姉さん、子供の頃いじめてごめん
弟から、メールがきた。「この頃、変な夢を見るんだ。若いころ自殺した友達がじっと上から
見てる」「それは夢でしょ。自分が死への願望があるから、心の奥にある友達のことを思い出して
作り上げた夢」「友達の仏壇にお参りに行こうと思ったけど、引っ越して転居先がわからなかった」
普通の精神状態なら、しょうがないね、引っ越したんだからと思うのだろうが、弟はもう3年も鬱病を
患っているから、それがしょうがないで終わらない。
私と弟は、正反対な性格だと思っていた。高校卒業後、アルバイトで水商売に入り、スナックの
バーテンの真似事をしていた弟、名前は、アツシ。その後、居酒屋チェーンにアルバイトで入り、
そのまま社員として15年ほど働いていた。最後は店長までしたのだが、売り上げ管理や、労務管理
など数々の問題を解決できなくなり、鬱病になり、店は退職した。
私は、高校卒業後に専門学校に行き、普通のOLをしていて25歳で結婚した。結婚後も働いて
今年で40歳になった。子供はいない。猫と旦那との暮らし。
アツシは華やかな暮らしをして、私は地味な道、お互い全然別の道。でも・・性格って生まれつきも
あるけど、育つ過程で、形成されるらしく、内向的で、考え込みやすいところは同じだ。
私は社会でもまれにもまれたので、外では、怖いもの知らずのパワフルおばさんに見せかけている。
生活費が足りない・・・。仕事を辞めてもう3年経つ数か月前、アツシからSOSのメール。
それまでは、保険の取り崩しや、奥さんの実家からの支援で食いつないできたようだが、もうそれも
限界で、私に助けを求めてきた。
赤の他人には1円貸すのも嫌な私だが、たったひとりの弟は、見捨てるわけにはいかない。
いや、見捨てることは、私にはトラウマなのだ。
10年前父から電話があった。「少し融通してもらえないか?」父は、アルコール依存症だった。
仕事に行ったり行かなかったりするうち、職も失い、わずかな蓄えを食いつぶしていた。
「そんなお金ない、アツシにも言ってよ!」一方的に電話を私は切り、1ヶ月後・・・父は
死んだ。孤独死。今でこそ珍しくもないが、当時は近所の噂話になった。ひっそりと葬儀をして
父を見送った。毎日自分を責め続けた。父を見捨てたと。誰も非難しなかった。父の自業自得だと
言われた。それでも自分を責める日々だった。
弟の言うままに銀行からお金を振り込む。「オレオレ詐欺みたい・・」と自嘲的につぶやき
送金のボタンを押す。惜しいとか、そんな気持ちはなかった。戻ってこないだろうなという
気がした。「必ず返すから、ごめん。本当にありがとう」メールが来た。
電話はしてこない。小心者だから電話でお礼を言うなんて到底できないのだろう。
会社は、不景気で賞与も残業手当も出ない。私の資産は増える気配は、ない。だけど弟の家族を
支援しなきゃという思いがあった。本当はマンションを売却してローンを返済して、生活保護の
申請をさせるべきなのだと思う。だが、本人はマンションも車も手放したくないと言う。
ある日劇的に病気が治り、高給な仕事に就き、以前のような羽振りのよい生活に戻りたい、
戻ると思っている。
私は全否定したい気持ちを抑え、また弟からメールが来たら、振込をするのだろう。
感謝の言葉と「姉さん、ありがとう。子供のころいじめてごめん」という言葉とともに。
そろそろ猫の夕飯の時間だ。猫がさきほどから、ドアに体当たりして、夕飯の催促をしている。
私はデヴィッド・ボウイの新譜を大音量で聴きながら、小説ともエッセイとも言えぬ文書を
打ち込んでいる。明日は、雨もあがって晴れるそうだ。
頭の中をクリアにして、ただ仕事をしよう。それ以外、私にできることは何もない。
長編にするつもりが、短編中の短編になってしまいました。
思いついた言葉を題材に書いてみました。