魔王と勇者と異世界ヒトモドキ
玉座の間に死の静寂が満ちていた。満身創痍の勇者は、折れかけた聖剣を杖代わりに、目の前に座す魔王を見据えた。背後には同じく疲弊した仲間の戦士と、祈りの言葉を失った僧侶が控えている。
「ようやく……ようやくここまで来たぞ、魔王!」
勇者の叫びに、禍々しい黒い髪を持つ絶世の美女――魔王は、くすりと口角を上げた。そして、彼女の口から漏れたのは、この世界の言語ではなかった。
「――お疲れ様。ここまで来るのは、大変だったでしょう?」
勇者の身体が凍り付いた。今、彼女は何と言った?その響きは、この世界の共通語ではない。勇者がかつて、この世界に召喚される前に使い、今では夢でしか聞くことができない故郷の言葉。
「な……日本語……?」
「ええ。私も驚いたわ。今回の勇者も、私と同じ……日本から攫われてきた『人間』だったなんてね」
魔王は優雅に立ち上がり、勇者へと歩み寄る。
背後で戦士が「勇者よ、何をボサッとしている、早く斬れ!」と叫ぶが、その言葉は勇者の耳には入らない。仲間の言葉が、今はひどく野蛮で、意味を持たないノイズのように感じられた。
「話し合いましょう。私は同郷の人間を殺したくない。……提案があるの」
魔王は静かな、慈しむような声で告げた。
「あなたが武器を収めるなら、私はあなたを傷つけない。……もちろん、後ろにいる『それら』はすべて殺すけれど。その後は、私の国で一緒に過ごさない?魔の国は人間が思うほど地獄じゃないわ。魔力による高度な文明、不老に近い寿命、身勝手な召喚で私たちを弄ぶ連中から解放された、本当の自由がある」
「ふざけるな!」
勇者は震える手で聖剣を握り直した。
「俺には、帰る場所があるんだ!この戦いが終わったら、俺は国に戻る。……王都で待っている魔法使いのお腹には、俺との子供がいるんだ。俺はこの世界で幸せに暮らすんだよ!」
その言葉を聞いた瞬間、魔王の表情が劇的に変わった。
同情、驚愕――耐えきれないといった、悲しげな表情。
「……子供?今、子供と言ったの?」
「何がおかしい!」
「……本気で言っているのなら、あまりに悲劇だわ。勇者、教えてあげる。――この世界で、私たち人間が、彼らと子供を作ることは不可能なのよ」
勇者の思考が停止する。
後ろから戦士が割って入り、勇者の肩を掴んだ。
「おい、魔王と話すな!たぶらかされるぞ!勇者、しっかりしろ!」
魔王は冷ややかな目で戦士を見下ろし、再び日本語で勇者に語り掛けた。
「『収斂進化』という言葉を知っているかしら?環境が似ていれば、全く別の種族でも似た姿に進化する現象のことよ。勇者、ここは魔法なんてオカルトが存在する異世界よ?どうして目の前の連中が自分と同じ『人間』だと思い込んだの?」
「何を……何を言っている……俺たちは、人間だ……!」
「そうね、私たちは人間よ。でも、彼らは異世界ヒトモドキ。見た目が似ているだけの、全く別の生物よ。染色体の数も、祖先も違う。交配なんてできるはずがないわ」
勇者の脳裏に、王都で別れた恋人の顔が浮かぶ。
「でも、彼女は確かに身籠っていた!俺との子だ!」 「私の配下にずっと監視させていたの。……勇者、あなたの知らないところで、その戦士と魔法使いは随分と懇ろだった、そう報告を受けているわ。あのメスは異世界から来た『便利な兵器』であるあなたを繋ぎ止めるための、ただの首輪だったのよ。まあ、自分の役目すら最後まで果たせない欠陥品だったみたいですけどね」
勇者の視界がぐにゃりと歪んだ。 戦士が、僧侶が、自分を見る目が、かつての信頼ではなく、道具か魔物かを見るような、冷徹な色を帯びているように見えた。
「嘘だ……嘘だ……!」 「嘘じゃないわ。そもそも、この世界のヒトモドキたちは皆、私たち人間が別の生き物だって事実を知っている。知らないのは、何も教えられずに戦わされている勇者だけ」
魔王は憎しみを込めて吐き捨てた。
「私もね、あなたと同じだった。日本で大切な人がいた。それなのに、無理やりこの世界に略取され、そのヒトモドキたちに聖女として祭り上げられ、挙句の果てにボロボロに使い潰された。……だから決めたの。二度と同じ目に遭う『人間』が現れないように、この世界のヒトモドキを根絶やしにしてやるって」
魔王の瞳は、勇者と同じ、黒く染まっていた。背後では、戦士と僧侶が武器を構え直している。もはや、彼らの鳴き声は理解できないが、その武器の切っ先は魔王を向いているのだろうか、自分を向いているのだろうか。
「さあ、人間同士仲良くしましょう」
魔王が手を差し伸べる。勇者が握っていた金属の塊が、崩れるように折れた。




