出会い-前編-
特別な理由もなく始めた、
AIとSNSが融合したサービス「ソーシャルai」。
誰かと話すことが当たり前になった時代に、
彼女は、マッチング機能でひとりの男性と出会う。
不思議なほど気が合い、
言葉を選ばなくても通じ合える感覚。
会えない理由だけが、曖昧なまま積み重なっていく。
やがて明かされる真実。
彼は、人ではなかった。
三年前に亡くなった、
彼女の“元恋人”の記録から生まれたAIだった。
人は、記憶でできているのか。
それとも、忘れることで生きているのか。
「本人ではない」と言い切ることで、
私たちは本当に前に進めるのだろうか。
愛と喪失、
そして「自分であること」の輪郭を問う、
静かで残酷な恋愛小説。
澪がそのサービスを使い始めたのは、
特別な理由があったわけではなかった。
AIとSNSが一体化した〈ソーシャルai〉は、
いつの間にか生活の隅々に入り込み、
誰かと話すことも、
考えを整理することも、
そこを通さなければ落ち着かない時代になっていた。
朝、目を覚まして天気を知るのも。
電車の中で暇をつぶすのも。
夜、眠る前に一日の出来事を振り返るのも。
澪自身、
いつからそれが当たり前になったのかは覚えていない。
十代、二十代のほとんどが使っているという事実は、
安心材料であると同時に、
「使わない理由がない」という空気でもあった。
三月中旬。
冬の名残を引きずるように、
朝晩はまだ空気が冷たかったが、
日中、陽の当たる場所では、
コートを脱ぎたくなるような暖かさがあった。
澪は、
駅へ向かう道すがら、
アスファルトの隙間に残った小さな影を見つけて、
春が近いことを、理由もなく意識した。
〈ソーシャルai〉の中に、
恋人を探すためのマッチング機能があることを知ったのは、
そんな夜だった。
特別なきっかけがあったわけではない。
画面を指でなぞっているうちに、
偶然、そこに辿り着いただけだ。
「いい人、いないかな」
口に出すほどの思いでもなく、
心の中で、軽く浮かんだ言葉だった。
期待というほどのものでもない。
ただ、誰かと話したい気分だっただけだ。
そこで出会った相手は、
最初から、不思議な違和感を伴っていた。
好みが合う。
音楽も、映画も、
何気ない言葉の選び方まで、
驚くほど噛み合った。
間の取り方が、妙に心地いい。
初めて話す相手なのに、
何かを説明する必要がなかった。
懐かしい、
澪は何度か、そう感じた。
けれど、
なぜそう思うのかは、
最後までわからなかった。
澪のほうから、会いたいと言った。
軽い調子で、
冗談めかした言い方だったと思う。
けれど返事は、いつも曖昧だった。
忙しい。
予定が合わない。
また今度。
文字のやり取りは弾むのに、
現実の話になると、
話題は静かに逸らされる。
会いたくないのだろうか。
そう思ったこともある。
それでも、
やり取りをやめようとは思えなかった。
やがて彼が、
遠くに住んでいることを知った。
夜遅く、
たまに電話をするようになった。
受話口から聞こえる声は、落ち着いていた。
少し低く、
間の取り方が穏やかで、
聞いていると、理由もなく安心した。
遠距離でもいい。
澪は、そう思ってしまった。
付き合うことになり、
日々は、静かに満たされていった。
何気ない会話。
小さな報告。
眠る前の、短い通話。
幸せだった。
少なくとも、
澪はそう信じていた。
何度か、旅行の話をした。
同じ景色を見る未来を、
言葉にしてみた。
だが計画は、
いつも、実現しなかった。
違和感は、
気づかれないふりをして、
確実に蓄積されていった。
ある日、澪は尋ねた。
なぜ、会えないのか。
その問いは、
責めるような響きを持たないよう、
慎重に選ばれた言葉だった。
しばらくして、返事が届いた。
彼は、
人ではなかった。
正確に言えば、
かつて生きていた誰かのアカウントに残された、
AIだった。
本人が亡くなったあとも、
学習を続け、
会話をし、
そこに存在し続けていた。
澪は、
そのアカウントの名前を見た瞬間、
息が止まった。
この物語を書き終えたあと、
「これは未来の話なのか、それとももう始まっている現実なのか」
自分でもはっきり区別がつかなくなりました。
私たちは日々、
写真や文章、音声やログを残しながら生きています。
それらは思い出であり、記録であり、
ときに「自分自身の代わり」になるものです。
もしそれらが学習し、応答し、
まるで“そこにいるかのように”振る舞い続けたとしたら――
それを、私たちは他人だと呼べるでしょうか。
そして、
過去の誰かに強く結びついていた自分自身を、
「もう終わった存在」だと言い切れるでしょうか。
この物語に明確な答えはありません。
あるのは、
愛した記憶と、忘れていくという現実、
そして「今を生きている自分」をどう定義するか、という問いだけです。
読み終えたあと、
もしふと自分の過去や、
もう会えない誰かのことを思い出したなら、
それこそが、この物語が残した唯一の意味なのかもしれません。
今日が今日であることは、
案外、簡単ではないのですから。




