
体が宙に浮くような独特の感覚に、六度目の≪転移≫が起こったことを知った。
ちょうど、朝起きて身支度をすませたばかりの時で、私はあわてて髪を触って確かめ。髪飾りに触れ、安心した。
--よかった。無くさずにすんだ。
私は髪飾りを両手にとり、しばらくぎゅっと握りしめてから、髪に付け直した。
立っているのは、さっきまでいた家の寝室ではなく、台所のようだった。冬の弱い日差してはなく、もっと強い光が差し込んでいる。窓辺に近寄ると、遠景には山ではなく、海が見えた。
どうやら山間の集落から、海辺の村に飛ばされたらしい。気候も違うのか、着込んだ上着が暑く感じられ、一枚脱いで台所の椅子に掛けた。
ーーさて、ここはどこだろう。
考えても、わかるわけがなかった。≪転移≫は、いつも≪彼ら≫の考えで行われる。あれこれ考えても、虚しいだけだ。
見知らぬ家の中で。壁にかけられた時計を見て、とりあえず朝食を作ろうと決めた。
台所にある道具と食材を確かめ、献立を決め、作り始める。ーーとりあえず、二人分。
この家に住んでいる同居人は……たぶん、いるのだろう。もしかしたら、この家の中に。顔を合わせる覚悟などなく、探す気にもなれないけれど。
お米があったので、とりあえずお粥は決定。後は、どうしよう。葱と……あ、卵がある。
分量を量った米を洗って、ざるにあげる。なじんだ作業なのに、場所も道具も違うと、気持ちは落ち着かない。≪転移≫は六度目だけど、慣れることなどできそうもない。
心細さに声をあげたくなるのを、唇を噛んで耐える。
……何度くりかえしても、押しつぶされそうな不安は、なくならなかった。
* * * *
≪彼ら≫がどういう存在なのかについては、育った村の長老たちに聞かされた伝承の中でしか、私は知らない。
≪彼ら≫は、遥か彼方に存在しているという母星を離れて、この星にやってきて。自分たちに合うように、この星の自然を作り変えようとして。
それが完了する頃になってはじめて、私たちの存在に気付いたのだという。それまで気づかないくらい、私たちと≪彼ら≫では、存在する次元が違うらしい。
【知的生命体】を絶滅寸前に追い込んだことに気づいた≪彼ら≫は、慌てて、私たちのためにいくつかの保護区を作って。見様見真似でも生活できる環境を整え、保護計画だの、繁殖目標だのを立て、忠実に実行しているのだという。少なくとも、村の長老たちは、数代前に起こった異変とその後に引き起こされた数々の出来事から、そう認識している。
『おそらく、そうだろう』というレベルで止まってしまうのは、≪彼ら≫と私たちでは、意志疎通も難しいくらい、かけ離れた存在だから。
だから。≪彼ら≫の計画や目標がどんなものなのか、私たちには知るすべがなく。善意なのかもしれない≪彼ら≫の行為が、私たちをどれだけ混乱させ、不安にしているかも伝えるすべがないのだ。
* * * *
私が育ったのは、湖畔にあるシーアンの村だった。
両親と弟と、四人の家族で。ケンカしたり、叱られたりもしながら、あの頃は何も知らず、屈託なく笑っていたと思う。
近所には年の近い子がいて、外で転げまわって遊んでいた。いじめっ子に髪を引っ張られたり、突き倒されることもあったけど、ハオランがいつも守ってくれた。
三軒隣の家の、幼馴染で一番仲良しだったハオラン。近所のお姉さんが≪転移≫でいなくなったとき、寂しさに泣きじゃくる私が落ち着くまで、ずっと手を握っていてくれた。大きな、温かい手。
ずっと一緒にいられると、思っていた。なのに。
最初の≪転移≫は、十七歳の時だった。
ハオランと言い交して間もなく。鍛冶屋に弟子入りした彼の修行が、もうすぐ終わるというときだった。忙しさになかなか会えなくなっていたけど、婚礼の日を指折り数えていた。
それが。
はじめは、自分が≪転移≫させられたのだと、気づかなかった。突然の宙に浮く感覚の後、見知らぬ家の中にいて。全く見覚えのない男性が目の前にいて。それでも、わからなかった。--わかりたくなかった。
ーーある程度の年齢を過ぎても、決まった相手のいない人は、≪転移≫させられることがある。
村の長老たちに、そう聞いてはいた。
減りすぎてしまった人間の数を、一定以上に増やすための、≪彼ら≫の対策、なのだという。
≪彼ら≫がこの星を訪れる前。まだ人々に余裕があった頃。血統の合うペット同士をお見合いさせたりしていたという。離れた場所に住んでいる犬や猫を、籠に入れて連れてきては互いに引き合わせて、相性が合うようであれば、繁殖させる。
≪彼ら≫が人間に対してしているのも、そういうことであるらしい。
ーー私には、ハオランがいるのに。彼と一緒になって、シーアンの村に住んで、みんなと一緒に、ずっとずっと……それなのに。なぜ?
≪転移≫先にいた男性の名前は、リェンレンと言った。たくましく育ったハオランとはまるで違う、背もやや低めの、細身の青年だった。
彼は、シーアンという村の名前に聞き覚えはなく。≪転移≫先の村の名前は、私には初めて聞くものだった。
名前が知られていないということは、別の保護区にある村、ということだ。
地続きではない、≪彼ら≫の≪転移≫によってしか行き来できない、もしかしたら別の大陸にあるのかもしれない、保護区。
……絶望しかなかった。
それからしばらくの間、私は何日もの間、与えられた部屋に閉じこもっていた。何もする気がおきず、ただぼうっとベッドに座って過ごした。
……家族に、ハオランに、会いたかった。
この時期、もしも同居人がリェンレンでなければ。彼が献身的に面倒を見てくれたのでなければ、私は生き延びることができなかったかもしれない。
彼が作ってくれたものを食べ、淹れてくれたお茶を飲み、眠る。目が覚め、また食べて、眠る。
それだけを繰り返して。
はじめて部屋の外にーー庭に出たのは、≪転移≫から三か月後だった。
リェンレンが丹精こめていた庭の花々と、涼しげな緑。奥に咲いていたのは、椿だった。木陰と陽だまり。さえずっていた鳥の声が不意に止んで、ゆっくりと花がひとつ散って。
あの日以来、初めて流した涙が止まるまで、リェンレンは黙ってずっとそばにいてくれた。
それからやっと、家の外にも出られるようになり、家事も少しずつ分担できるようになった。近所の人とも顔見知りになり、挨拶程度の話はできるようになった。
リェンレンの前の同居人は、私と同じように≪転移≫でやってきた、アマンダという女性だったそうだ。アマンダは、着いて三日後には家を出て、村はずれ住んでいる、けっこう年配の、やもめのウィリアムさんの家に越していったそうだ。
実際に会ったアマンダはかなり大柄で、村には珍しい、赤い髪に緑の目をしていた。
リェンレンの話では、彼のことはまるで弟か何かのように扱っていて、異性として意識されることはなく。色っぽい関係には、全くなりようがなかったとのことだった。
『僕は、そういう方面の魅力には欠けているというか。その前の同居人のときも似たようなもので。--まあ、あまり今と変わらないよね。--こう見えて、仕事の腕の方なら自信はあるんだけどね』彼がそう言って、くすっと笑ったとき。なんだか、もやもやした引っかかりを覚えた。
何が引っかかったのかを、自分で掘り下げてみたほうが、よかったのかもしれない。
リェンレンは、優秀な木彫り職人で。繊細で芸術性も高い作品にはとても人気があった。同じ保護区の別の村からも注文が来ていて、順番待ちの状態だった。
そんな彼が、私の誕生日にと、息をのむほどにきれいな髪飾りを作ってくれた。……私のほうは、彼の誕生日がいつかなど、きいてみたこともなかったのに。
彼に出会ったのが、最初の≪転移≫の時でなければよかったのにと、あの後、何度思ったことか。
彼は決して、行為を強要することはなかったから。私とリェンレンとは、ただの同居人のままだった。一つ屋根の下に住んでいれば、なんとなく察せられるところはあったし、はっきり言葉に出して、好意を示されたこともあった。でもーーそのときの私はまだ、十代の娘でしかなく。ハオランのことを引きずっているのだと、ずっと思っていた。
後になって気づいたことだが、≪彼ら≫は人が独り身かどうかを、繁殖行為の有無で判断しているらしい。人間との意志疎通ができず、まして人の心の機微などわかりようもないのだから。だから、婚礼を待つ状態だった私とハオランを『つがい』とみなすことはなく。リェンレンについても、同じだった。
もう少しだけ待っていてくれたなら、など思うだけ無駄なのだろう。
≪彼ら≫から見ると失敗でしかない取り合わせを、そのままにしておくことなどなく。私が再び別の相手の元に≪転移≫させられたのは、リェンレンの元に来てから七か月後のことだった。
……私の手に残ったのは、彼にもらった、木彫りの髪飾りだけだった。
その時に出会った同居人が、アーサー。次がワタル。それから、アフマド。その次がコンラート。
そのうちの誰とも、深い仲にはならなかった。
三度目の≪転移≫先で、シーアンの噂を聞いた。陸続きで行き来できる、同じ保護区にある村だったのだ。ハオランについても、聞くことができた。腕のいい鍛冶職人になっていて、その村にも得意客がいるのだという。子煩悩で愛妻家という話を聞いて、目に見えるようだと、懐かしく思い出した。
いつ≪転移≫させられるかもわからない日々が続く中で、願っていたのは、ただ一つだった。
私に残された、たった一つのもの。リェンレンがくれた、この髪飾りだけは無くしたくないということ。≪転移≫の時に、持っていけるのは、その時に身に着けているものだけだから。いつもこれだけは、必ず身に着けておこうと決めていた。
そして。もし許されるなら、彼と住んだあの村に、もう一度≪転移≫できればと。その思いを消すことはできなかった。--だから、誰ともつがうことはできなかった。
契りを交わしてしまえば、私の旅はそこで終わってしまうかもしれないから。
不安と寂しさに耐えながらも、≪転移≫が繰り返されてきた。
彼の隣には、もう誰かがいるのかもしれない。私のことなど忘れて、誰かと笑いあっているのかもしれない。
--だとしても。
五度目に≪転移≫した先の村に、アマンダがいた。彼女もあの後、二度の≪転移≫を経験していて、今度はシュテファンという行商人の男性と一緒だった。
そして、聞かされたのは。リェンレンと暮らしたあの村が、もうどこにも存在していないということだった。
火山の噴火、だったのだという。
事態に気付いたときには、もう別の場所に≪転移≫していて。≪転移≫先で会った何人かも同様だったそうだ。行商人の連れ合いが集めた情報では、その保護区のほとんどの人がそのときに≪転移≫させられたらしい。ーーそれだけのことができる≪彼ら≫であっても、自然を完全に制御することは、できないのだろう。
……リェンレンがどうなったのかは、わからなかった。
五回目の≪転移≫先での同居人は、コンラートといった。彼の妻のパメラは、遠方の工房での裁縫士の修行中に≪転移≫させられて以来、消息が分からないのだという。彼にとっての妻は、パメラであって、その後、私より前に≪転移≫してきた三人ではない、と言っていた。
≪彼ら≫が人間を管理していく上で、問題にしているのは、人間の数なのだろうと思っている。だから、天災にあたっては急いで避難させるし、繁殖可能な年齢でそうしていない場合、組み合わせをあれこれ変えて試してみているらしい。
≪彼ら≫がどういう存在なのか、私にはわからない。おそらく、≪彼ら≫に人間というものがわかっていないであろうように。
日々の生活が淡々と続いていく中で、リェンレンのことを、今まで以上に思い出さずにはいられなかった。どこかで必ず、無事でいると思っていた。信じるしかなかった。だけど。
いつも泣きそうな顔をしていると、コンラートに言われた。彼も同じに見えるとは、言えなかった。
* * * *
朝食の準備が終わり、私は椅子に座ったまま、一人でお茶を飲んでいた。
同居人は、まだ起きてきていないのか。もしかしたら、すでに起きて、出かけた後なのかもしれない。もう、私一人でも食べたほうがよいのだろうかと、思ったその時。
「ーーユィラン? 君なのか?」
かけられた声に、振り向いて。思わず立ち上がっていた。
うそ。「……ほんとうに?」震える手で、口元を押さえる。
戸口に立つ彼の姿に。力の入らない足でふらふらと近寄って。
「リェンレン……なの……ね」
「ああ、本当に、君だ。ユィラン」
夢みたいだと、つぶやいて。駆け寄って抱きしめてくれる、彼の腕。
ーー夢なら、覚めないでほしかった。
★ ★ ★ ★
ヒトというものは、不可解な存在だった。≪彼ら≫にとって。
移住前に行われた調査では、この惑星には、知的生命体は存在しないとされていた。無意識のうちに、知性のある生命体として、自分たちに似た生態のものを想定していたための過ちで。
移住先の知的生命体を、絶滅が危惧されるほどに減らしてしまうというのは完全に想定外で、移住に関するガイドラインには明らかに反していた。
母星側に事態を報告し、対処方針が決められ、定期的な報告と監査が定められた。
監査に合わせて、ヒトの数を基準値まで増やそうと、研究と試行錯誤を続けていたが。いまだによくわからないことが多い。たとえば、このサンプル。
以前にうまくいかなかった組み合わせで、今回はなぜ、つがいになったのか。
全く、不可解だ。
今回の成功のもととなったのは、以前よりも注意深い観察だった。
うまくいかなかった組み合わせで再度試してみることにしたのは、雌のほうが頭部に身に着けている木材の加工品が、最初のつがい候補だった雄の手によるものだと、気付いたものがいたためだった。
この結果が一般的なものかレアケースなのかは、さらに調査が必要になるだろう。
まったく、性別のある生き物というのは、理解に苦しむ。
今までは、厄介なばかりという認識だったが。あるいは興味深い存在でもあるのかもしれない。≪彼ら≫は、はじめてそう考えた。