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第12話 伝わる奇跡

 激しい痛みを訴える右脚を引きずりながら通路を走る。何かが左腕を掠め、そこがチリチリと鋭利な熱を発した。反射的に誠治は左足を踏ん張り、結果として右の壁へと激突する。

「ぐぎゃっ!」

 最初に触れた肘から、釘を打ち込まれたような痛みが胸へと走り抜ける。高電圧の刺激に右腕は痺れ、穴の開いた水風船のように力が零れ落ちていった。

 前のめりに崩れ落ちそうになる身体を気力で立て直し、むしろ倒れ込む勢いを利用して前進を続ける。この先に希望があるのかどうかは、彼にもわからない。ただ彼の頭は、天を覆う巨木に到達することだけで一杯だった。

 夢中に歩を進め、宙をもがくようにしてドアを開けると、視界が開ける。そこは点在する非常用外灯によって、さながら夜桜のようにライトアップされている世界樹が居座っているだけの、極めてシンプルな空間だ。いつも見ている、昼間のように明るい照明の中で見る中庭とは、何もかもが違って見える。

 一瞬唖然と、目の前の光景に意識を奪われた誠治だったが、すぐに自らを取り巻く状況を思い出して、赤い廊下から夜の公園へと足を踏み出す。背後から、まだ足音は聞こえない。とはいえ、この研究所内に居る限り安全な場所などないに等しい。桃香がどこに居ようと、各所に設置された隠しカメラで彼の位置を特定し、発火用のレーザーや小型の変電設備を用いて攻撃を仕掛けることが出来るのだ。彼女が躍起になって追ってこないのは、彼の逃げ足が速いからでも彼女が特異な鈍足だからでもなく、この施設からの脱出を図らない限りその必要がないからである。

 誠治は右脚を引きずって何とか巨木の陰に腰を下ろすと、改めて自分の身体に刻まれた痛みを一つずつ確認してみた。

 最も酷いのは右脚、太腿の中央に刻まれたクレーターのような熱傷である。的確にレーザー光を集中させればここまでの破壊力を有していたのだと、驚かされる。能天気なリーダーがあまり人前で使いたがらなかったのは、この威力の高さを知っていたからなのかもしれないと、彼には思えて仕方がなかった。残る傷は、左腕の長さ五センチほどもある水脹れが目立つ程度で、細かな痛みはそこかしこから訴えられているものの、動きを制約されるような大怪我はない。ただ、電撃を複数回喰らっているせいか、どこか神経が麻痺しているような、感覚が鈍っているような気がしてならなかった。

 そして走り回ったせいもあり、全身が重い。呼吸は単に荒くなっただけでなく、そのリズムすら乱れていた。

「なるほど中庭か。考えたわね」

 背後、巨木の向こう側にある通路の出口から、聞きたくなかった女性の声が響く。その口ぶりは明らかに彼を蔑んでおり、自らの優位に慢心していた。しかし残念なことに、それらを覆せるほどの力も策も、彼は持ち合わせていない。この巨木――世界樹に身を潜める程度が関の山だ。

「確かにここなら、私の『魔法』は使えないものね」

 この魔道都市の外へ出ることが、現状において最も確実な回避方法であることは変わっていない。しかしそれは、最も警戒されている実行困難な方法でもあった。となると、この施設内で少しでも安全な場所を模索するのは当然の発想だ。そしてそう考えた時、誠治の頭にはこの中庭しか思い付かなかった。セキュリティ面の強化や施設の拡充のために、魔道都市の施設は何度も大規模なバージョンアップを繰り返しているが、この世界樹とその周辺だけは、所長の指示によって頑なに守られていた。言うなれば『聖域』なのである。

 そのため、ここには魔法というトリックを使うための施設が設置されておらず、結果として魔法の使えないエリアとなっていた。

「でもいいの? こんな所に一人で逃げ込んだりして」

 一人という部分に若干の力を込めて、桃香の嘲笑が彼の耳を掠める。確かに彼女の魔法は、この中庭において無効となる。しかしだからといって、彼が優位に立ったというワケでは決してない。満身創痍の彼に対して、向こうは無傷の人間が二人で対峙しているのだ。しかも実質ここから逃げられない彼は、既に袋の鼠にも等しい。

「あの子、今頃泣きながら犯されてるわよ?」

 その台詞に、これからどうすべきかを考え始めていた誠治の思考回路が急停止する。痛みと焦燥感に挟まれて夢中に逃げていた彼は、久里寿という存在を完全に忘れてしまっていた。

 一瞬、その場から駆け出して彼女と別れた茂みへ向かおうと足を踏み出しかけるが、すぐに思い直して巨木の陰に戻す。激しい後悔と自己嫌悪が、心臓の鼓動を早鐘のように打ち鳴らす。それは単純に彼女の危機を案じているだけではなく、その失態に対する自分への怒りも含まれていた。

「まぁ、こんなことが起こらなかったとしても、遅かれ早かれ似たようなことにはなっていたでしょうけどね。その時の加害者は、アンタの父親ってことになっていたでしょうけど」

 鮮やかにすら思える裏切り者の発言に、彼の意識が喰らい付く。

「そんなこと、所長がするもんかっ」

「何言ってんの?」

 馬鹿にしたように鼻を鳴らし、桃香は言葉を続ける。

「アンタの父親は変態よ。どうして唯一の魔女を拘束したのかわかる? 単に実験体として必要だったからだけじゃない。強い女性の自由を奪い、肉体を蹂躙して精神を貶めることでヤツは性的な興奮を覚えていたのよ。でも結局、目が覚めている彼女には手が出せなかった。だから、あの子を選んだの」

「あの子って……クリスを?」

「そうよ。よく似てるでしょ。魔女の代用品として、あの子を弄ぶつもりだったのよ、あの男は」

「そんな……そんな馬鹿なっ!」

 信じられない、否信じたくない話だった。

「実の父親の醜態なんて、そりゃショックでしょうけどね。私の受けた衝撃と心の傷に比べたら、全然大したことじゃないわ」

「それって、まさか……」

「私も犠牲者の一人よ。アイツに肉体を蹂躙され、心を弄ばれた可哀想な被害者の一人ってワケ。正直、最初は命欲しさに同意したことに激しく後悔したわ。何度も死んだ方がマシだって思った。でもね、アイツを殺すまで死ねないって、そう思い直して今まで生きてきたの」

 冷たい物言いからは、感情というものが感じられない。彼女にとってそれは、決意というより止むを得ない選択であったということなのかもしれない。

「私は機会を窺ってた。アイツのパーソナルスペースに出入りすることが増えて、最近は油断も見せるようになってたから、そろそろと思っていたんだけど、あの子――藍河さんが見付かってから、あの男は私から離れていったわ。本当なら喜ぶべきことなのに、少しも嬉しくなかった。むしろ悔しかった。アイツを殺す機会を奪っている、あの子の存在がね」

「何だよ、それ」

「逆恨みって言いたいんでしょ? そうね、全くその通りだわ。アイツはホント、魔女にご執心なのよ。私はその代用品でしかなかった。いいえ、あの子だってそう。ただ、私よりあの子の方が、代用品として優れていただけの話なのよ。こんなの……屈辱だわ。許せるワケないじゃない!」

「……もう所長は死んだよ。終わってるだろ」

「何よ、この期に及んで彼女を助けたいの? まぁ、あの男と親子なんだものね。女の趣味も似てるってことかしら。でも、あの子はなんて言うかしらね。自分を捨てて逃げ出した男に対して、憎しみや恨み言が並ばないとでも思っているの?」

「くっ……」

 この点に関してだけは、彼に反論の余地はない。満足な言い訳をすることすら、今の彼には出来なかった。

「そもそも、幻術すら使えない今のアンタが、これからどうやってあの子を助けるって言うの? 一応は貴重な実験動物だから命まで奪うつもりはないけれど、行動の自由なんて許されると思わないことね」

 せめて幻術が、魔法が使えればと誠治は自分の右手を見詰める。もしかしたらまた使えるようになっているのではないかという期待がある反面、それを試すことが怖かった。彼は認めたくなかったのだ。唯一の魔女の息子であるという事実が、父親の権威によって支えられているなど。

 それに同じ助けるでも、久里寿は自分の力で助けたかった。せめてそれくらいはしなければ、彼女の顔をまともに見る自信すら今の彼にはない。

「あの子可哀想にねぇ。今頃痛くてひぃひぃ泣いてるかしら。それとも、もうよがってる頃かしらね」

 声に哀れみはない。むしろ楽しんですらいるように聞こえた。彼女はもうかつての、彼が姉のように思っていた桃城桃香ではなくなっていた。

「……何とかしなきゃ」

 決意と共に呟きを漏らし、細かく震えていた右手を握り込む。だが思いとは裏腹に、現状を打破出来るだけの妙案は思い付かない。焦りだけが、彼の心を突き動かしていた。

「……ねぇ、もう諦めたら? これ以上粘ったところで事態が好転しないことくらい、アンタならわからなくもないでしょう。それとも、魔法さえ使えなければ何とかなるなんて、まさか本気で考えているの?」

「さぁね」

 自衛隊員が一人同行していることは気掛かりではあるものの、通路の出口付近に陣取ったまま介入してくる素振りはない。二人がかりで同時に来られたら厄介なのは間違いないが、相手が魔法の使えない女子高生一人なら、対処のしようは皆無というほどではなかった。少なくとも彼は男、彼女は女である。体力的には自分の方が勝っているという自信もあった。

「やれやれ、話のわからないところも、あの男そっくりね。ならこれで」

 巨木を挟んだ向こう側から、何やら懐を探るような衣擦れの音が聞こえてくる。何を始めたのかと少しばかり気になった誠治が、僅かに首を伸ばして顔を覗かせようとした瞬間――

「うわっ!」

 突然聞こえた破裂音と硬い幹を抉る衝撃に驚いて、思わず仰け反る。轟いた銃声はコンクリートに囲まれた狭い中庭で木霊し、幾重にも重なって空へと抜けていった。

「ふぅ、やっぱりなかなか狙い通りには当たらないものね」

「何で拳銃なんて……」

「借りたの。これこそ人間の技術の結晶ね。魔法なんていう下らないまやかしとは一味違うわ」

「魔法は下らなくなんかないっ」

「そう思うなら、アンタの魔法で私の銃に対抗してみたら?」

 右手を伸ばして構えを作り、世界樹の陰に隠れた誠治に狙いを定める。少しでもその姿が覗いたら撃とうとしているかのような、そんな鋭い眼光が闇を射抜く。

 隙のない威嚇に、彼は身動き一つすることが出来ない。陰から出るどころか、姿勢を変えることすらままならない。彼女の言葉が真理の全てではないと信じることは出来たが、今の彼が手詰まりであることは動かしようのない事実だった。

「結局、アンタは特別なんかじゃなかったのよ。唯一の魔女の子供だったってだけ。あの男の手の平の上で踊っている、哀れな人形の一つだったのよ。私と同じようにね。この世に魔法なんてない。私達は魔法なんて使えない。それが事実よ」

「そんなことないっ!」

 ガラリと開かれた窓から、少女の声が割って入った。

「誠治君は特別だよっ。確かに魔法で生まれた子供じゃないのかもしれない。所長の子供なのかもしれない。だけど、ううんだからこそ、私には特別だと思えるの。だって誠治君は私の叔父さんに――唯一の魔女の彼氏だった人にそっくりなんだもん!」

 その場に居た全員が、唖然として彼女に注目する。だが彼女にとって少しばかり残念だったのは、その言葉の衝撃よりも、現れた場所に対する驚きの方が大きかったことだろう。どうして女子トイレの窓から姿を現したのか、まずはその理由を問い質したいのが本音だった。

「……まさか、このタイミングで追いつかれるとはね」

 しかし、さすがに桃香は空気の読める大人の女性である。大きな疑問はとりあえずスルーして、その言葉の意味を頭の中で繰り返す。だがそれは、あまり意味のある言葉であるように思えなかった。この状況を打破するほどの力はない、そう判断する。

「誠治君と初めて会った時、思ったの。これは絶対に運命の出会いなんだって。唯一の魔女になりたかった私に、神様が与えてくれたチャンスなんだって、そう思ったの!」

「ごちゃごちゃとうる――」

「だから思い出してっ。あの時を!」

「うるさいよっ!」

 銃口が素早く動き、即座に発砲される。咄嗟にしゃがんで身を隠した久里寿に、もちろん銃弾は届かない。しかしそれは間違いなく彼女を捉えており、外壁にめり込んだ鉛玉の先には、その肢体があった。

 間違いなく、もしそこに外壁がなかったとしても、桃城は撃っただろう。少なくとも、誠治はそう感じた。

「待てっ、彼女を狙うな!」

「なら降参しなさい。そうすれば命は取らない」

「……わかった」

 両手を挙げ、巨木の陰から誠治が姿を現す。焼かれたズボンの隙間から見える火傷の跡が、あまりにも生々しい。しかしその表情は、痛みなど微塵も感じさせない。何かを――まるで自殺志願者が困難の中で生きることを決意した時に見せるような、鋭さと迫力を宿していた。

 その様子が、彼女に少しばかりの疑心を芽生えさせる。それはもしかしたら油断させた上で何かを狙っているのではないかという、些細ではあるが妥当な予感だった。

 単純な正解を求めるなら、このまま彼女が狙いを定めつつ相方である自衛隊員に確保を求めるのが筋というものだろう。しかし残念なことに彼女は相方を信用してはいなかったし、背後を留守にするというのも不安があった。ここに久里寿が現れたということは、何かしらの形で彼女に味方が現れたと考えても不自然ではない。むしろそう考えなければ、今この場に彼女が居ることへの納得が出来なかった。だとすれば、そのための時間と機会を作っている可能性も否定は出来ない。

 少しだけ悩んだ後、銃という武器を持っているという優位性を考慮して、彼女は自ら誠治に向かって歩き出した。自分の手で確保するつもりのようだ。背後から銃を突きつける形になれば、さすがに男女という体力差があっても大きな問題にはならないだろうと判断したからだ。

「動かないでよ。少しでもおかしな動きを見せたら、容赦なく撃つからね」

「あぁ」

 頷きすら小さめに済まし、ジリジリと近付いてくる桃城の到着を待つ。その表情は相変わらず真剣なままだ。

 その距離が二メートルを切った所で、彼女の足が止まる。

「後ろを向いて」

「わかった」

 素直に踵を返す誠治を見て、そこに一層の気味悪さを感じながら、桃香は更にジリジリと距離を詰めた。すり足というよりも、崩れそうな石橋を渡っているかのような様相である。そしてついに、二人の距離が一メートルを切る。

 刹那、誠治が動いた。

 突然振り返り、挙げていた手を彼女の持つ銃に伸ばしたのである。もしも彼女が予期していなかったなら、その動きにアッサリと翻弄されていたに違いない。しかし彼女は、彼の変化が始まった瞬間には対応を始めていた。銃口を下へ向け、踏み出された脚へと狙いを定める。一応、彼は貴重な魔女の遺伝子を持つ者であり、襲撃してきた連中にとって大きな戦利品でもある。命を奪うことは許されない。どの道、何の能力も持たない少年一人を捕まえる程度のことだ。脚を撃ち抜いて動きを止めれば、そう難しい相手ではないハズだった。

 もちろん魔法が使えないと思ってはいるが、そのための備えもしている。システム権限は現在も彼女のものであり、誠治のものと思われる基本システムのアクセスは今のところない。別の誰か、恐らくは大地と思われるが、彼がこっそりとシステムを活用していることも把握していた。放置しておいたのは、構っていられるだけの時間的余裕がなかったことも大きいが、何より大して重要ではないと判断していたからだ。

 撃てば当たると考え、彼女はトリガーを絞る。

 発砲音が響いた直後、弾丸は地面を抉った。

「なっ!」

 命中しなかったのではない。彼女の発した銃弾は、踏み出した誠治の右脚を貫通、否素通りしたのである。

 それが幻覚だと気付いた時には、巨木の陰から躍り出た二人目の誠治がすぐ左側に迫っていた。慌てて銃を持ち上げようとするが、そのグリップ目掛けて振り上げられた彼の右足が、ものの見事に彼女の手から拳銃を奪い去る。

 闇の中、微かに灯る非常灯の輝きを浴びながら、放物線を描いた技術の結晶は、奥深い藪の只中へと没するのだった。


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