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肩にかかる程度の美しい白髪の後ろ姿から一定の距離を置いてついていく羽目なってから数分もしない内に疎らに雨粒が落ちてくる。ランドルフが懐から無理やり折り畳んだ薄い被り笠を取り出している間にも雨量は徐々に増していき、周囲の歓談などの生活音が全て優しい雨音に成り代わっていく。
大通りから外れ、貧民層の人間が身を寄せ合って暮らす集合住宅地帯に出ると途端に人の往来が少なくなった。足元の水溜まりも気にせず、ランドルフは周囲に目をやってみるのだが、今のところは例の火災の跡が全く見当たらない。
(方法は分からねぇけど、此処にいる奴が全員グルでやってんじゃねぇよな? 妬みか何かで)
とはいえ、まだ確認出来たのはほんの一部だけだ。その自論を固めるべく、ランドルフは忙しなく首を左右に動かしているのだが――どうしても視界にチラつく白い髪と、雨に濡れて僅かに黒ずんでいるように見える羽毛に包まれた腕が気になって仕方が無い。
二人きりになったせいでマゼンダの剥き出しになった太股が脳裏に過るから、では無い。マゼンダの持つ髪と翼はあの女、兄ルドルフを変えた人物と似通った特徴を持っているからだ。
他人の空似、という訳でも無い。あの女は、マゼンダの姉なのだから似た容姿をして当然であった。
あの白い姿を初めて見たのは5年前の某日。普段こそ豪胆ではあるが母の命日にはもの思いに沈む父をルドルフが揶揄い、怒り心頭に発した父から逃れようとする兄に連れられて大通りの人混みに紛れ込んだ時の事だ。
父の激情が鎮火されるまで友人の仕事の手伝いでもして時間を潰すかと会話を交わしていたのだが、不意に兄の口がだらしなく開いたまま声を発さなくなっていた。
それに疑問を持ったランドルフは兄の視線を追いかけると、少女たちが持つ白色がやけに際立っていた。
1人はランドルフと近い年頃の有翼種の少女で、人目を憚らず癇癪を起こしているのか甲高い声で喚き散らしており、意識を傾けなくとも思わず顔を顰めてしまう程の喧しい声量だった。
そして、もう一人は地団太を踏む少女より頭ひとつ背が高く、非常に良く似た容姿からして彼女の姉のようだった。勝気そうな面貌であるものの妹に向ける瞳は優しげなもので、無理に手を引こうとはせず、妹が泣き止むまで癇癪に付き合っていた。
体つきからしてまだ10代半ばにも満たないであろうが何気ないひとつひとつの仕草は大人びていて、ランドルフと頻繁に物の取り合いになり、すぐに手を出してくる兄のルドルフとはまるで大違いであった。
肝っ玉の大きい友人たちの姉とはまた別種の存在にランドルフは少しだけ白い少女に憧れを抱いたものの、ただそれだけである。特に面白いものでも無い為、ランドルフは袖を軽く引っ張り移動を再開しようとするのだが、兄はそこに留まって視線を固定したままだった。
何度呼びかけても反応を示さず、いよいよもって苛立ちが募ったランドルフが兄の尻に蹴りを叩きこんだところでようやく兄に我を取り戻させる事に成功した。
が、その後、移動に手間取ったせいで父に居場所をあっけなく発見され、その日の稽古は地獄を見た。結果的には散々な一日だとランドルフは思っていたのだが――どうやら兄にとっては大きな転機であったらしい。
初めこそ時々上の空になって、父に叱られる兄の姿を馬鹿にして面白がっていたが、それから少しずつ剣にのめり込んでいくようになった兄に対して僅かに心配を覚えた。3回に1回は稽古を抜け出すくらい奔放だった兄が毎日のように剣を振るうようになった変わりようだ。そう思うのも無理は無かった。
それとなく聞き出そうにも口が達者で無いランドルフには難しく、ただ兄の変貌を眺めるだけしか出来なかった。父に相談しようにも、どんな理由にしても稽古に身が入るようになった兄に喜びを覚える事はあれど、また粗暴な性格に立ち返る事を望む筈が無い。
次第にボロを出す事も無くなり、兄が完全に別人に変貌を遂げた頃。ランドルフは例の少女――マゼンダと再会を果たす事になる。彼女の心根は相も変わらず我が強くてお互いに反発し合ったが、馬が合うところもあるのか口喧嘩はすれど本気で距離を置こうとはランドルフもマゼンダも考えていなかった。
そして、道場の門下生に目撃されていたのか彼女との仲を曲解した噂が流れ、兄の耳にも届いたのだろう。あれから距離感が生まれ、共に何かするといった機会が稽古以外に滅法に減り、数少ない団欒の場である食事時は父に歓談は控えるよう教えられてきた。
だから稽古の合間の休憩中とはいえ、兄から話しかけてきたのは珍しい事であった。態度こそ崩さなかったランドルフだがつい気が緩み、兄の言葉に素直に耳を傾けてしまい――その内容に初めは困惑する事となった。
剣に没頭するようになった兄がまさか弟の色恋に興味を持つとは思っていなかったのだ。しかし、鬱陶しげに否定しながら会話を続けている内に兄の意図に気付いてしまった。
元はランドルフより単純だった男である。いくら取り繕ったところで生活を共にしてきた家族には通じない事もあるのだろう。
(兄ちゃん……あいつが知りたいのはオレじゃなくてマゼンダ、それもマゼンダ自身って訳でもねぇのか)
その時は曖昧にしか推し量れなかったものの、原因の一端を掴んだランドルフはそれから兄の動向を探り続け、兄の外出時には友人たちとの約束をほっぽり出してまで尾行すること、数十回。不器用なランドルフは途中で何度も兄に見つかった。
が、決して諦めず後を追い続けた事が功を奏したのか、休日に兄がある女性の許に通っている事が判明したのだ。それも面識の無い女性では無く、一度だけ見かけた白髪の有翼種の女性である。
色恋に疎いランドルフだが、遠目からでも分かる兄の浮かれ様に足繁く通う姿が容易に目に浮かんだ。いつにも増して優しげな好青年を装い、その女性から好感を得ようと必死で振る舞う兄の姿は間違いなく彼女が兄を変えた元凶であると示していた。
どうやら兄が軽く立ち寄った名目でも立てたのか、兄と彼女の談笑はそう長くは続かず、立ち話程度で解散となった。彼女の反応からして未だ兄は友人から脱却していない様子だったが、その事実などランドルフにはどうでも良かった。
兄の背中を見送っても尚、ランドルフは暫くその場から動けず、雨粒とは違う熱い滴が強張った頬、そして顎へと伝っていく感触も気にせず、みっともなく嗚咽を漏らした。
たった一人の女の存在が兄をここまで変えたのが恐ろしかったのか、兄がまるで何処かへ行ってしまったかのようで悲しかったのか、憧れであり目標でもあった兄の喪失の原因たる彼女が憎らしいのか。
胸に渦巻く感情はどれも強烈で、止め処もなく溢れだす。しかし、高がこれくらいの事で何故涙を流しているのか、と疑問を覚える自分もいた。涙など男児には恥でしかないと父に教わった筈なのに、我慢が利かなかった。
静かに一人、泣きじゃくって。
それからランドルフは母がいないのも相俟って女を嫌悪するようになり、兄の意中の人に似たマゼンダの顔を視認するだけで苛立ちを隠せなくなった。変わってしまった兄の存在など言うまでも無い。
「ねぇ、あれって……」
前を歩いていたマゼンダが急に立ち止った事でランドルフの意識が急速に現実へと引き戻された。煩わしげに舌打ちしつつもランドルフは前方を睨み付けると視界の端――集合住宅の屋根の下で雨宿りしている外套姿の男がいた。
軒下に座り込んで雨空を見上げる姿はまるで雨具を忘れて家に帰れない子供のようだった。
一年を通して殆どの期間が雨季という特殊な地域であるヌッグベスタンにおいて、雨具を常備しないなど非常識にも程がある。日々の生活から切り離せない雨を念頭に置かず、無謀にも雨が途切れるのを待ち続ける事をする者がいるとすれば、遠方からやってきてまだ日が浅い旅人か何かだろう。
フードを深く被って顔を隠してはいるが日蔭者でも、ましてや風習でそうしている訳でも無い変人。ランドルフの頭の中で該当するのは、あの男しかいない。
「あんにゃろォ……!」
取り逃がした記憶が蘇り、ランドルフの燻ぶっていた心に更なる苛立ちが投下され、瞬時に熱を帯びた。相手があの男かどうかも碌に確かめようとせず、ランドルフは男の方へと勢い良く駆け出す。
その足音に男が肩を跳ねらせ、腰を浮かせるが彼とランドルフの距離はもう1秒足らずで詰められるところまで来ている。日々の素振りによって鍛え上げられた剛腕を振り上げ、半ば倒れるように体重を乗せて拳を振るう。
「アァ?」
しかし、渾身の一撃は男の右手に容易く受け止められていた。その上、万全とは言えない姿勢で後退させるどころか仰け反らせる事すら出来ていない。
力仕事を生業にしている大人達にもその腕力は一目置かれており、浮浪者風情に凌げる筈が無いと高を括っていたランドルフには信じ難い光景だった。
「痛ぇな……隅っこでこそこそやってる連中を虐げる遊びでも流行ってんのか? いじめ、カッコワルイよ?」
「……何言ってやがんだ、てめぇ」
「そういうお前の行動原理もなかなか理解し難いと思うぞ、少年。格好悪い大人になるな、って親御さんに教わらなかったのか?
確かに今くらいの年頃だと社会から少しはみ出した無法者が格好良く見えるかもしれない。けど、悪ぶったって人様に迷惑かけるだけだしな。過激な事ばっか求める内に感覚が麻痺していくし、取り返しのつかない事も仕出かすかもしれない。
真面目に生きてきた人より魅力的って言う奴もいるけど、普通はそういったヤンチャは恥ずかしい部類に入るからな」
見当違いも甚だしい説教にランドルフは顔を顰めるが、苛立ちに身を任せたところで目の前の男に拳打を与えるのは難しいと思い知らされる。
一旦、拳を引こうにも存外男の握力が強いのかなかなか振り解けず、中途半端な体勢からローキックを仕掛けようとするも相手の足裏に膝を押さえ付けられ、行動に移す前に出端を挫かれた。それも説教の片手間に、である。
「うっせぇ! 浮浪者に近ぇてめぇに言われたかぁねぇよ! つーかいい加減手ぇ離せッ!」
「アウトローを気取った事は無いんだがな……」
もはや喚く他に手段が見当たらないランドルフだったが、あっさりと解放され目を白黒させる。何発かはやり返されるだろうと腹に力を入れて待ち構え、その隙に男の右手を振り解こうと考えていたところでこの対応だ。
ランドルフの攻撃など歯牙にもかけない態度に眼光を更に鋭くするが、男の右腕を覆った赤銅色の手甲を目にして少しだけ男の認識を改めた。職人の手によってでは無く自作によるものなのだろう、その不格好な手甲は金属製のものでは無かった。
恐らくモンスターの硬質な部位を利用しているのだと見受けられ、つまりそれは男にそれなりの戦闘経験があると判断したのだ。
「なぁ、何かお前の気に障る事したか? 若ハゲの知り合いなんていないし、露骨に髪の毛アピールもした覚えも無いしなぁ……」
「はぐらかしてんじゃねぇッ! タラタラとしたり顔で説教垂れやがるが、てめぇは人の事、言える立場かよ」
「話を逸らしたつもりは無いんだが……確かに人に説教が出来るような人格者じゃない事は認める。でも安定感のある生活が大事だって気付いた時には既に手遅れになってる事が多いらしいぞ?」
噛み合わない会話にランドルフは思わず視線を切って天を仰ぎ、声高に吠える。苛立ちを発散すべく男に噛み付いたはいいが、逆にフラストレーションばかりが溜まっていく。
言葉で相手に詰め寄るのも馬鹿らしくなり、実力行使に移ろうとしたところで横合いから伸びてきた白い腕が制止をかけた。羽毛で厚みがあるとはいえ、振り払おうと思えばそれは容易く、目障り以外の何物でも無い。
しかし、ランドルフに向けられたマゼンダの呆れ果てた顔がその衝動を押し止めた。男への憤りよりも、マゼンダに見下される事への屈辱が上回ったのだ。
「ごめんなさい。この馬鹿、短絡的な言動しか出来ないもので」
「謝罪する羽目になるの分かってたなら、殴られる前に止めてくれても良かったんじゃないか?」
「言っても聞かないので、この馬鹿は」
無理矢理に押さえつけてでも頭を下げさせようとするマゼンダに眼光を飛ばすのだが、彼女は決して譲らず険しい眼差しをランドルフに返す。
何とも見苦しい謝罪であったが男は子供相手に賠償として金銭をがめつく要求する事も、ランドルフの不当な暴行を非難する事も無く、ただ諦めたように苦笑いを浮かべてその謝罪を受け入れた。
「この向こう見ずは貴方を不審者と勘違いしたみたいで」
「不審者か……で、そいつは何を仕出かしたんだ?」
何を悠長に会話しているのか、とランドルフはマゼンダに掴みかかろうとしたところで、彼女が未だ男に対して警戒を解いていないのを目にし、喉まで出かかった言葉を飲み下した。
自分のように腕力に物を言わせて男を取り押さえるのでは無く、話術でどうにかするつもりらしい。
「例の発火事件、みたいです」
感情を押し殺したような緊迫した面持ちで、マゼンダはそう告げた。前置きも無くいきなり踏み込んだ事にランドルフは目を丸くし、マゼンダを一瞥した後、男の反応を窺った。
男が例の事件について何かしら関与しているのであれば動揺が走るだろう。過激な思考の持ち主であれば刺激された事によってマゼンダに危害を加えるかもしれない。
何にしてもランドルフは男の一挙手一投足を見逃すつもりは無かった。
「犯人、いたのか」
だがランドルフの予想に反して、男はマゼンダの発言に少々面食らっているようだった。その反応は果たして演技なのかどうか、やはりランドルフには見抜けない。
真偽の程は如何なるものか、とマゼンダの顔色を覗き見るが彼女もまた判別がつかないのだろう、片眉を跳ね上げ男を注視していた。
(犯人が『いた』……? 普通は『見つかった』って言うんじゃねぇのか?)
男の腹こそ探れそうになかったランドルフであったが、男の呟きに小さな違和感を覚えてはいた。しかし、それはあくまで小さな引っかかり。その呟きは他人に伝えるものでは無く、言外の意味などどうとでも解釈は出来る。
「犯人については……知らない様子ですね」
「あぁ、初耳だな。というか、知ってたら別の格好に着替えてるよ。あぁ、そうそう一つ聞きたい事があるんだがいいか?」
男から問われるとは思っていなかったのだろう、マゼンダは意外そうに瞬きを数回繰り返した後、首を縦に振った。腹を探られようとも特に損を被る事は無いからだ。
「その火災が起きてるのに、何で誰も逃げようとしないんだ?」
その疑問の声はただの興味本位では無く、どこか悲痛めいたものが含まれているようだった。が、マゼンダはその大真面目に尋ねた男を鼻で笑う。やはり彼はランドルフと同様に頭の出来がそう良くないのだと。
「そんなの、今の生活を手放して一からやり直すなんて考えたくも無いからですよ」
「火事で全てを失う可能性も、下手すると命を落とすとしてもか?」
「最近増えてるとはいえ所詮は他人事として見られる規模ですから。他が動かないと自分もまた動きにくいってのもありますしね。
いざ自分だけ逃げだして、その隙に他人が我が物顔でその土地に居座っていたら、なんて思うと躊躇ってしまうのもあるでしょうし」
マゼンダの見解に男は何か思うところがあるのか大きく口を開くものの、結局反論する余地が無かったらしく閉口する。
「質問はそれだけですか? 無いようでしたら、では」
男の言葉に首を捻っているランドルフを尻目にマゼンダがあっさりと男を解放してしまい、ランドルフは強い戸惑いを覚える。気がかりな点が頭から吹き飛んだ腹いせもあって、マゼンダの軽はずみな行動に噛み付こうとするのだが、有無も言わさずランドルフを近くの路地裏へと引き連れた。
「すぐに引き下がりやがって一体何のつもりだ?」
「一体何のつもり、はこっちの台詞! いきなり飛び出していったと思ったら殴りにかかるし。もし相手が懐に刃物を隠してたらどうなるか分かってんの?」
「んなもん言われなくたって分かってらぁ。刃物相手なんざ小せぇ頃から慣れてるって。それより折角あの野郎見つけたってのに何で引き下がらなきゃならねぇ?」
眦をつり上げてマゼンダに詰め寄るも彼女は呆れの色を強くして嘆息するばかりだ。その態度がますますランドルフを立腹させるのだが、マゼンダは意に介さず睨み返してくる。
「引き下がるつもりなんてサラサラ無いから。思い違いもいい加減にしてよ。っていうか、アンタが独断専行したから私もアンタを止める為に接触する羽目になったんでしょ?
あのままアンタが喧嘩腰でいても碌に情報なんて引き出せないだろうし、もし口を割ったとしてもその情報に踊らされるかもしれないし」
「そうか? 殴ってきかせた方が手っ取り早いし、嘘も吐かねぇだろ」
「これだから救いようのない馬鹿は……」
額を押さえ深く溜息を吐き出すマゼンダにランドルフは怒りを喉の奥に押し込めて話の先を促す。これだけ自分を罵倒する彼女の言い分がどんなものか、逆に耳を傾ける気になったのだ。
「あのねぇ、まず前提としてあの男は事件を引き起こしたとは確証を持ててないのは分かる? アンタ達が怪しいと睨んでるだけであって、無実だって可能性もあるんだけど?」
「まぁ、そうだな」
「で、直接話を聞かなくても尾行すれば相手がどんな事してるか分かるし、他にどんな共犯者がいるか分かるかもしれない。そんなチャンスを台無しにしようとしてまであんな愚行に走る理由がある? 無いに決まってるじゃん」
そこまで言い聞かされてランドルフは唖然とする他になかった。頭に血が上ると視界が狭まると理解しているつもりであったが、ここまで駄目になるとは思いもしなかったのだ。
今更後悔してももう遅い。かといってマゼンダに感謝する事も、素直に頭を下げる事も自分の自尊心が邪魔をして出来そうにも無かった。
「こうやって立ち去る振りをしたけど、アンタも私も目立つ容姿してるからね。尾行がバレやすくなったし、それを誤魔化すのも難しくなったのはホントないわ。
まぁやるしかないんだけどさぁ……」
これ以上不満をぶつけたところでランドルフが素直に聞き入れてくれるとは考えられなかったのだろう、マゼンダは大きく息を吐き出して言葉を切った。それからランドルフの悔しげな顔に向けてわざとらしく嘲笑してみせた後、物陰から男の動向を窺いに行った。
「ケッ」
流石のランドルフでも嫌味たらしい笑みを敢えて見せつけてきたのだと理解し、悪態は吐かなかった。これ以上マゼンダに突っ掛かっては男を見失う恐れがあり、また自分だけ気持ちを切り替えられないのは無性に恥ずかしい。
深呼吸を何度か行って気持ちをある程度静めると、マゼンダにゆっくりと足を向かわせながらもう一度男の発言に盲点が無かったか確認する事にした。
(あの野郎は余所から来たくせに、やけに例の事件に興味持ってねぇか? 他人事だからこそ気楽に考えてるっつうのもあるかもしんねぇが、本当にそれだけか?
オレに殴られても全く怒りもしねぇってのもボロを出さない為か? 最後に聞いた言葉はオレ達への忠告か何かか? 火事場泥棒にしちゃあ派手にやらかし過ぎだしなぁ。しっかし、オレ等を追い出して得する奴なんて誰がいる?)
うんうんと静かに唸りながらマゼンダの背中に張り付くようにして男の尾行を開始するのだが。放火の実行日で無かったのか、男は気の赴くままに散策しているようだった。しかし、それは下見だと勘付かれぬ為のカムフラージュとも考えられ、ランドルフとマゼンダは気を緩めぬよう追跡を続けていた。
が、その日は苦労した甲斐が無く、結局碌な収穫も得られぬまま男が安宿に入ったのを見届けてから解散となった。
そうして男の監視中に何も起こらなかった事でランドルフは心のどこかで楽観視していたところがあったのだろう。男の警告など半ば戯言だと片付けておきながら、やはりこの火災を他人事と見ていたのかもしれない。
翌日、集合場所である輸送機器の発着場前にまたも皆より遅れて到着したランドルフだったが。
「ん……?」
昨日とは打って変わって妙に物静かな彼らを目にしてランドルフはいつもの仏頂面を引っ込めると小走りで彼らの許へと駆け寄っていく。特にあのゼルガディスが口を閉じたきり、というのがランドルフの不安を煽った。
「なにか、あったのか?」
焦燥を出来る限り押し隠した声でランドルフが問いかけるものの、返ってきたのは沈黙。マゼンダこそランドルフに鋭い眼差しを向けていたが、そこから止め処なく流れている涙のせいで常日頃のものより気迫が無かった。
流石にその面様に張り合いなど無く、ランドルフは居心地の悪さに固く口を結んだ。
「何があった?」
しかし、黙視していられる程ランドルフは堪え性がある訳でも無く、視線をゼルガディスに移してそう尋ねる。表面上であろうともゼルガディスが一番平静に近く、またランドルフの心情的にも彼ならば気後れしない。
「あんまマゼンダ達を刺激しないで欲しかったんけど、知らないんじゃしゃあねぇか」
「いいから、さっさと教えてくれ」
急かすランドルフに躊躇する素振りを見せたゼルガディスだったが、大きく息を吐き出した後、こう告げた。
「例の火災で、ついに人が亡くなった」