20
「『召喚、グルタウロス』」
その言葉を聞いて、俺は何だか不思議と腑に落ちた感じがした。
どうして、その言葉を聞く前に、分からなかったのか。
――随分前に見た、あの依頼書。あれには、何が書かれていた?
その時には、もう既に違和感でも感じ取っていないとおかしいはずだったのに。
その時、向かった先はどこだ?
ルルヌフの森である。
だが、その森は、召喚魔法の実習で大抵使っている場所だ。
そんなところに――まぁ、その傍の近くにだが――そんな強いヤツが現れるなんて、おかしいんじゃないだろうか?
学校側だって、学生に危険な場所に向かわせるリスクなんて避けたいはずだ。
あの時の俺は、てっきりあの依頼が他の人の手によって片付いてしまったものだと考えていたのだが……。
いや、レイオッド先生がその依頼書を取り下げた可能性も捨てきれない。
どうして、その言葉を聞く前に、分からなかったのか。
――地下で見たあの本。良く開かれているせいか、癖になっている頁があったはずだ。
そこには、何が書かれていた?
普段、先生がそんな頁を見るなんて、不思議には思わなかったのか。
でも……そう気付けたのは、先生が今ここで召喚した前提があってこそ、と考えると、無理もないのかもしれない。
後悔と踵は先に立たない。
俺が何を思おうとも、事は進んでいく。もう、止められない。
――先生の掌を包み込んだ光が、弾けて、消えた。
それは、俺が瞬きしている間に、音も無く現れた。
今は管理棟の中だから、外の様子は窓からしか視認できない。
が、その視認できる窓全体が、焦げ茶色に染まっている――少なくとも、今の俺の位置から見える窓の殆どは、だが。
その焦げ茶色だが、良く見てみればそれは均等に同じ濃さというわけでも無さそうだった。
影が光の反射がところどころに出来ていて、濃く見えたり薄く見えたりする部分も存在している。
――まぁ、その正体が一体なんなのかと言えば、ソイツの毛だということになるのだろうか。
にしても……グルタウロスとやらの全体像が全く見えやしない。
どれだけ大きいのか、そしてどれだけ驚異的なのか。
俺が持っている判断材料で言えば、ヤツと同じ脅威くらいで、100人の兵士のうち、70人の犠牲を出したという程度。
70人の犠牲、といっても、残りの30人がピンピンしていたわけでもないだろう。
身体の一部を失うほどの重症を負うとか、はたまた全身が動かなくなるほどになる人も、出てきたかもしれない。
……それに、人間離れした父が参加していて、これだ。
こんなモンが、街に出てきてみろ。てんやわんやしている状態の派遣騎士たちには、対処し難いだろう。
そしてアスタールの近くには、サラナ村がある。グルタウロスが、そちらに向かう可能性も、捨てきれない。
そうなれば、化け物とは比較にならない程の被害が出る可能性があるだろう。
「……そろそろ話は終わりにしましょうか」
「えぇ、そうですね」
先生は、少しだけ残念そうな顔をした。
あんなもん呼び出しておいて、勝ち誇った表情一つしないとは。
先生は負けることを考えていないのか。それとも、そもそも勝ち負けには興味がないのか。
とにかく、人間が殺せれば、それでいいのだろうか。
「じゃあ、そろそろ俺は行きますね」
先生は、動く素振りを見せない。が、何か口が動いているところから、あのグルタウロスに何かを指示しているのだろう。
そして、隣にいる化け物も、黙って動かない。
「……いいんですか、俺、行っちゃいますよ?」
「仲間にならないんですよね? だったら行っても構いません」
「止めたりとか、しないんですか?」
また、伏兵紛いなことをされても、困る。
「だから、言ったじゃないですか。僕はクレヴ君を殺すつもりはないって。例えそれが、仲間にならなくとも、です」
「どうしてなんです?」
仲間にならない、と言った時点で既に先生とは敵対関係に立ってしまったと思ったのだが。
いくら俺を気に入っているからといって、俺を野放しにする理由が見つからない。
先生がやろうと思えば、力づくで俺を捕らえたり、人質と取ったりして、強引に仲間に加えようとすることも出来ると思うのだが。
……俺が同士としてそんなに求められていないとか?
さっきの思考は完全に自惚れていたかもしれない。少し恥ずかしい。
「話は終わりじゃないんですか?」
先生は淡々とした態度で、此方を見る。どうやら、グルタウロスに指示が終わったみたいだった。
にしても、指示をする合間に俺と会話出来るとは、つくづく器用な人である。
地面が微弱ながら、振動を開始する――グルタウロスが、移動を始めたのだ。
悠長にしている時間は、本当に無くなってしまったと考えた方がいいだろう。
「見逃すなら、ちゃんと見逃してくださいね? やっぱりやーめた、とかナシですよ?」
大事な確認。まぁ、嘘を言われちゃ、おしまいだが。
「えぇ、僕からは何もしません――本当に仲間になってくれませんか?」
「しつこいです。仮に、俺が仲間になってメリットとかあります?」
「常にモンスターに囲まれた生活を保障します、っていうのでどうでしょう?」
それは、先生が感じるメリットだろうに。
そんな空間に放り込まれたら、襲われやしないか、とビクビクとしてしまいそうである。
「あのデカブツの進軍を止めるってのは、ないんですよね?」
「それは君の頼みでも、出来ません」
「じゃあ、行きます」
この場で先生を倒すという手も考えたが、もう指示し終わったところだから、あんまり意味がない。
仮に先生を縛るなりして、デカブツの前で戻喚魔法を使わせる、なんて手も考えたが、そもそも先生の近くにいる化け物を突破する力もないのに、先生を捕まえることなんて、出来る気がしなかった。
仮に先生一人だとしても、勝てる気がしない。
それに、グルタウロスが召喚された時点で、ルシルたちがここに戻ってくる可能性は、ほぼ0になってしまったし。
あのデカブツは非常に目立つからな。アスタール防衛の方に回ることだろう。
……俺には、この事件の張本人をどうにかするという選択肢はないという訳である。
だったら、外に行く方が、まだ選択の余地があるはずだ。
「――次会った時には、いい返事を期待してますよ?」
外に出る頃には、グルタウロスとは結構な差が開いていた。
図体がデカイ分、歩幅も大きいのだろう。
ここにきて、ようやくヤツの全体像が拝めたが、やはり資料にあったように頭部が牛に似ている。
耳の近くに立派な2本の角が生えていた。
といっても、牛のように四足歩行というわけでは無く、後ろ足だけで直立し、歩行している様子。
ここら辺は、人間と同じだった。
後は遠目から分かることはというと、全体があの焦げ茶色の毛で覆われているぐらいといったところか。
グルタウロスの確認はこれくらいにして、3人の安否はどうなったのだろう。
首を左右に動かすが、見当たらない。
どうやら落ちてしまって、そのまま気絶or死亡ということには、なっていないらしい。
「ん?」
何かが、転がっている?
地面がめり込んでいる辺り、あのデカブツにでも踏みつぶされたのか。
召喚の際に、運悪く潰されでもしたのだろう。
「ルシルたちじゃ、ありませんように」
怖いもの見たさで、その中をそっと覗く。
そこには……俗に言う達磨状態の"あれ"と、真っ黒に焦げてしまった"何か"があった。
形は二つとも人にしては、歪な形をしている。グルタウロスに踏まれただけでは、ああはなるまい。
「…………」
これで、安否確認する必要はなくなった。確認という作業言えば、仲間たちの圧倒的な暴力を受けた、哀れな残骸を見ただけである。
レイオッドという人に身体を弄られ、あの強力な力を持った彼らにやられ、最後にはデカブツに踏みつぶされてしまった人の、なれの果て。
埋めている時間はないけれど、せめて。両手を合わせて、目を閉じる。
こんな結末じゃ、安らかになんか眠れないかもしれない。俺なんかの祈りじゃ、不服かもしれない。
けれど、祈らずには、いられなかった。
「じゃあ、行くか」
今度こそ、足を引っ張るくらいで何もできないかもしれないけれど、このまま立ち止まっているのも、嫌だった。
たぶん、三人もあのデカブツの背中を追っているに違いない。
亡くなった人に背を向けて、俺は地面を蹴った。
走ってようやくあの姿に追いついたところ、そこは戦々恐々とした風景が広がっていた。
やはり、その騒ぎの中心にいるのは、グルタウロスとかいう、あの図体のデカいモンスター。
C級というランク付けでありながら、B級に匹敵するであろう強さを持ち、母が病床に臥せていた時に、たった4人で挑もうとした相手。
ソイツが今、俺の目の前にいる。
実物というのは、書物なんかに書かれている情報を元に、頭の中で想像しているものよりも、迫力が違う。
大きさは、あのアスタールの街並みの中にいながら頭一つ抜け出し、その景観を軽々と、子供がおもちゃにじゃれついているかのように壊していく。
なんの躊躇いも無い当たりが特にそう感じさせる。
振り上げられた拳は、牛の蹄とは違い、どちらかというと人みたいに物を握れるようにと5本の指が握り締められていて。
木造、またはレンガ造りの建築であっても蹴りや拳で粉砕していくところから、ヤツの身体は頑強だと見てとれる。
そして先ほど身体の大きさ、縦の大きさについて目を向けたが、ヤツの体躯は横にも長い。
肩幅と腰の太さが同じくらいでずっしりとしている。腰の位置も低いから、余計にだ。
さて、グルタウロスの足は、予想した通り例の避難する人たちの方へと向かっているようだ。
化け物なり、モンスターなり、やはり大きな音には興味を示すのだろうか。
グルタウロスよりも先に向かった化け物がやったのか知らないが、向かう先には火の手が上がっていた。
こうして、壊れていく様を見ていると、なんだか母の言っていたことが分かるような気がしなくもない。
自分たちの思い出が詰まっているであろう住宅が、いとも簡単に壊されていく姿。
そう、まるで小さな幼児が蟻の巣を潰していくように、だ。
モンスターには、たぶん罪悪感など一欠片も存在していないだろう。
俺たちが思う、『酷い』という感情なんて、理解も出来ないだろう。
これは、先生の言う、他の生き物の住処を自分たちのためだけに破壊していく人間と、同じなんだろうか。
でも、これは先生が指示してやったことだ。モンスターのではなく、人の思惑だ。
むやみに何かが壊れていくところを、黙って見ているのが、正しいのか。いや、正しくはないだろう。
しかし、何も事情を知らず、先生の掌の上で転がされているに等しい、このモンスターを殺してまで、止める必要があるのかどうか。
何が正しくて、何が正しくないのか。
誰が正義で、誰が悪か。
先生は悪?
たぶん、そうだろう。人を無差別に攻撃する人が、悪じゃないわけじゃない。
でも、先生が恨む理由はなんだ? 人が他の生物に向かって自分勝手に振る舞っているからだ。
この先生が人間を恨む行為は、果たして正義が悪か。俺には判断がつかない。
果たして、このアスタールに自分の手で直接モンスターを殺したことがある人間が何人いるだろうか。
そんなには、いないだろう。
でも、先生は許せないのか。モンスターが身の危険を感じながら生きているというのに、ぬくぬくと平和を享受する人間が。
そして、その先生が考えた末に召喚されたモンスター、こいつを殺すのが、正しいのかどうか。
止めなくてはいけない、とは分かっている。でも、殺すまではないんじゃないかとも思う。
ヤツは、人間じゃない。害を成すモンスターだ。
結局、俺がいくら考えても、自分の視点にしか、立てない。モンスターの視点なんて、分かるはずもない。
たとえ考えたとしても、人が考える上での、モンスターの目線に過ぎない。
本当の意味での、モンスターの視点では無いのだ。
また、同じ人の視点でさえ、他人ということだけで、理解ができないし。
こんな弱い俺がウジウジと悩んでいる間にも、普段なら強者とも呼べるルイゼンハルトから派遣された騎士たちは果敢にも、グルタウロスの進軍を止めようとしているじゃないか。
でも、彼らはグルタウロスから見れば、蟻も同然だろう。手とは違い、蹄で出来た足で、鎧を着込んだ男たちを軽く蹴散らしていく。
ここまできて、悩んでどうするんだ。
ここまで来て――サラナ村にグルタウロスの脅威が向かっているわけじゃないからって、どうして気を抜いているんだ、俺は……!?
止まってしまった足をじっと見つめる。
ここぞというところで、動かない。そもそも頭の方が身体を動かそうとしているかも、怪しい。
「『ブラスト』ッッッ!!!!」
そう立ち止まっていると、聞きなれた叫び声が、聞こえる。
わざわざ建物の上にまで上ってまでして、詠唱する人間は、ルシルのようだ。隣にいるのは、フィリーネさんか?
でも、あの波のように大きく思えた炎も、あのグルタウロスからにすれば、小さな火の粉みたいなものだ。
頑強な腕で、簡単に振り払われてしまう。
「うおおおおおおおぉぉぉぉぉらああああああああぁぁぁぁぁぁっっっっっ!!!!!!」
そして、その足元では、ダバルが特攻しているのが見えた。
騎士たちに紛れこんでいて分からなかったのだが、今になってようやく彼の存在に気が付いた。
自慢のロングソードを振り下ろしてはいるが、グルタウロスからにすれば大きな爪楊枝が関の山か。
切れ味が悪いのか、あの焦げ茶の毛並みが固いのか。全くダメージが通っているようには見えない。
案の定、ダバルは文字通り、グルタウロスに一蹴されてしまう。
「なんで……」
立ち向かえるんだ?、という言葉が続く前に、口が閉じてしまう。
別に彼らには、騎士たちみたいに義務なんてものは無い。逃げても、責任なんて、重たいものは無いはずだ。
でも、戦っている。
なんで? どうして?
俺はこの一日でどれだけ考えれば疑問に思えば気が済むのか。おかげで少しオーバーヒート気味だ。
やれることをやってやろう。
そんな、ハリボテみたいな俺の決意は、こんなに軽いものなのか。
弱い自分じゃ、立ち向かう勇気すら無いのか。
正しいことすら分からない、決断することも出来ない優柔不断な俺には、何も出来ないのだろうか。
――そうじゃない。俺は、怖いんだ。
正しくないこと、間違えるのが怖い。
何より、死ぬのが怖いんだ。
尤もらしい言い訳を作って、逃げようとしているだけである。
これは、考えても、頭の良くない俺には、きっと答えなんて出やしない。
選ばなくちゃ、いけない。
死ぬかもしれないけど、足手まといにしかならないかもしれないけど、戦うか。
それとも、おめおめと逃げ帰って、中途半端に抱いた罪悪感に今後苦しむか。
……人は、選択を迫られた時、大体は楽な方を選ぶそうだ。
今ある技術とかも、人の生活などが便利になるように、楽になるようにして生まれたものだということを知っている。
だから、楽な方を選びがちだ、ということ。
俺がここで、心が重くならない、楽な道。そう、村へと逃げ帰るって道を選んでも、別におかしくはない。
サラナ村に帰って、またのんびりとした生活に戻ればいい。目の前の脅威からは、見て見ぬ振りをして。
――でも、もしグルタウロスが万が一にでも、サラナ村に襲ってきたとしたら?
もちろん、そんなもん、アスタールのように、いやもっと簡単に、ぶち壊される。
逃げようともしない、村の人たちも一緒に殺されるかもしれない。
そういえば、ルシルを連れ帰るまで、ここを離れないって母に言われたっけ……。
じゃあ、ルシルがもしここで死んでしまったら、どうなっちゃんだろう。
たぶん、母なら息子でも家から締め出されるかもしれない。二度と、口をきいてくれないかもしれない。
彼女の命が亡くなったことに、俺へと責任を負わせるかもしれない。
それは嫌だなぁ、とは思う。
けれど、死ぬのはもっと嫌だ。
………………。
…………。
……。
仮に、だ。
俺が逃げたという選択を選んだ場合、グルタウロスはどうなるのだろうか?
まず、先生の命令通り、アスタールの街を破壊し尽くす。そうすると、どうなる。
多分、危険だとみなされて、ルイゼンハルトから魔導師を含んだ討伐部隊でも派遣されるだろう。
そうすると、どうだろう。あのモンスターがいくら強いとはいえ、死ぬ運命は決まったも同然だ。
結局、死だ。人が死に、モンスターが死ぬ。
先生は、分かっているのか、このことが?
いや、討伐部隊が来る前に戻喚魔法でも使うか?
まーた考えてしまった。もう、分かっているんだろう?
――いくら考えても、自分を納得させることなんて、出来ないって。
結局、自分で何かを妥協して、苦汁でも何でも呑み下さなきゃいけないんだって。
……にしてもあれだ。ルシルたちは、まだ諦めていない様子だ。
騎士たちなんて、散々蹴散らされて戦力にすらなっていないのに。彼らはまだ戦うというのか。
ルシルも、フィリーネさんも、ダバルも、まだあのグルタウロスに抗う。
もう、アイツから見れば蚊のように、鬱陶しいだけに違いない。
ルシルとフィリーネさんは、グルタウロスの攻撃のせいで集中する時間がなく、まともな詠唱魔法が出来ていないし、ダバルの方は、もはや攻撃が通じていない。
「あっ……」
足場を崩され、飛翔していたルシルが、はたき落された。
地面に勢い良く衝突しなかったところを見るに、風系統の魔法で勢いを緩和させたか。
だが、ほっと息をついているであろうルシルに、大きな拳が追撃を仕掛けてきやがった。
「ルシルッ!!」
そうして、気が付いた時には、既に俺はルシルの方へと駆けだしていた。
考える暇もなく、ただ足を動かす。
やはり、想像と現実は違う。目の前で人が、ルシルが死ぬって思ったら、身体が勝手に動いていた。
さっきまでの硬直が嘘みたいに。普段とは比べ物にならないほど、速く。
背中に背負った、大きく武骨な盾を握り、彼女の元へと急ぐ。
が、俺なんかの到達する距離なんかよりも、やはり拳とルシルの距離の方が、当然近い。
拳が、ルシルへと、迫る。
「――『エア・ブロー』ォッッ!!!!」
見えぬ空気の塊が、拳を阻む。流石はルシル。
実践魔法演習の時よりも、切り替えが早い。が、グルタウロスの攻撃は、まだ終わらない。
ワンツー、右と左のコンビネーション。
ルシルの整った顔が、驚愕に歪む。たぶん、今度は対処し切れない。
「だから今度は――」
走りながらも、慣れた動作で、盾を前へと持ち直し、
「――俺が間に合わせる」
巨大な拳を、横にへと受け流した。




