訓練
冀の夜は乾いている。
天幕の外で犬が二声吠え、また静まった。
卓上の布帛に描かれた地図には河と峠、それから渡渉点に赤い点がいくつか打ってある。
火が揺れ、影が線を伸ばす。
(拙速は禁物だ。だが機は熟しつつある)
鞍と鐙は自分の身で効験を示した。
次は制度として根づかせる番だ。
工と資、そして名分。
名分については思いのほか障りが少ない。
父、馬騰は李傕より安狄将軍の号を送られたが、いま李傕は郭汜と内訌の最中でこちらへ干渉する手も眼も持たぬ。
安狄の印は慰撫の飾り、逆に言えばこちらの裁量は広い。
さらには逃亡した太守の印綬を接収して漢陽太守を自称し郡中の事も断じている。
自分は父により軍司馬、さらに先の戦の功績を持って冀の県令も併せて拝命する。
軍具は将軍の、工房・徴買は県の権限で押し通せる。
中央の顔色を窺う必要は、当座ない。
(ならば段取りを詰める)
まずは工。
革は市から正価買上げ、職人に深鞍の寸法を覚えさせる。
鐙は木枠に革を巻いて先行、口金の鉄は鍛冶の余力で徐々に金属化する。
胸繋・尻綱を標準にして鞍ズレを断つ。
十日で百鞍——この辺りが現実的な線か。
同時に矛から槍へ。
これまでの主流は刃幅の広い矛で、払いや引き崩しに長ける。
だが鐙があれば、支点が増え、刺突を連ねられる。
槍の柄は楡の木、長さは人の丈よりすこし長い一丈弱を基準に、穂は筒差しで交換を容易にする。
重心は手元寄り、刺して抜き、すぐ次の刺突へ移るためだ。
穂形は二種——鎧の継ぎ目を裂く細身(細葉)と、軽装や馬体に効く広葉。
羽色で区別して袋ごとに配す。
さらに槍帯を用意する。
胸から肩へ回す革を幾筋か試し、馬が衝撃を受けても肩を支えられる角度を探る。
鐙を深く踏み、腰を沈め、肩で受けて腕で導く——払う武から、貫く武へ。
(弓も進める。当座と中期、二本立てだ)
当座は弦と鏃と羽の規格統一。細矢・重矢を羽色で分け、号令で弾種を切り替えられるようにする。
中期は匈奴や鮮卑式の複合弓。
馬上で扱いやすく、力の効率が優れているため短くもしやすい反りを加えた弓となる。
角・筋・木を重ね、膠で練る。
湿と温を喰う仕事で、一張ごとに月を要すが、射程と初速は必ず牙となる。
欲を言えば照準や安定器、補正器も付けたいがこの時代の技術では歩留まりが下がり故障率も上がるのが難点だろう。
人を遣って匈奴か鮮卑の弓工を口利きしてもらう。
冀の外れに乾燥棚と土壁の小屋をこしらえ、一本ずつ記名して寝かす。
半年後に百張、まずは羌・氐の弓騎へ。
(訓練は型と順)
個の基礎は毎朝——鐙の踏み、重心の遷し、落馬回避と再騎乗。
槍は十五呼吸で座乗から半立、刺突、引抜、再刺突の型を刻む。
弓は駆動の輪射、速射三つで離脱。
伍・隊の動きも定める。
列縦から横列、楔形への変換を十五呼吸に収める。
偽装退却は追わせる距離と反転の合図を定数化して、統制崩れと紙一重の綱をこちらのものにする。
旗・鼓角の語彙は混ぜない。
赤は突入、青は遮断、黒は反転、白は集合。
鼓は二短を前進、長を止、短長を退。
言葉は三つ四つ混じるが、合図はひとつでよい。
段階線は地名で共有、「塩丘」「浅瀬」「楡林」……そこまでは撃たず、そこからは走る。
誰が聞いても同じ意味になるように。
(兵站は明日の足だ)
追撃群には交代馬を各騎二頭。
水と飼葉の地点を地図に落とし、獣医の育成も必要だろう。
携行は鞍鞄に予備弦・釘・蹄油・水袋、総重量は馬体重の二割以内。
重装は打撃群のみ、追撃は軽装を厳守。
(名分は、父の名で立てる。功は父へ、過は自分へ)
古参の面子は立てねばならぬ。
軍議で百騎試用として上げ、査閲は父の前でやる。
羌・氐からの徴発は避け、市から買う。
中央は内訌で忙しい、ならばいまのうちに刃を鍛える。
曹操が進出してくるまで干渉は来ない、来られない。
この余白を埋める者が、のちの形を決める。
(矛の時代に槍を通す。払う戦いから、突く戦いへ。鐙はその礎だ)
燭の芯を指でつまみ、火を落とす。冀の夜気がひやりと肌を撫でた。
明朝、冀の政庁に顔を出し吏に職人と材の手配を任せる。
鞍は十日で百、槍も十日で百五十。複合弓は半年先の牙、当面は単弓で賄うしかない。
天幕の口を押し上げると、星が乾いた空に近かった。
(羌も氐も漢も、馬上で同じ型を刻ませる。血は違えど、動きは揃う。——それが軍になる)
◇◇◇
朝靄の中、冀の西門を出た荒地に、百騎の兵が列をなしていた。
甲冑はまちまち、顔立ちも漢・羌・氐と入り交じる。
言葉も訛りが濃く、互いに通じぬものもある。
だが、鞍と鐙を備えた馬具は皆ひとしく新しい光を放っていた。
馬超は愛馬の背に跨り、鐙を踏みしめて一歩前に出る。
「今日より、この百騎は同じ技を学ぶ。羌も氐も漢も関わらぬ。馬の上では皆、馬家の兵だ」
歓声が応じた。羌の若者が槍を掲げ、氐の弓手が笑みを浮かべ、漢人の兵たちも声を合わせた。
その気配を読み取りながら、馬超は声を張った。
「令明、徳巌!」
二人が馬を進める。
「若、ご下知を。百騎の眼は皆あなたを見ておりますぞ」
「従兄上、まずは型をお見せください」
龐徳は武骨な声で応じ、馬岱は笑みを浮かべた。
馬超は槍を構えた。
「見よ!」
鐙を踏み込み、腰を沈め、馬を駆る。風を裂く突進から木製の的に槍をまっすぐ突き出す。
——矛ならば体が浮き、勢いを殺しただろう。だが槍は違う。鐙が全身を支え、刺突はそのまま敵へ伝わる。
馬体の反動に合わせて槍を抜き、再び突き込む。十五呼吸のうちに三度の刺突。
兵たちがどよめく。
「矛とは違うぞ……」
「速い、抜いてまた突いている!」
馬超は槍を掲げた。
「これが鐙と槍の力だ!払う武から、貫く武へ。まずはこれを叩き込む!」
龐徳が即座に動いた。
「伍長、前へ!一人ずつ、鐙を踏み、槍を突け。十五呼吸で三突きだ!」
馬岱は後方で羌と氐の兵をまとめ、言葉がおぼつかない者には通訳を配して動作を示す。
訓練はぎこちなく始まった。
ある羌の若者は槍を引き抜けず、落馬しかけた。
馬岱が駆け寄り、笑って肩を叩く。
「腰を返せ。脚は鐙、腕は軽く。槍は重さに任せて走らせろ」
別の漢人兵は鐙に足を深く入れすぎ、振り落とされそうになる。龐徳が怒声を飛ばした。
「抜けぬ足は死を呼ぶ!かかとを抜けるように、足首は緩めろ!」
次第に、刺突の型が列の端から端へと揃いはじめる。
槍先が一斉に突き出され、朝靄を裂いた。
その響きは、ただの兵の集まりが「軍」となり始めた証のようだった。
馬超は槍を掲げ、声を張る。
「次は隊形変化だ!列縦から横列、横列から楔形へ——十五呼吸でやれ!」
鼓が鳴る。赤旗が翻る。
兵たちは戸惑いながらも馬を寄せ合い、列を広げ、楔形を作っていく。
まだ歪で、穴も多い。だが馬超は満足げに頷いた。
(初日でこれならば上々だ。十日で形になる)
やがて日が高くなり、兵の額から汗が滴る。
馬超は手を挙げ、訓練を止めた。
「よい!今日のところはこれまで。だが覚えよ——鐙と槍をものにすれば、我らは誰よりも速く、誰よりも強く戦える!」
兵たちが声を合わせて雄叫びを上げる。
羌も氐も漢も、その場に隔たりはなかった。
馬超の胸には確信が芽生えていた。
(これでよい。出自を越え、馬上で同じ型を刻めば軍となる。ここから始まるのだ、涼州を変える軍が——)
司馬 軍を司る官職。時代や前につく文字によって職責が異なるので非常にややこしい。軍司馬は郡太守や将軍麾下の部隊指揮官くらいの地位。
将軍 漢代までは非常置の軍司令官。ちなみに常置されているのは中郎将で黄巾鎮圧の司令官はこっち。大将軍や驃騎将軍・車騎将軍・衛将軍のような開府もできて政治にも関われる高位の将軍から職務に応じて適当に名前を付けられる雑号将軍まで幅広く存在する。安狄将軍は雑号将軍の一つなのでそんなに位は高くない。
太守 郡の長官。後漢では郡内の行政権と軍事権を併せ持ち、上位の州刺史は監察権しか持たないので非常に権限が強い。ついでに秩禄(給料)も太守の方が多く、二千石(石は重量の単位、日本の石とは違う)は地方長官の代名詞ともなった。後漢の群雄はだいたい太守か州牧(刺史に行政権と軍事権を追加したやつ)を名乗ってる。
県令 県の長官。戸数の少ない小県だと県長という名前になる。科挙(いわゆる郷挙里選)で孝廉や茂才に挙げられるとまず郎として中央で研修を受け、その後に県令に任命されるのが一般的な出世コースだった。ちなみに太守・県令などの地方長官には三互の法というものがあり、基本的には自分や妻の出身地の長官にはなれなかった(例外もある)。




