8
【クレヴ】
気がつけばまた気絶していた。
数日間気絶して、ようやく起きたと思ったら、また気絶とは……幼い頃、父に鍛えてもらった時もそうだった。
ただ父の場合はあの獣人とは違って、一撃でも喰らえば即ブラックアウト。
ガードし損なえば、身体が癒えるまで数日は起き上がれないし、その間はあまりの激痛で眠れやしないし。
また、『負傷時の場合でも戦える方法を教えてやる』、と言って怪我が治りきる前に組み手なんかもやらされたっけ。
まぁ、碌に動くことが出来ず負っていた傷も余計に酷くなったし、また今まで生きてきた中で役になったのは、父相手だけだったし。
そう考えると、あの獣人相手の戦闘は意外と軽いものだったかもしれないな。
……そう考えないと、昔の俺が報われない。
「んー」
身体を起こして、軽く背筋を伸ばす。
そこまで筋肉が凝り固まっていないから、時間はあまり経っていないだろう。
腹の減り具合としては、夕食ぐらいってところか。
尻の下にはベッドの柔らかい感触はなく、代わりにひんやりと硬い床の感触が手に伝わってくる。
とまぁ、そんなことは些細なことで。
「獣臭っ!?」
家が牧場だったので良くわかる、あの何とも言えない臭さ。
もっとも糞は垂れ流しにされてないので、マシな部類ではあるが。
その匂いは目の前、右や左にあちこちから漂ってくる。
その匂いの原因は、どうやら俺の近くに獣人がいっぱいいるからだった。
「あぁ……」
ここは驚けばいいのかもしれないが、俺の口からは溜め息しか出てこない。
あの戦闘は夢での出来事で、まだ馬車の中にいるのかな、と一瞬思ってしまったが、下から揺れは来ないし、ここは馬車みたいに狭くはない。
そして何より、獣人の数が多くなっているんだ。
しかも女性は1人もおらず、オス臭そうな奴ばかり。
考えてごらんよ。目覚めてすぐに、俺よりも大きな連中が牙を剥き出しにして威嚇してくるアウェイな状況を。
リュドミラのついでに攫われて、奴隷として売られたと思ったら、この肩身が狭い状況だ。
もう嫌になってくる。訓練所から追い出されたのだから、いい加減家に帰りたい。
「おい」
腕や足には、またあの重い枷が付いてるし。
もうふて寝してやる、と思ったところで声をかけられた。
「はい?」
だが、声の主が見当たらない。
とうとう幻聴まで聞こえるようになるとは、俺の精神も結構ヤバいところまでいってるかもしれないな。
「お前だ、聞こえていないのか?」
また、声がする。
目の前にいる人に近いタイプの獣人が何か睨みつけてくる。
幻聴かどうか確かめようと考えているところで、これだ。
今は忙しいから邪魔しないでくれよ、と思ったそんな時。
「なんでニンゲンがここにいる?」
目の前にいた獣人が口を開き、声を発した。
それもわざわざ共通語の方で。
「……俺が一番聞きたいよ」
俺がここにいる理由なんて、気絶してたんだから分かるはずがないじゃないか。
というより、獣人が共通語を喋ってることにビックリしてしまう。
「がうがう」
そんなところに、全身毛むくじゃらの獣人が近寄ってきて、鳴き声を1つ。
「そうか、あの肉饅頭達に命令されて、このニンゲンを運んできたのか」
だというのに、人の言葉を理解する獣人は、なんと毛むくじゃらの鳴き声の意味まで理解していた。
多分、肉饅頭というのはソムルドのことだろう。
俺にでもすぐに分かるネーミングだ。
あの男の潰れた丸顔は、目や鼻、口なども脂肪によって覆い隠されて、頬の辺りは特に膨れ上がっている。
それと、あのぶよぶよとした感じが、肉饅頭を彷彿させる。
まぁ、外にあまり出てないからか病的な程に色白でもあるし。
「これは、俺達に対する嫌がらせか……?」
「何、俺って嫌われ者だったの?」
わざわざ買い取っておいて、嫌になったから獣人に押し付けるのか?
まだ人のことをよく知らないくせに、すぐ突っぱねるとは……我慢ってのを知らな過ぎるだろ。
……これがもし、嫌がらせのためだけに俺が買われたなら、アホなんだろうな。
そんなアホ程、何でか金を持ってる気がする。
って、それは偏見か。ただのアホなら周りの人間に金をむしり取られるだろうし、それはないか。
「……で、他に何か用でもある? ないなら、そっとしておいてくれるとありがたいんだけど」
静かな方が、現実逃避ってしやすいからなぁ。
「ニンゲンのくせに、よくもまぁ俺たちの前で平然としていられるな」
「平然、ではないんだけどなぁ」
で、相手は疑問が解けたかと思ったら、いきなり言い掛かりをつけてくる。
「お前らが何をしたのか、わかっているのか……!!」
興奮した様子で、相手が俺の胸元を掴んでくる。
俺にも相手にも枷がついているというのに、持ち上げられるとは……獣人というのは思った以上に怪力の持ち主のようだ。
「いや、あんまり詳しくはわかんない」
「わかんない……だと……!!」
彼の腕が揺れ、俺にまでその振動が伝わってくる。
怒り心頭、って感じなんだけど、ここで俺が知ったかぶりをしたところで相手が満足しそうにない。
せいぜい俺が知り得るのは、俺と同じく奴隷になった、って程度でだし。
「俺たちが住んでいた森に火を放ち、奪えるものはとことん奪い、あまつさえ女子供を人質にし抵抗をやめた俺達の前で、『役に立ちそうにもないものは処分だな』と笑みを浮かべて老人達をなぶり殺したのを、忘れたというのではあるまいな……?」
奥歯を噛み締め、俺に恨みがましく睨んでくる。
襟元の方なんて力が入り過ぎているのか、生地が伸びるのを通り過ぎて、千切れそうになっている。
「それは、俺がしたことじゃない」
「嘘を、ついているのではないのか? あんな光景を笑って見ている連中のことだ。相当に面の皮が厚いに決まっている」
……どうやら、俺がソムルドの仲間達だと思われているようだ。
同じ奴隷という立場だというのに、そのことを信じて疑っていない様子。
こいつは、人間を悪魔か何かと勘違いしているのではないだろうか。そうだな、同じ人間同士でもコマ扱い出来る醜い存在、とか。
まぁ、それは今聞いた内容からしたら、仕方ないとは思えるかもしれない。
俺だって、大事にしている物を奪われたり、大事な人を殺されたら怒りに狂うだろう。
それに、獣人から見れば人間なんて皆同じ顔に見えるかもしれないし。俺達人間も同じように同じ種類の生き物でも、個体の判別が難しいように。
毒を持った生物だから、という理由でまだ危害が加えられていない状態でも、その生物を駆除したりするように。
彼は俺と同じ人間を、恨んでいるだけに過ぎないんだ。
でも、それでも、俺に言われてもどうにもならないことだ。
「もう一度言う。俺はしていない」
「そんなデマカセ信じると思うのか?」
鋭くなっていた目つきが更に細みを増し、眼光が俺を貫く。
「……いきなりで悪いが、人間は絶対悪だと本気で思ってるのか?」
「戯言を――」
「お前さん達の中にも程度があるとはいえ、悪い奴がいるだろう?」
彼が言葉を言い切る前に、大きな声で言葉を重ねさせてもらう。
「またそれと同時に良い奴だっている。それは、人間にも言えることなんだよ」
「だから、お前はやっていないと、無関係だと言うのか?」
「言うしかないだろう、お前さんに伝わるまでさ?」
言わなきゃ、伝わらない。
昔、あの母が言ったことだが、俺はその通りだと思っている。
「していない、という証拠がない」
「かといって、しているという証拠もないのも、事実だ」
しばらくの間、彼は俺を睨みつけていたものの、唐突にそれをやめる。
彼の手から力が抜け、俺は尻から地面へと着地。枷が付いているせいで普段より身体が重いのと、下が硬いのとで、滅茶苦茶尻が痛い。
「んと、これは俺の言葉が伝わった、ってことでいいのか?」
「……お前らみたいに、無闇矢鱈に力を振るわないだけだ」
尻をさすりながら、彼の方を見てみれば。
彼は出血するのを構わずに手を固く握り、何かに耐えているようであった。
……これは、相手が一応納得してくれた、と思っていいのだろう。
「ふぅ……」
深く息を吐き、緊張を和らげる。
にしても、咄嗟のこととしては、随分俺は頑張ったと思う。
いきなり難癖付けられて、一時はどうなることやら、と心配したが相手が話を聞いてくれる獣人で助かった。
途中、強気な態度を崩して、低身低頭で謝り倒そうかと思ったが、やらないで正解だったかもしれないな。
卑屈な程に謝っても相手の気分は満たされないし、むしろ鬱陶しいとさえ感じさせるし。
誠意が伝わるケースなんて、大したことじゃない時か、人が良いとかぐらいだと、昔の経験で理解させられてるしな。
アスタールにいた時、チンピラに絡まれた時もあまりに弱々しい態度でいると、そこにつけこんできたこともある。
『人によって謝り方を違えるな』、というありがたい言葉もあるくらいだ。
まぁ、とにかく、助かって良かった。
と思ったのだが、獣人の彼がまだ俺の前から立ち去らずに、俺のことを見てくる。
睨みつける、とまではいかないが、顔の表情はまだ固い。
「あのー、まだ何か?」
「……この檻の中でのことを説明してやる。教えないと他に迷惑がかかるからな」
ぶっきらぼうではあるが、親切なことに俺が住むであろう場所のことを教えてくれるようだった。
「まずは、この鉄格子。これは俺たちと外界とを遮っているものだ」
「いや、それくらいは分かります」
俺の背後にあった鉄格子に指差しながら、意外にも丁寧に説明をしてくれる彼。
身体の大きい獣人を入れるにしても、この鉄格子は結構狭い感覚で並べられており、俺では残念ながらすり抜けることは出来ないようだ。
鉄格子の一本一本も太く、俺の胴体ぐらいの太さがある。
その鉄格子の感触は鉄、ではないようだ。似ている感じだと、多分この枷と同じ金属なのではないだろうか。
だとすれば、相当に重く、そして頑丈なのだろう。
鉄格子の隙間からは、監視らしき兵が一人見える。
その兵は随分と退屈そうな表情をしており、あくびを何回も繰り返している姿が見られる。
「食べ物なんかは、ここから支給される」
獣人の彼の淡々とした言葉に導かれ、視線を下へ。
そこにはなんと……鉄格子と地面との間に『ベルトコンベア』らしき物が設置されているではないか!
見る限りでは、サラナ村で作られた物よりも上等。
使い所がまるでなかったサラナ村とは違い、ここでは有効活用されているようで、少し悔しい。
歯車の噛み合いも大丈夫そうだし、その周りを包んでいる厚く柔らかい木の皮のフィット感もなかなかだ。
動力は、どうやらこちら側から手回しで動かすようだ。
……一応、ベルトコンベアの辺りを調べてみたが、その隙間から脱走は出来そうにはなさそうだった。
ベルトコンベアを壊しても無理っぽい。
「次は、水浴び場だ」
鉄格子に背を向けて、今度は右側へと行く。
そこにはレンガを広く深く囲った中に、水が貯められていた。
広さは相当に広い。
あの図体のデカい獣人が数十人入っても、まだ余裕がありそうだった。
まぁ、ここにいる全員が入るのは無理らしいので、入る順番を決めているようである。
「ここでの水は汲んでくるのも入れ替えるのも、自分達でやる。お前も次から手伝え」
「わかった。けど……どうしてこんなものがあるんだ?」
奴隷、という勝手なイメージだと、こんなに恵まれた物が設置されているとは思えない。
「あぁ、それはだな、俺達が臭いのが嫌だということでこんな物を作っていた。身体を洗うのが義務付けられてるから、お前も身体を洗っておけよ」
一応、水の確認をさせてもらったが、泥水ではないっぽい。
ただ、ごわごわとした毛が水の上にだいぶ浮いているので、入る前には拾ってからじゃないと張り付きそうだ、と心の中でメモっとく。
「次でここである物は最後だ。ここでは排尿排便などを行う」
水浴び場の反対に案内されたのは、なんか大きな木箱がいくつも並んでいるところであった。
木箱には蓋がついており、匂いがあまり漏れないようにされてはいるものの……やっぱり臭い。
「ここで出した物は、作物を植えていない畑の方にまく。後、就寝前には水浴び場で余った水で洗っておくのも義務付けられた」
まぁ、そうでもしないと臭くて寝られないだろうし、そこは妥当だろうな。
ただ、ここで知りたくもない事実が判明。
この豪邸に来た時に見た、あの広大な畑の全部が、あのソムルドの物らしい。
となると果樹園もそうっぽいし、労働量が法なんて軽く吹っ飛ばすくらいに酷くなりそうだ。
彼の案内を終えて、俺がまず最初にしたのは水浴び場で汗を流すことだった。
結構順番待ちさせられて、獣人の彼らが寝る時間まで入ることが出来なかったものの、一人で独占出来るというのは、少し嬉しい。
だが、彼らが入った後なので、水がやや汚いのは問題かもしれない。
汚い、が汗だらけなのはもっと嫌なので、水で身体を軽く洗ったところで水の中へ。
「うへ、ヌルいなこれ」
彼らの体温で温まったのか、微妙な温度の水。
でも、今の季節だからこんなしょうもない感想が出るのだろう。
……もし季節が冬だったら、こんなものではすまない。
体温奪われて、死ぬことも考えられる。
身体を清潔にするために、命の危険を晒す。それは嫌だなぁ。
せめて、ここの地域では暖冬であるように、祈っておこう。
水を浴びたついでに、着ていた服も軽く洗っておく。
石鹸などはないものの、何もしないで放置するよりかはマシだと思ったからだ。
だが、洗い終わった後でふと、重要なことに気付く。
「あれ、これじゃあ俺、裸のままで寝るのか?」
まさか濡れたままの服を着るのは考えられない。
どうしようか、と頭を抱えたところで思わぬ助けがやって来た。
「……おい」
「はい……?」
やや半泣きになっていたところで、あの獣人の彼が話しかけてきた。
どうやら俺のこと警戒していたようで、寝ないでいたようだった。
「服ならこっちの脇の方にあるから、それを使え」
その荒っぽいながらも、優しい言葉を聞いて、俺の目から涙が溢れ出てくる。
「ありがとう……ありがとう……」
「さっさと服を着ろ。露出した下半身など目障りだからな」
恥の文化は、あちらにもあるからなのか、確かに今の彼は服を着ていた。
といっても簡単な貫頭衣であり、俺もどうやらそれを着ることになるようであった。
ただサイズが大きく、下の方を何回も折り畳んでおかないといけないのは面倒である。
寝る場所はどうやら床に雑魚寝しなければならないようで、そこだけはあの技術力を持っているこの国の者の手抜きを感じさせられる。
既に寝てしまっている獣人達の合間に身体を寝かせようとするのだが……途中で寝返りを打ってきたせいで、危うく潰されそうに。
慌てて端の方に退避するものの、そこには横になって眠れるスペースなどない。
仕方なく、俺は膝を立てて座って寝ることになった。
明くる朝。
どうやら俺のいた牧場の朝よりも、ここでの朝は早いらしい。
まだ明るくなっていないというのに、獣人達はもそもそと起き出していた。
「おい、起きろ」
そして、とても親切なことに、あの獣人の彼が俺を起こしてくれる。
父のように文字通り『叩き起こす』こともせず、ただ言葉だけを投げかけられる。
そんなところに優しさを感じ、思わず心にジーンと来てしまう。
「あんなこと言っておいて、優しいんだな、お前さんは」
「一人起きなくとも、連帯責任を負わされるだけだ」
そういって顔を逸らす彼の顔には、やはり強張った顔をしていたが。
でも、少なくとも昨日よりは和らいでいるように見えた。
起きてから、まず始めにすることは水浴び場の水を大きな水瓶に汲んでいくこと。
それを外に捨ててきて、また仕事を終えてから汲んでくるというのをルーチン化されているようだった。
俺が水瓶を汲む前に水がなくなったので、今日はしなくて済みそうだ、と思いきや。
「朝に汲まない奴が、水を汲んでくることになってるからな」
と、丁寧にあの彼が教えてくださいました。
身体についている枷だけでも結構キツいのに、水瓶まで運ぶとなると……これだけで重労働になりそうだ。
水を汲んだ後は朝飯。
メニューは黒くて固いパンに具の少ないスープだけ。ただ、量だけは結構多い。
食事を運んで来る使用人が随分と大変そうで、声をかけたら何か驚かれてしまった。
どうやらこんな獣人だらけなところにいるのは、おかしなことのようだ。
あぁ、願わくば父並みの変人だと思われていませんように。
食事の内容だが、何やら一部の獣人は違った物であり。
メインディッシュに何やらソースのかかったステーキらしきものがあったりと俺のと比べると全体的に食事のグレードが上がっており、随分と美味そうである。
彼らをじぃーっと見てみれば、他の獣人達よりも一回り以上は身体が大きい。
どうやら、ソムルドが言っていた戦闘用の奴隷、ということなのか。
食事中は結構静かなもので、談話というものはない。
ただ、肉を見て食いたそうにしている子供に、分けている姿があり、なかなかに和やかなものも見れられた。
食事を終えると、今度は皆バラバラに動くようだった。
戦闘用の人は、外には出ずに室内で何やらするらしい。
他の人は果樹園に向かったり、畑に向かったり、馬車の方に向かっていた。
俺はというと……なんの説明もされてないので、どうしていいか分からず、玄関ホールらしきところでポツンと立って待機だ。
勝手に動いて怒られるのは、嫌だし。
待機し始めてから、数分後。こちらに中年の兵士が向かってきた。
そして数分のお叱りを受けて、俺の持ち場へと案内してくれる。
向かう途中で、何にも知らない新入りにこれは酷いのではないか、と訴えてみるも、
「奴隷はお前だけじゃなく沢山いるから、1人1人丁寧に説明してられんよ」
とあまり元気のない声で返された。
まだ朝だというのに、疲れきった表情をしており、俺は続けて話しかけるのはどうかな、と躊躇ってしまう。
そうして兵士の彼の背中をついていくと、雑草の生い茂る畑が見えてくる。
ここはどうやら作物を植えずに休ませている畑らしく、俺のお仕事は雑草と格闘することのようだ。
広大な畑の中には、腰を曲げて雑草を引き抜いている人の姿が見える。
どうやら獣人以外にも、奴隷はいるようで少し安心してしまうが、そんな気持ちはすぐに吹き飛んでしまう。
それは、彼らの様子を見てしまったからだ。
例外なく誰もが痩せ細り、その腕と足には肉がついておらず、まるで棒のように見える。
その動きも緩慢であるが、決して手を抜いているようにも思えない。
顔色も悪く、表情は暗い。目は濁り、動いていなければ死んでいるんじゃないか、と疑ってしまう程に酷い顔をしている。
まさに"奴隷"と呼ばんばかりの光景だった。
……ここに、俺も交じらなきゃいけないのか。嫌だな、本当に。
でも、俺に拒否権はないのか、案内してくれた兵に急かすように背中を押される。
ここは逆らってもメリットが見いだせなかったので、大人しく従うことに。
口頭での説明がなかったが、まぁ必要ないと判断したのだろう。
他の奴隷と同じことをすればいい。そういうことであろう。
とりあえず、畑の中に入り、適当な位置につく。
そして雑草を手に取り、引っ張る。
「んぐぐぐぐ……!!」
錘のせいで腕があまり持ち上がらないし、何より根深くてなかなか抜けやしない。
腰を曲げ、根本の方に手の位置をズラして再挑戦。
チャレンジすること、数回。
あまりにも抜けないし、腕の疲労が半端じゃないので、一旦手を休めることに。
手法を変えて、今度は根本の辺りに蹴りを入れて土を抉ってからもう一度引き抜こうとしたところで。
「手が止まってんぞ、オラァ!」
ヒュン、という音の後に、スパァンッ、といった乾いた音が続く。
なんだろう、とその音の方に顔を向けてみれば、奴隷らしき男に先ほどとは違った兵が鞭を振るっている姿があった。
鞭はその後も何度も振るわれ、奴隷はその行為に身体を強張らせてひたすらに耐えてみせる。
奴隷の感情のなかった顔に苦悶の色が出ると、兵はそこで手を止めてニヤリと口を歪ませて、一言。
「こんな目に遭いたくなきゃ、ちゃんと仕事に取り組むんだなァ」
その口調は内容とは正反対で、俺には兵の彼が失敗を望んでいるように聞こえる。
彼の仕事は、どうやら奴隷の監視っぽいのであるが、なんだかその姿は粗探しをしているようで。
手に持った鞭でヒュンヒュンと空気を唸らせ、その標的を探しているみたいだった。
「お前もああなりたくなかったら、手を止めるんじゃないぜ」
なかなかに渋そうな声が近くで聞こえてくる。
どうやら俺に話しかけてきてくれたようで、声と同じく渋そう顔つきをした髭の濃いおっさんが俺の肩を軽く叩く。
「お前は見ない顔だが新入りか? なら、優しいおじさんから一つ忠告だ。痛い目に遭いたくなかったら、決して目立つんじゃないぜ、わかったか?」
まだ話しかけられてから、数秒も経っていないというのに、随分と馴れ馴れしいおっさんである。
が、こういうお節介は嫌いじゃない。
俺はこのおっさんより年下で、新入りでもある。
素直におっさんの言葉を受け取めておくべきだろう。
ただ――
「あのー、優しいおじさんは手を止めていていいんですか?」
未だに俺の肩から離れない、おっさんの手。
彼にも獣人レベルではないとはいえ、錘がついているから重くて仕方がない。
が、どかすにも腕を挙げなきゃいけないし、作業を止めて鞭を振るわれるのは嫌だ。
だからおっさんに目をくれず、俺は作業を黙々と再開。
「おいおい、この奴隷の人数に対して、監視の人間なんざ少な過ぎるから滅多にバレないって。もっと肩の力を抜かなきゃ、午後まで保たないぜ?」
肩から手を離してくれたものの、おっさんは雑草に目もくれず、新入りの俺にここでのことに少しずつ話してくれていた。
俺達奴隷は、決まった仕事を毎日するわけではなく、ローテーションで果樹園の方に行かされたりもするらしい。
中にはキツい肉体労働であろう、炭坑での作業もあるんだとか。
後、あまりに女と関わりのない生活のせいで、男色に目覚める者もいるらしいから注意しろ、という大変ありがたい言葉までいただく。
俺は早速その情報を有効活用し、おっさんから距離を取ったところで、その声が背中の方から聞こえてきた。
「あら、こんなところにおサボりする人が」
まさに、それは不意打ちというべきか。
良く言えばクール、悪く言えば冷徹そうな高い声。
そっと、後ろを振り向いてみればそこには……女性がいた?
女性……だよな? 辛うじて、女性だということにしておこう。
例え見た目があのソムルドとソックリであろうとも、一応は女性なはず。
長く伸ばした髪をドリルみたいに巻いているんだ。多分そうに違いない。
ほら、声も女性っぽいし。
そのソムルドもどきの女性は、摺り足のようにしてこちらに前進してくる。
どうやらソムルドより身体が小柄なのと、筋肉がまだ残っているのか、自分で動けるようである。
そんな彼女(?)が目をつけたのは、当然俺ではなく、あのおっさん。
とばっちりは勘弁願いたいので、俺はそそくさとその場から離れる。
途中、おっさんが俺を見ているような気がしたが、そんなもん知らんぷりだ。
「そんな人には、お仕置きが必要ですわよね?」
だって、その彼女(?)が鞭を手にしていたのだから。
それもあの兵が持っていた普通の皮の鞭ではなく、彼女(?)の鞭にはトゲがいくつも付いており。
しかもそのトゲ、良く目を凝らして見れば、ただ尖っているだけでなく、柄の方に向かって付いている。
それを見ていると……何だかおろし金のイメージが浮かび、頭から離れない。
「それっ!」
「アァ――――――――――ッッ!!!」
俺は思わず、その光景から目を逸らした。
目を逸らしたからといって、ここで起きた事実がなくなるわけではない。
だが、俺は、こんな残酷な光景を目に入れたくはなかったのだ。
鞭の振るわれる音と、おっさんの叫び声が10回を迎えたところで、彼女(?)は疲れてしまったらしく、
「これに懲りたら、もうサボることなんて考えないことね」
と捨て台詞を吐いて、豪邸の方へと帰っていった。
それから、俺はゆっくりとおっさんの方へと目を戻す。
あのおっさんはやはり……全身血まみれになっていた。
「おっさーーん!!」
雑草を蹴飛ばしながら、おっさんの元へ。
ただし走ることは出来ないので、緊迫した声を出した割に結構ゆっくりめで歩を進める。
「おっさん、大丈夫か?」
一応、俺に情報をくれた優しいおっさんである。
"あれ"に巻き込まれたくはなかったから、一度はおっさんを見捨てたみたいにはなったものの、やはり心配なものは心配である。
調子が良い、とか思ってしまうが、人間誰しもそんなもんだ。
自分に被害が及ぶのなら、よほど大事な人間でない限り、見捨てるに決まっている。
助ける奴は強い人間が、かなりのアホなだけだ。
幸い、あのトゲはそこまで大きくないからか、おっさんの傷はあまり酷いものではなかった。
無数の切り傷に痣、ってところか。
目を瞑っていて分からなかったが、大分手加減されていたのだろう。
鞭による攻撃でも、人って死ぬことがあるっていうし。
「うぅぅ……」
おっさんの口からうめき声が漏れる。
が、そこまで弱々しいものではなく、身体の痛みでつい出た、って感じがしなくもない。
「うぅぅ……うへへへへ」
だが、そんなうめき声も、俺の勘違いだったようで。
途中で俺でもはっきり分かるような、気持ち悪い笑い声へと変わっていた。
「……おっさん、本当に大丈夫?」
「……あぁ。それよりも、やっぱりアレは女だろ?」
自分の怪我よりも、あのソムルドそっくりの女(?)の方を気にするなんて……どうやらおっさんの頭はそこまで大丈夫でもないらしい。
「多分、そうなんじゃない?」
「そうか……うへへ」
「で、なんで笑ってんの?」
「そりゃ……男に鞭打たれるより、女に鞭打たれた方がいいに決まってるだろ?」
あぁ……これはもう、大丈夫とかそんなレベルはとっくに超えていたんだ。
「いやいや、鞭に打たれること自体、嫌なことじゃないのか?」
もはやこのおっさんに敬語を払うことはしない。
俺の予想なら、彼は多分――
「いや、嫌じゃないぜ」
――被虐趣味の変態になってしまったからだ。
……これはあくまで俺の推測だが、こんな生活を続けてきたせいでおっさんはおかしくなってしまったんだ。
正常じゃない状態なんだ。
それを、俺に治すことは……多分難しい。
だが、一応彼には情報をくれたという、ほんの少しの恩義がある。
やれることがあるなら、やってやろうじゃないか、とは思うのだ。
ただ、俺の言葉では伝わらない。
だから――
「おっさんは、あの鞭が嫌じゃないと、気持ちいいと本気で思ってんのか?」
「あぁ……そう思うぜ」
「『愛のない嗜虐行為など、ただの迷惑なだけの暴力だ。そんな暴力に感じる奴は頭がおかしな奴だけだ』」
だから――俺は同じ変態の言葉を借りよう。
これは、我が父がとある書物から引用した言葉で、胸を張ってそんなことを言ってきた覚えがある。
その時に、父は俺が思っていた以上に違った世界に住んでいるのだと理解させられたね。
だが、そんな残念な父の台詞も、今のおっさんの耳に入るはずだ。
そして、どうかこの言葉で自分が異常だと気づいて欲しい。
だが、やはり現実は非情なものであり。
「ふっ、そんなの今は愛がなくとも、俺がそうすればいい」
と、格好付けていうおっさんは、俺がどうこうする前に、既に手遅れだったのである。
それから、俺はおっさんから離れて、ある決意をする。
――俺は絶対にこうならないようにしないと、と。




