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冀の城にて

翌日、()の城外では馬騰(ばとう)麾下の騎兵が列を成していた。

革職人たちの手で複製させた新しい鞍と鐙を、まずは精鋭の一部に試させるためである。

鍛えられた兵たちが土煙を上げ、地に轟音が響く。


馬超(ばちょう)も戦での使用感を踏まえて更に改良させた深い鞍と鐙を備えた馬具を身につけ、愛馬を駆った。

従弟の馬岱(ばたい)が目を輝かせながらその後を追う。


「……やはり違うな。これなら両脚でしっかり体を固定できる!」


馬岱が感嘆の声をあげる。

馬超は軽く手綱を操り、馬を跳ねさせると、安定した姿勢を保ったまま兵らへと示してみせた。

鐙を通じて体重を支え、鞍が揺れを吸収することで、矢を放つにも斬り結ぶにも乱れが少ない。


「見よ。これがあれば、馬上での戦いは格段に容易となる」

 

馬超の声に、兵たちはどよめいた。

そこへ、もう一人、豪胆な顔をした若将が真っ直ぐに駆け寄ってくる。

龐徳(ほうとく)、字を令明(れいめい)という馬超より若干年長ながら既に勇名を知られた男だ。

無骨なその顔に、珍しく熱が宿っていた。


「若!」


龐徳は馬上から声を張り上げた。


「これこそ、我らが戦を変える具足にございます!この龐徳、命を賭しても広め、兵どもに叩き込みましょう」


その声音は、ただの感嘆ではなく、惣領としての馬超を仰ぎ見る忠誠に満ちていた。

馬超はわずかに目を細めた。

従弟の馬岱は身近な兄のように慕ってくるが、龐徳のそれはまた異なる。

馬騰の部曲の中で、彼は既に猛将として名を上げつつある。

その龐徳がこうまで敬意を示すことは、兵らにとっても大きな意味を持つ。


「よし。令明(龐徳)徳巌(馬岱)。お前たちを中心に兵を鍛えよ」


馬超は告げた。


「まずは素早い乗り降りと槍の扱いを重点に。鐙があれば片手でも馬を制御できる。槍使いも騎射も自在となるはずだ」

「御意!」


馬岱の声は明るく響き、

龐徳は深く頭を垂れた。


土煙の中、兵たちは一斉に声を上げ、馬具を試す訓練へと駆けていく。

その光景を見渡しながら、馬超は確信した。


(これで我が軍は変わる。涼州(りょうしゅう)の乱世を越え、中原(ちゅうげん)をも望める力を――)


◇◇◇


冀の城内は、戦の埃がようやく落ち着いたせいか、人の流れが濃かった。

城門の脇には毛皮を積み上げた荷車が軒を連ね、路地には羊の群れが鼻を鳴らし、鍋では羊脂がはぜて香りを放つ。

(きょう)の羊飼いは茶褐の外套を翻し、(てい)の狩人は分厚い手袋で毛皮を撫で、漢人の商賈は秤を掲げて声を張る。

言葉も衣も雑多に混じり合う——涼州の「今」がそこにあった。


訓練を終えた馬超が馬岱と龐徳を伴って市に姿を見せると、ざわめきが波のように広がった。

羌の子らが駆け寄ってくる。


孟起(もうき)様だ!」

「馬将軍の御子だぞ!」


馬超は馬から降り、しゃがんで子らの額に手を当てた。


「風邪を引くなよ。穀と肉を食い、塩を舐め、羊の乳を飲め。冬は長い」


子の母らは深く頭を垂れ、その背で羊が「メェ」と短く鳴いた。

羌の長衣を着た商人が一歩進み出た。手には柔らかな冬毛の束を抱えている。


「孟起様、これは上質の毛です。将軍に献じたく」

「いや、正当な価で買おう。これはお前たちの血と汗の結晶だ。後で吏を遣るから纏めておけ」


馬超が銭を置くと、商人は深く頭を下げた。


「やはり……馬家のお方は義に篤い」


龐徳が腕を組み、小さく頷いた。


「羌の者どもがこれほど慕うとは。やはり血筋ゆえか、それとも……」


馬岱が笑って受ける。


「血筋も器量も、どちらもでございましょう。叔父上(馬騰)は漢と羌の間に立たれ、従兄(あに)上もまた橋であられます」


通りの向こうで、旅の書生めいた漢人が鼻で笑った。


「雑胡が幅を利かすとは、所詮は辺境の片田舎よ」


言葉は風に紛れたが、棘のように耳に触れた。

馬超は視線を向けず、ただ歩みを緩めた。


(中央に出れば、羌の血は蔑まれる。だが血は足枷か、それとも(はり)か。)


世界の一体(グローバル)化して久しい現代を生きた感覚からすれば、異民族の血にそれほどの抵抗感はない。

心の底に、前世の読書で擦り切れるほど辿った(ページ)が浮かぶ。


太公望(たいこうぼう)は羌の出自とも。彼は(しゅう)文王(ぶんおう)武王(ぶおう)を輔け、やがて斉を開いた。咎犯(きゅうはん)——狐偃(こえん)(てき)の出にして(しん)文公(ぶんこう)を放浪から覇に押し上げた。そも古代の聖王たる(しゅん)は東夷の地より、儒者が理想とする周とて西夷の地より出でたのではないか。晋の文公自身も母は狄だ。異なる血であっても、正しく用いられれば、国を立て人を活かす礎になる。腐れ儒者どもにはそのように主張すれば反論も出来まい)


胸の内で言葉を噛み、吐く息を細くする。


(ならば俺は、羌の血を恥じぬ。梁として用いよう。羌も氐も漢も、鞍と鐙と訓練で束ね、涼州を一つの戦列にする)


通りの脇で、軍属の羌の弓騎が同胞の商人と笑い合っていた。

彼らの背には、試作の鐙を吊るした新式の馬具が覗く。

馬岱がその様子を見て目を細める。


「従兄上、兵どもはもう噂で持ちきりです。“孟起様の鞍は落ちぬ鞍”だと」


龐徳がまっすぐ馬超を見る。


「若、この具足を我らの常といたしましょう。羌も氐も、同じ姿勢で馬に跨がせれば、列は乱れませぬ」

「よい。まずは百騎。羌・氐・漢を混ぜ、同じ号令で動かす」


言いながら、馬超は子らの手から羊の綱を受け取って軽く引く。

羊は素直に歩き、子らは歓声を上げた。


(言葉より先に、身体で教える。境をまたぐ最短の道は、いつも「動作」だ)


夕陽が城壁の上を赤く染め、市はゆるゆると店仕舞いに向かう。

さきほどの書生はもういない。

かわりに、毛皮を抱えた氐の女が遠くから会釈した。

馬超が応えると、彼女は安堵の色を見せて早足で去っていく。


(中央の文は、俺の血を測りたがるだろう。だが涼州の民は、俺の背中を測る。どちらを先に満たすべきかは明らかだ)


城門へ戻る途上、龐徳が馬上から問う。


「若、漢人の董太師(董卓)ですら涼州の出というだけで蔑まれました。それでも中原に臨まれるのでしょうか」

「なに。ならば、踏み台にするだけだ」


馬超は短く答え、口の端をわずかに上げた。


「太公望は出自よりも功を立てた。咎犯もまたそうだ。俺は鞍と鐙と兵の列で証明する。血に値打ちを与えるのは、為すことだ」


馬超は先ほどの思考を口に出して答える。

馬岱が澄んだ声で笑う。


「ではまず、明朝より百騎の連携にかかりましょう」

「うむ。頼んだぞ」


日が落ち、冀の市は音を絞った。羊脂の匂いが薄れ、夜警の鈴だけが遠く鳴る。

雑居の街路をあとにしながら、馬超は密かに拳を握った。


(血は分かつ印ではなく、束ねる印となり得る。涼州の明日をそれで架ける。まずは百騎、やがて千、万。鞍と鐙を言葉に、同じ戦い方を同じ速さで)


星が凍てつく空に瞬き、城壁の影が長く伸びる。

冀の市で交わした小さな頷きが、いつか大軍の一致に変わる——馬超には、その未来がはっきりと見えていた。


龐徳 字は令明。生年不明(作中では170年に設定)。漢陽郡豲道の人。異体字で龐悳とも表記される。初平年間(190~193)に馬騰に従い羌や氐の反乱討伐に従事。その後も馬騰軍の中核として活躍し随一の猛将として知られた。馬騰の入朝後は馬超に従って涼州に残り、曹操に敗北後は張魯に身を寄せるところまでは同行したが益州には同道せず、張魯が曹操に降伏するとともに従ってその配下に収まった。荊州で劉備軍と戦い、関羽に敗れて捕虜になると、ともに囚われた宿将の于禁が命乞いする一方新参の龐徳は降伏を拒絶して処刑されたためその後に于禁が不当に貶められる原因となった。


太公望 名前は呂尚とも姜尚とも呂望とも姜子牙とも呼ばれ諸説ありはっきりしない。ついでに出自もはっきりしない。羌出身といいうのも姜姓ゆえの一説にすぎない。周の文王・武王に仕えて商(殷)滅亡に力を貸した元祖軍師。周建国後は斉に封じられた。


狐偃 字は子犯。父の狐突は白狄(北方遊牧民の一種)の出だが春秋時代に晋に仕えて娘を妃として嫁がせた。その妃が産んだ子が春秋五覇に数えられる晋の文公こと姬重耳であり、そのため舅犯、もしくは咎犯と呼ばれた。文公の覇業を支えた家臣筆頭として知られる。

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