誘い
維月がまるまった状態でじっと眠っているのを、赤い金髪の維月は苦々しげに見た。回りを、まるく何かの力が守る様に包んでいる。金髪の維月は叫んだ。
「卑怯よ!こんな中に隠れてないで出て来なさい!」
激しく中へ手を入れようと、力を駆使してその守りを破ろうとするが、それは陰の月の力ではなく、何としても破れない。その維月は地団太を踏んだ。
「何よ!」とジタバタと暴れた。「何よ、何よ!そんなものに守られて、卑怯者!」
不意に、背後から声が飛んだ。
「主は卑怯ではないのか。」将維だった。「誰の生を横取りしようとしておる。」
「将維…」その維月は始め呆然と将維を見上げていたが、しばらくしてフフと笑うと、立ち上がってこちらへ歩いて来た。「将維…来てくれたの。一緒にあの女に引導を渡しましょう。そうすれば私達はずっと一緒よ…維心様や十六夜に取られることもなく、もう我慢することもない。維月はあなたの物よ。」
将維はじっとその維月を見降ろした。維月はこんなことは言わない。いつでも他者を思いやり、意に染まぬことであっても、相手を慈愛の心でその身に包み込む…。同じ陰の月であるのに、これほどまでに違うではないか。
「我の愛する維月は、他者を踏みつけて先へ行こうとする維月ではない。我はそんなものに育てられたのではなかった。我が愛したのは、大きな心で包み込んでくれる愛情の持ち主であったわ。主ではない。」
将維からふわっと何かの力が湧きあがったかと思うと、玉になり、まるまって眠る維月のほうへと流れて、その回りを包む力の光が強くなった。金髪の維月がそれを見て、眉を寄せる。
「…あなたもなの?!あの膜をよけなさい!」
将維は顔をしかめた。
「あれが何が知らぬのに、どうにも出来ぬわ。」
金髪の維月は、フンと横を向いた。
「あれは「愛情」よ。あなたや維心、十六夜の心よ。龍の力なんか私には影響ないけど、私は陽の気には弱い…その中に篭られたら破る事が出来ない。他者の自分に対する愛情を盾にされるとは思わなかった。あの子が自分の人格を守ろうとうずくまった時、回りを包んで囲んで壊せなくなったのよ。」
黒髪の維月は、その中でまるくなって眠っているようだ。その表情はとても穏やかだった。苦しんでいるようではない…それどころか、少し微笑んでいるようにも見えた。
金髪の維月は将維を見た。
「いいわ。」その維月から、大きく気がわき上がる。「あなたがそのつもりなら、利用させてもらうだけよ。龍の力であれを破ってもらう…さあ将維、来て。」
その維月は微笑んで手を差し伸べた。将維は抗おうとしたが、足が勝手にそちらへ向かう。維月は微笑んで将維を抱き締めた。
「あなたは私のものよ。望む男は全て私のものになるわ。あの維月は所詮紛い物。たった二人しか望まない陰の月なんて!全ての王をその手にして、全ての力を手に入れる能力があるというのに!」
将維は抗う術もなくその維月に口付け、首筋に顔をうずめた。その維月は甲高い笑い声を上げて将維を抱き締めた。
「う…。」
将維は眉を寄せて苦しげに呻いた。碧黎は目を閉じて将維に手を翳したまま眉根を寄せる。将維を通してその様子を見、それを他の三人にも送っていたのだ。
「やはり将維には無理だったか。」碧黎が言った。「このままでは陰の月に飲まれて、維月の守りを破ってしまう。龍の力でも、あやつのは維心から継いだ強いもの。主らの愛情をもってしても守り切れるかどうか…。」
維心は黙っている。十六夜が言った。
「オレ達の愛情ってのが、知らねぇ間にあいつを守ってるってことか?」
碧黎は頷いた。
「おそらく、維月の意識したことではあるまいな。主らが維月を守ろうとして、勝手に送った力であろうよ。最初は維心が、次に十六夜が、そして将維が。あの膜の力の層を読み取ると、そうであろう。」
維心は考え込んだ。
「…確かに最初に倒れた時に、何としても助けたいと思うて抱き寄せた。あの時に流れ込んでおったのか。」
碧黎はまた、頷いた。
「そうだ。主は他に例を見ないほど力の強い龍であるから、無意識に何が一番維月を守るのか選び取って力を使ったのであろう。主の中で陰の月に対抗出来たのは、維月に対する愛情だけであったのだ。最初はそれだけで維月を守り切ったのであるから、主の愛情がどれほどなのか分かるの。後に十六夜がそれに倣って力を補充して、将維もそうであろう。ゆえに今や陰の月では到底それを破る事は出来ぬのだ。」
維心はホッとした。維月を守る事が出来たのは、自分が力を持っていたからなのか。ならばそれだけでも、この力は役に立ったということになる。こんな力は要らぬと思ったこともあったが、維月のために本当によかった。
碧黎がしかし、眉を寄せたまま言った。
「しかしそれも無になろうとしておる。このままでは将維がそれを破ってしまう。どうしたものか…敵に塩を送ったことになってしまうの。」
維心は、眉を寄せて必死に抵抗しようとしている将維を見た。我の分身。それならば維月を守り切れるはずだ。将維ならば、やり切るはず。
「将維なら、維月を守ってくれる。」維心は言った。「あれは維月を失いたくはないはず。まして己の手で殺すことなど、己を殺してでも阻止するであろう。我の分身なのだ。我は信じておる。」
十六夜も蒼も黙って将維の顔を見た。
その顔は、未だ苦悩の色を浮かべていた。
維月は、膜の中で心地よく微睡んでいた。
ものすごく居心地がいい…まるで、維心様に抱かれて眠っているかのよう…。
なんだか外が騒がしい。維月は何事かと目を薄っすらと開いた。
そこには、赤い金髪の自分を抱き、その身に唇を寄せる将維が居た。維月はなぜかその姿に妬いている自分を感じた。あれは自分なのに…それにどうして妬くの?
《将維…》
維月は言った。だが、膜の中でそれは潰え、外へは流れることはない。念を将維に飛ばさなければ。
《将維…!》
膜の一番外側が何かに震えた。維月はそれが何かわからなかったが、将維はゆっくりと顔を上げてこちらを見る。その目は、青く光っていた。金髪の維月がそれに気付いてこちらを見る。
「あら…気付いたの?維月、そこから出してあげる。将維はもう私のものよ。」と将維に言った。「将維、あれを壊して。中の維月に用があるのよ。終わったら、またこうしてあげるわ。ねえ…私のために、出来るでしょう?」
将維は頷いて立ち上がった。空中に手を翳すと、そこから刀を呼び出して構える。金髪の維月は、声を立てて笑って将維に寄り添った。
「さあ維月、そこから出て、私に飲まれてしまいなさい。あなたは私になるのよ…あなたという人格はなかったことになるけれどね。あの世にも行けないわ…命が無くなる訳ではないから。消滅するの…だってあなたは陰の月の偽物だったんだもの。」
維月は驚いて身を退いた。膜は維月の動きに合わせて形を変え、それでも維月を守っている。維月は自分の力が役に立たないのを感じ取って、そして将維を見た。将維…飲まれてしまっているの…。
「何とかしねぇと!」十六夜が叫んだ。「あれを壊されたら維月は丸裸じゃねぇか!すぐに陰の月に消されてしまう!」
「…しばし待て。」
碧黎が考え込むように言った。維心は黙っている。すると、目を閉じたままの将維が何かを呟いた。
「維…月。」十六夜が、将維の顔に耳を近づけた。「十六夜…力を…」
十六夜は慌てて将維の手を掴んだ。
「将維、聞こえるか?オレの力を使え!使えるぞ!」
一方、将維は抗えない力と必死に戦っていた。このままでは自分は恐らくこの刀を振り下ろすだろう。だが、我が必ず維月を守ってみせる。陰の月の気が反れるその瞬間を見て、必ず…。
将維は、刀を振り下ろした。
まるでガラスが割れるような音と共に、その膜は破壊され、散った。維月が身を縮めている。陰の月が笑いながら力を構えた。
「すぐに楽にしてあげる!消し去ってあげるわ!」
その振り上げた手に、陰の月の力が収束して行くのが見える。自分を拘束する気が緩んだのを見て、将維は刀を落として目の前の維月を抱き締め、陰の月から放たれる力から維月を守ろうとそちらに背を向けた。陰の月の力は将維に向かって真っすぐに放たれている。将維は気を集中して、十六夜の力で背後にガードを敷いた。
「きゃあああ!」
後ろから悲鳴が聞こえる。振り返ると、将維には何の衝撃もなかったが、十六夜の力の壁が背後に出来、その向こうで金髪の維月が倒れていた。そして、身を起こそうともがいている。腕の中の維月は震えながら将維を見上げていた。
「将維…?」
将維は微笑んだ。
「大丈夫、我が守るゆえ。」
心の中なのでそんなことは関係ないのはわかっていたが、維月が全裸なのを見て自分の袿を脱いで維月に着せかけた。維月は将維を見上げて微笑んだ。
「ありがとう、将維。」
将維がそれを見て維月を抱き締めて頬を寄せると、陰の月が立ち上がってこちらへ叫んだ。
「どうして?!」まるで子供のようだ。「どうしてあなたが私を裏切れるのよ!欲しかったのは私でしょう?あなたを受け入れて抱き寄せる、いつでも傍に居る維月…。」
将維は首を振った。
「我が愛したのはこの維月。他は望まぬ。例え姿は同じでも、心が違うのだ。そのようなもの、最早維月ではないわ。」
「おだまりなさい!私が維月よ!」
陰の月から力が放たれる。将維は腕の中の維月を背後に回すと、十六夜から力を呼んで同じように力を放った。
維月は驚いてそれを見た…陽の月の力。これは十六夜の力だわ。どうして将維がそれを使えるの?
同じように力を放っていても、月の力関係は陽の月の方が強い。地上の全ての面倒を見ているのは、陽の月の力だからだ。
陰の月はそれに吹き飛ばされて後ろへ飛んで倒れた。しかしすぐに起き上がると、いきなり飛んでこちらへすごいスピードで降りて来た。維月が身を縮めると、将維はそれを事もなげに月の力で叩き落とした。そこに、情け容赦はなかった…足元に倒れる自分と同じ姿の陰の月を見て、維月は身震いした。将維は、これほどに残酷にもなれるんだ…。
「これで最後ぞ。」
将維は手の中に十六夜の光の玉を小さく作って陰の月を見降ろし、構えた。あれで貫いて止めを刺すつもりなのだわ!
「待って!」維月は思わず叫んだ。「せめて融合の意思を聞いて!ただ寂しかっただけなのよ!」
将維はそれを見てひるんだ。
「維月…主を消そうとしたのだぞ?情けなど掛ける必要はない。」
陰の月はその隙を見て、下に落ちた将維の刀を拾い上げて飛んだ。
「それが紛い物だと言うのよ!」陰の月は叫んで真っ直ぐに維月を狙った。「消えて!それが私の望みよ!」
「維月!」
将維が前に飛び出した。
刀は将維を貫き、将維はその場に固まる。陰の月は自分のしたことに驚いて震えながら刀から手を離し、将維を見た。
「あ…あ将維!私は…あなただけは…!」
将維はニッと笑った。
「消えてくれ。それが我の望みぞ。」
将維は十六夜の力を陰の月に目掛けて放った。
「ああ…!嫌よ!消えたくない…!」
陰の月は光輝いて、そしてその光が消えた時には、どこにも存在しなかった。
将維は自分で刀を引き抜いて膝を付いた。
「将維!ああ将維!」
維月が涙を流しながら将維を抱き締めた。将維は維月の頬に触れた。
「維月…主は無事か。」
維月は頷いた。
「私は大丈夫よ。将維…気をしっかり持つのよ!これは精神体なのだから…強い意思があれば、あなたなら消えずに済むから!」
将維はその場にくずおれて息を荒くした。
「そのような…後は父上が主を守ってくださるであろう。我の役目は終わった。」
将維は息を付いて目を閉じる。維月は叫んだ。
「嫌!嫌よ将維!あなたが居なくては駄目!お願いよ!」と将維に頬を摺り寄せた。「将維…愛してるわ!愛してる…お願い、傍に居て!」
将維は驚いたように目を開けた。泣きながら自分を見る維月をじっと見る。
「…主は確かに陰の月の維月よ。」将維は言った。「そうやって我を縛り付けて離さぬ…。」
将維は気を失うように目を閉じた。