13
一体の化け物に振るわれた、銀の閃光。すぅっと化け物の肉に入った途端、血が赤く咲いた。
体内から吹き出る血は、勢いよく体外へと飛び散り、地面を染めていく。
風に運ばれた鉄っぽい匂いが、鼻を刺激する。
「あ」
まだ、言葉に出来ない。
先ほどまで、何もできない自分に悔しがっていて。
身体が硬直したように、全く動けない自分が情けなくて。
後悔をしてもし切れないぐらいに、どうしようもなくて。
そう思っていた自分の目の前に、俺のような弱さとは無縁の男が現れた。
斬られた化け物が前のめりに倒れて、彼の姿が露わになる。
黒髪を後ろに流し、その髪型に似合うような、鋭い目つき。
軽装の鎧で、身長こそ俺とはあまり変わらないものの、鍛えられた筋肉のせいか、俺よりも大きく見えるその姿は。
「ダバル……?」
そう、あの男だ。
散々、自分の中で可哀想だと思っていた、あの男。
ここまで颯爽と現れて、簡単に化け物を倒してしまうダバルに。
助かったという思いよりも、何だか羨ましいと思ってしまった。
非力な自分には、出来ない行為を、淡々とこなしてしまったのだから。
「あれ、ルシルはいないんすか……?」
現れて早々に、なんだか落ち込むダバル。戦闘中だというのに、何だか緊張感が感じられない。
「せっかく、カッコよく助けられたと思ったのに」
ぶつぶつと何かを言うダバルをよそに、化け物たちは仲間をやられたからか、背後に素早く振り返り、ダバルへと一斉に飛びかかった。
たぶん、魔法を使わないのは、近過ぎて仲間へと魔法が被弾する、とでも考えたのだろう。
「ん」
接近する化け物を、半眼で睨みつけたかと思ったら、肩に担いでいたロングソードを片手で軽く一振り。
ついた血糊を払い落とし、一足飛びに一体の化け物の懐に飛び込んだ。
それは、誰よりも速く、到達する。そして、返す刀で振り上げの一撃。
ゴリッ、という音と共に、再び赤い花が散りばめられ、咲いた。
剣筋は、斜め上に。結合されていた胴体を、無理やり分け隔てた。
もはやそれは肉と骨を断ち切ったというよりも、肉を骨ごと粉砕したという方が正しいのかもしれない。
ダバルは、その振り上げの勢いを殺さずに身を翻し、両手に持ち替えて右隣の化け物に振り下ろす。
攻撃をしくじった化け物はバランスを崩しているところに、一閃。
肩口から入ったロングソードは、今度は向きを変え骨に沿って進む。
進む先は、歪に生えた二つの首。
「「あ゛あ゛――」」
痛みで声を発したのか、化け物が唸る――その前に首が掻っ切れた。
発せられたのは、わずかにほんの少し。
痛みで歪んだのか、元々歪んでいるのかわからない二つの頭が、地面へと落ちる。
頭がなくなった胴体からは、先ほどよりも勢い良く血が噴き出す。
「「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」」
早くも2体の化け物が地に伏したが、化け物たちの勢いは、止まらない。
3体のうち、ダバルに一番近い奴が、腕を振り上げる。
連続攻撃の後だからだろうか、ダバルは攻勢に出ることが出来ず、ロングソードを目の前に構え、防御の姿勢を取る。
ギンッ、という甲高い音が鳴り響き、その化け物の攻撃は終わる。――化け物の奴、さりげなく石なんて握りこんでいやがった。
攻撃を防ぎ終わったかところに、もう一撃。
――違う奴だ。
ロングソードを構えていた場所をすり抜ける形で、ダバルへと振り下ろされる腕。
流石にそれは避けることができずに、ダバルはそれを喰らう、と思えた。
「『エア・ブロー』ッッッ!」
が、それは腕がダバルに到達する前に弾き飛ばされた。圧縮された空気が、化け物の腕に射出されたからだ。
「……ふぅ、ようやく息が整った」
フィリーネさんの、援護射撃。
あっけにとられていた俺と違って、彼女は反撃のチャンスを窺っていたようだ。
「次、いきます」
誰に確認を取ったのか、彼女がそんなことを言い出した。
視線の先は、もちろんあの化け物2体。
「でやぁッッ!!」
そして、彼女の視線の先に化け物と一緒にいるダバルは、気合一閃といった感じで、1体の化け物に攻撃を加えていた。
が、血糊がべったりとついていたのか、化け物の肉に軽く食い込んだというところで、刃の勢いは止まる。
そこに化け物は自分の傷などお構い無しに反撃の蹴りを繰り出すも、ダバルは地面を蹴って後ろに跳ぶ。
躱す余裕があるあたり、先ほどのは剣を振り抜いたのでは無く、刃を当てただけ、といった感じなのだろう。
そして、背後に回り込んだもう1体の化け物に、身体を縦回転に回した蹴り――サマーソルトを決めた。
2対1でありながら、余裕の見える戦いを見せるダバル。
ヴィジュアル的にも格好いいし、正直彼も目の前のことに集中して戦っているので、止めたくはない。
「ダバルーッ、今すぐそこから離れろーーッ!!」
「あん?」
だが、俺は叫ばずにはいられなかった。たとえダバルが不機嫌になろうと、嫌われても構わない。
だって、この展開はなんだか既視感を感じたから。
「ふっ、『ブラスト』!!!!」
軽く息を吐かれ、やはりそれは、唱えられた。
ダバルに意識が完全に向けられていて、フィリーネさんに猶予を与えてしまったのを、敵は理解できていなかったのだ。
――彼女の脅威を。
そして、ダバルも。
フィリーネさんのことを、良く知っていなかったから。俺の言葉を無視して、いまだに戦い続けていた。
化け物は、魔法の行使をいち早く察知したのだが、ダバルの相手をしているために、そこをなかなか離れられない。
そうしている間にも、フィリーネさんの目の前には大きな炎の波が形成されている。
そして、時は満ちた。
ゴオオオオオオッッッ、という多大な熱量のこもった炎が、前方を包み込んだ。
あの化け物2体だけでなく、ダバルも、そして大きくそびえ立つ門さえも。
視界に移ったものを、赤い輝きで埋め尽くされる。
あまりの光景に、目を見開いていたのだが、乾燥してしまったのか、瞬きを繰り返す。
そうすると、なぜか涙が零れ落ちてきた。それは、なかなか止まらない。
目を閉じるたびに、思い浮かぶあの勇ましい姿。敵に躊躇なく飛び込んでいく、男の姿が。
この目の前に燃え盛る炎のように、俺の瞼に焼きつかせる。
あぁ、勇敢な男、ダバルよ。
お前が愛する者――ルシルに見届けられ無いが、せめて。
せめて俺だけでも、祈りを送ろう。
彼に、安らかな眠りを。
「熱ぅうううううううううっ!!!!」
……はて、幻聴だろうか。彼の声が聞こえた気がする。
「いきなり何するんすか!?」
炎の勢いが弱まる中、倒れている人影から、声が聞こえる。隣を見るが、フィリーネさんもその声に反応を示しているあたり、幻聴ではないだろう。
「ダバルか!?」
驚き、そして涙を流してしまう。
普通なら、あの化け物ですら絶命してしまう一撃を喰らってもなお、生き残ることの出来る頑丈さが、彼には備わっていたのか。
あの時も、そうだった。ルルヌフの森に行った時に、イアンドッグというモンスターの大群に揉まれ、ルシルの『フレイム』、そしてフィリーネさんの矢の巻き添えになったダバルは、それでも軽傷で済ませていたのだ。
それを耐え抜ける彼の育った環境とは一体どうだったのか。純粋な興味よりも、悲しみの方が勝る。
それに対して、隣にいる彼女はどうだろう。
可愛らしい容姿をしているが、今の俺には悪魔に見えた。そう、この行為は悪魔の所業といっても過言ではないだろう。
身動きのできない彼の代わりに、俺はフィリーネさんを睨みつける。
彼が感じているであろう怨念を、恨みを、そしてほんのちょっぴり俺の彼に対する憐れさを込めて。
「……ちょっと怖いよ、クレヴさん?」
瞳を潤ませるフィリーネさん。普段の何倍も庇護欲を誘われる表情だからか、俺の表情が緩んでしまう。
ちぃ、俺の感情が流されやすいのを知っての表情か。
が、心の制御など、出来るはずもなく、俺の心は陥落された。
「ごめん、でもなんで。ダバルがいたのに……?」
目つきを和らげて、聞きたいことを述べる。いくら彼女が好戦的だとはいえ、こんな味方(仮)まで巻き込んで攻撃するなんて、考えられないからだ。
「……それはね、ルシルちゃんが前に、『ダバル君が背中を見せたら、取りあえず詠唱魔法をぶち込んでおいて』って」
「えっと……?」
その後、詳しくフィリーネさんから聞いてみたところ、ダバルは前からルシルのことを追いまわしていて鬱陶しかったとか。
それで偶然を装って幾度か詠唱魔法をダバルに行使したのだが、彼は怪我を負っても決して諦めず、しつこかったんだとか。
それで、なんだか知らないけれど、ルシルの友人内では、『ダバルの背中を見たら、取りあえず魔法で攻撃せよ』という決まりになったらしい。
まぁ、話によれば、ダバルの方も覗き紛いなことを仕出かしているから、仕方ないと言えば仕方ないのだけれども。
いくらなんでも、やり過ぎだと思う。
フィリーネさんの場合は、他の人が悪ノリしたのに際し、真面目に受け取ってしまったんだとか。
――先ほどまで心の中にあったダバルの英雄像が、一瞬にして消え去った瞬間であった。
「おーい、大丈夫か?」
地に伏せたまま動かないダバルに声をかける。
叫び声を上げてから、うんともすんとも言わなくなってしまったダバル。怪我の方は、肌を露出している部分は火傷を負い、それ以外に目立った外傷は見当たらなかった。
たぶん、見た目の割にダメージが深かったせいだろうか。敵が動かなくなり、気が抜けてしまい、気絶してしまったというところだろう。
このまま寝かしておいてやる、という選択肢もあるけれど、このまま敵地とも分からぬところに転がしておくのも、可哀想だ。
移動させようにも、ダバルを抱えている状態であの化け物なんかに見つかったら、抵抗も出来ずに、逃げ切ることも叶わない。
さて、どうするか。
最善の一手としては、やはり非道かもしれないが、ここは。
「おーい、起きろー。起きないと死んじまうぞー」
顔への平手打ち。
ぺちぺちと、軽くスナップをかけて頬を叩くが、目覚めず。
次は、充分振りかぶってからの、往復ビンタ。
ばちっばちっばちっ、と痛そうな音が鳴るが、目覚めず。
仕方なしに、今度は拳を握り締めて、腹に一発。
「どぶっ……!!」
今度は反応あり。しばらく続けてみることにする。
彼の腹筋はなかなか鍛えられており、俺の拳がなかなかに効かないということもあってか、5発目というところで、ようやく彼は意識を取り戻した。
「……いつつ。何だか全身が痛いんすけど。特に顔と腹」
「ああ。魔法の巻き添えになっちまったからな。仕方ないさ」
随分とダバルの顔が腫れてしまったが、気にしない。
名誉の負傷、ってことにしておいた方が、ダバルも気分がいいだろうし。
真相は語らず、黙っておくのがベストであろう。
そうに違いない。
「巻き添えって酷くないっすか?」
「一応、警告はしておいたんだけど?」
「当たる直前に、そんなこと言われても分かるわけないっすよ!?」
ギロリ、と怖い顔をつくり、こちらを睨んでくる。
たぶん、後数年経てば、立派に夜の街に出没するような怖い人たちの仲間でも、やっていけそうな顔である。
「しつこい男を、ルシルさんは嫌いだとオモウナー」
「……じゃあいいっすよ。じゃあ」
渋々といった感じで、ダバルは引き下がってくれた。彼が単純で助かった。
「あと、いくつか聞きたいことがあるんすけど……」
「ん?」
「ルシルはどこにいるんすか?」
「知らん。俺はいつも一緒ってわけじゃないしな。一応、探しにいくところだったんだけどな」
ぽりぽりと頬を掻き、困った表情をつくると、彼は何か言いたげだったが、追及することはなく次の質問に移る。
「じゃあ、あのモンスターのこと、何か知ってないっすか?」
あのモンスター、というのはたぶん先ほど丸焦げにした化け物のことだろう。
"モンスター"……。何か引っかかる。
モンスターと言えば……そう言えばリアナも"魔王の側近"、いわばモンスターみたいなものじゃないのか……?
しかも、今は側近たちの会議だか何だかで、都合良くいなくなってるし。
……この騒ぎは、もしかするとリアナが起こしたのだろうか?
だが、リアナの普段の行動を見るに、そんなことを企んでいるようにも見えない。
まぁ、それが演技という線も捨てきれないが。
「さぁ、俺もよくは知らない」
今は、答えないことにする。リアナのことを言っても、信じてもらえなさそうだし、それにダバルはリアナのことを知らない。
それに、これが正しいという確証は無いしな。
不用意な発言は控えるべきだろう。
「なんだか、街の方にも出没しているらしいっすよ。剣士育成所にもいきなり出てきてるっすしね」
「な……!!」
一応、想定はしていたものの、やはり驚いてしまう。
ここまであの化け物が魔法学校に侵入しているから、被害は敷地内だけでは済まないだろうとは思っていたけど。
アスタールの街の方までとは……。
「ってことは……!!」
アスタールの近くにあるサラナ村の方も、もしかしたらヤバいかもしれない。
「フィリーネさん!!」
焦りで思わず大声が口から飛び出す。
彼女はどうやら『ブラスト』で焼き尽くした化け物に近付いて、観察しているようであった。
俺が大声を発した割に、彼女からの反応は薄い。
よく見ると、なんだか驚いた表情をしているような……?
だが、俺には彼女を気にしている余裕はこれっぽちも無かった。
これ以上ここに留まっていることなんて、出来そう無い。
今は、すぐに家へと帰りたい、という気持ちが急激に湧き出してくる。
「ダバル、フィリーネさんに伝言を頼む」
「何でオレがそんなこと――」
「いいから黙って言うことを聞け、この病人が!」
なかなか言うことを聞かないダバルに、実力行使で軽く蹴りを入れる。
「ここからは自由行動で。一緒に行動するなら校門で待ってて。――以上だ」
言葉を素早く言い切ると、俺はすぐさまサラナ村へと駆け出した。
速く、もっと速く!
――何だかこれも、デジャヴのように感じる。
また、襲われてはいないだろうか?
――また、リアナが犯人なんじゃないか?
【アスタール】
「焦らずに、焦らずに逃げてください!」
いつも騒がしい街が、更に騒がしくなっている中。
ルイゼンハルトから派遣され、アスタールの守護を司る騎士たちが住民の避難を行っていた。
本当ならば、脅威となるものと戦って殲滅するのが本来の役割なのだが、ここは場所に対して人が多過ぎた。
逃げ惑う人々のせいで、満足に戦えそうになかったのだ。
現在、騎士たちは人数を二班に分け、化け物への牽制と住民の誘導を行っている最中であった。
「……何なんだ、これは一体?」
一人の騎士が、起こっている事態に疑問をごちる。
彼は騎士になって、いくつかの派遣をこなしてきたが、このようなモンスターが出没したとは、聞いたことがなかった。
「何が、起きているんだ?」
分からないというのは、本当に恐ろしいことだ。
どう対処していいものかも、分からなくなってしまうからである。
混乱に見舞われるアスタール、そしてルイゼンハルトから派遣された騎士たち。
――当然、今の彼らが魔法学校に助けにいく余裕は、無い。気付く様子も、無かった。
【魔法学校 実験棟5F】
化け物の不気味な姿によって、混乱。そして、その化け物にやられていく生徒たちの被害が増えていく中、実験棟5階の廊下で、小さな反撃が行われようとしていた――
「ったく、しつこい奴から逃げていたと思ったら……」
うんざりした声で発する中年の教師。恰幅が良いが、歳の割に腹は出ておらず、身長もそこそこある。
少々顔の整ったおっさん、とでも形容できるこの男。
先ほどまで、ある女生徒と追いかけっこをしていたところ、いつの間にかその女生徒はおらず、代わりにこの化け物に追われていた、という状況に陥っていた。
「あの時の反省をいかして、身体は動けるように鍛えてはいたが……」
彼は化け物の足元を、じっと見つめる。
「四本ってのは卑怯だろ……」
機動力の差で、彼は廊下の端に追い詰められていた。
「「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」」
それを見て、化け物は歪なほどに口を吊り上げ、楽しげに笑う。
「俺、ホラーとか苦手なんだけどなぁ……」
独り言を漏らしながら、彼は少しずつ、少しずつ後ろに間合いを取っていく。
できるだけ、離れる。
――詠唱魔法を行使した際に、自分への被害がないところまで。
化け物とほんの3メートル離れたところで、化け物に感付かれてしまった彼は素早く詠唱魔法を唱えた。
「――『ヒート・レイ』ッ」
詠唱を終えた途端、彼の構えていた両手から、一直線の太い光が放たれた。
高度の熱を含んだ、光線――よりかは遅いかもしれない。
が、速さとしては充分――化け物が避けられないくらいには。
一直線に伸びる熱線は、前方にあるものをとことん燃焼させ、そして化け物さえも例外では無かった。
「「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛…………ッッ!?」」
彼へと迫っていた化け物に躱す余裕など無く。
苦しげに悶える、化け物の声が廊下に響いた。
彼は、魔法による集中で身体が硬直したまま、それを眺める。
「(早く、焼けちまえ)」
化け物の表皮は、焼けていく。高度な炎だ、普通なら1分も保てまい。――普通の人間ならば。
「……くそっ!!」
彼の恐れていたことが現実になる。
そう、破れかぶれの――化け物との相打ち。
身体を炎で貫かれ、その貫かれた部分以外も、炎に浸食された化け物が、彼の方へと突っ込んできたのだ。
彼には、それを躱すことは出来ない。
いまだ、彼の身体が動かないからだ。
彼よりも、化け物の方が身体的に大きく、重い。
もし覆いかぶされたとしたら、退かすことも出来ず、彼は化け物と共に丸焼けとなってしまうだろう。
「(判断を、誤ったか……)」
彼は、後悔する。
化け物を仕留めることに、焦った自分に。
「(思えば、俺は重要なところでいつも判断をミスしていた気がする)」
最近のことで言えば、この年になっても女房が見つかっていないことを焦り、友人に女性を何人か紹介してもらったけれども、その予定が重なってしまっていたり。
思い出深いもので言うと、貴族の学校から左遷されたことだろうか。
そして、何より一番の失敗は、今目の前にある現状のこと。
「(死ぬ間際だからだろうか、なんだか目の前に映る景色がスローモーションに見えるな……)」
先ほど思い出されたのは、走馬灯だったのだろうか。
「(そういえば、思い出深いものが、まだあったっけ……)」
思い浮かぶのは、一人の少女の姿。
彼のことを、なぜか深く、一途に、そしてねちっこく愛している、少女。
しつこいという言葉では足りないほど、彼の跡を追いまわし、彼の言葉に食いついた。
いつの間にか、彼の日常に食い込んできた、少女――クラリッサ。
「(俺が死ねば、悲しんでくれるのかね……?)」
彼の心が、チクリと痛んだ。
「(今更だが、クラリッサともっと向き合ってみれば良かったかもしれない)」
うざったい。鬱陶しい。しつこい。
けれど、彼のことを良く思っていてくれていて。
「(また一つ、後悔が出来ちまった……)」
スローモーションとなっていた教師の主観も、いよいよ終わりに近づく。
彼へと、化け物の身体が目と鼻の先にまで迫ってきていた――
「『エア・ブロー』ッ!!!」
――が、それはある声によって遮られる。
結果、彼へと襲いかかる化け物は、"過剰に"彼へと跳びかかることになった。
「簡単には、死なせませんよ……」
彼が化け物が軽々と吹っ飛んだところを見送ったところに、クラリッサが横切る。
そこで彼は一度も見たことが無い、彼女のとても真剣な表情が見えた。
「(果たして、今の台詞は、どちらに向かって言われたんだか……)」
彼女の言葉に、彼は心の中で、苦し紛れに悪態を吐いた。
化け物は、まだ地面へ辿り着くことが出来なかった。
というのも、クラリッサが化け物に向けて相当な魔力を込めて放ったということもあるだろう。
というのに、彼女は魔法を行使した後にでも、すぐに動けていた。
「(これぞ、愛の力です……!!)」
思いの力、とは良くいったものだが、彼女はここぞ、という時にポテンシャルを発揮するタイプの人間だった。
すぐに動けるようになった彼女は、化け物のことを追撃。
愛しの彼に襲いかかっておいて、こんなものでは済ませるわけにはいかなかったのだ。
「簡単には、死なせませんよ……」
思わず飛び出た、独り言。
彼女としては、化け物に向けて言った言葉でもあり、そして彼に向かっていった言葉でもあった。
「(相手は、空中にいますか。じゃあ、ちょうどいい――)」
走りながら、彼女は右手を化け物の方へと向ける。
こうして手を目標物に向ける、といった行為は、詠唱魔法の向きを"定める"ことを補助しているとされている。
魔法学校で習う生徒は魔法を行使する際、ほとんどは無意識にこうして手を向けているのだ。
「(思い出せ)」
掌に、魔力を集中させていく。
それと共に淡い光が掌へと集まっていき、輝きを増していく。
「(思い出せ――あの時の、ことを!!)」
化け物が飛んでいく勢いが、失速する。あの歪な身体が、地面へと触れる。
「『ライズ・ウィンド』!!」
が、再び彼女によって、宙にへと放り出される。
渦巻く風が発生し、化け物を上へと回し上げる。が、ここは室内。上へと際限があるために、化け物はすぐに天井へと激突。
「「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」」
風と天井とで、押しつぶされそうになる化け物だったが、回転を利用し、少しずつ身体の位置をズラしていく。
天井の方に足を向けて、体勢を立て直そうとして。
「「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」」
そして、何秒か経過した頃だろうか。
風のせいで、うまく呼吸が出来ないからか、元々よりも苦しげな声をあげながら、化け物はようやっと、といったところで天井へと着地。
4本ある強靭な足のバネに溜めを作り、攻撃の体勢を整える。
「――でも、そこで終わりにしましょう」
そこに、今まで黙って見ていたクラリッサが、ようやく口を開いた。
「(あの日のように……!)」
目を閉じ、もう一度あの光景を脳裏に浮かべる。
――助けてくれた、あの人のことを。今の自分に、重ねて。
「『スピニング・スラッシャー』ッッッ!!!!」
彼女の声が、詠唱が唱えられた瞬間、舞い上げていた風は鋭い刃へと姿を変える。
不可視の刃は、回転し、そしてとても静かに。
近くの壁もろとも、その歪な身体を切り刻んだ。
「にしても、派手にやったな、これは……」
中年の教師は、クラリッサへと近づき、鋭い傷跡のついた天井や壁を見つめる。
当然そこには傷跡だけでなく、赤く、鉄くさい血液が飛び散っていた。
「体液って洗い落とすの大変なんだぞ、これ……。クラリッサも近くにいるから、ほらこんなにも血液がついてんぞ?」
そう言って、ポケットからごそごそとハンカチを取り出し、彼女の髪についた血液を拭き取っていく。
「これを勝利の証としては……いや嫌過ぎですね、気持ち悪いし」
「動くと上手く拭き取れん。というより、もう自分でやれ」
うんざりしたように、彼はハンカチをクラリッサの頭に置く。
「いいじゃないですか、これくらい。先生の命を助けたんですよ。これは先生と結婚なんて軽く出来るくらいの名誉じゃないですか!!」
「あぁ、昔、お前を助けたから、チャラってことで」
「……覚えてたんですか?」
「今、思い出した」
「あの時、私と先生が婚約したことを?」
「んなもんしてねぇよ、ったく――おっと、またお出ましかい」
男は会話を中断し、新たなに登場した化け物に睨みをきかせる。
「この視線は、私が独占するっ!!」
「いや、ふざけてる場合じゃないだろ、これ?」
「「『フレイム』」」
「ほら、早速炎がきやがった。『ウィンド』」
強引に、力任せといった感じで教師は化け物が生み出した炎をかき消す。
「そこに私が、『エア・ブロー』」
合間をあけず、クラリッサが魔法を唱える。
作りだされた空気の塊が向かう先は、化け物。
「「あ゛あ゛あ゛あ゛」」
不意打ちだったのだろう。化け物が、呻いた。
「そこにすかさず先生が、攻撃を……!!」
「うるさい、『エア・ブロー』」
先ほどよりも、強力な空気が、化け物を叩く。
「初めての夫婦の共同作業ですね」
「軽口叩いてる暇あんなら、次いくぞ……!!」
「いえ、さっきのなしで。こんな殺伐としたの、嫌ですもんね!」
「……なんか化け物より、お前を相手にする方が疲れるわ」
「えぇ!? まだ夜にお相手してもらわなきゃ、いけないんですけど?」
「知るか、勝手に一人対戦していろよ……」
化け物が立ち上がったところを見て、二人は再び会話を中断させる。
一人は板挟みでうんざりとした顔で、もう一人は役に立てることを喜んだ顔をして。
彼らは受け身だった状態から、攻めに移った。
ピンチ→助けるばっかの、ワンパターンですいません。
書きたいところまで、まだまだ先が長い……。