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天下の趨勢

戦いが収まり、馬騰(ばとう)の部曲も現在の本拠地としている漢陽(かんよう)郡の治所・()へと帰還していた。

夜更けの帳内、馬超(ばちょう)はただ一人、燭火を前に座していた。


――自分は馬超である。二十年の歳月を、馬騰の嫡子として過ごしてきた。

だが同時に、別の四十年を生きた記憶が鮮明に残っている。

現代日本という遥か遠い時代の男としての人生。

人格としては、その「前世」の自分がなおも優勢であった。


馬術――特にウェスタンスタイルの知識と技術はそのまま残っている。

この時代の粗雑な馬具や、鐙すら欠けた装備では、いかに勇猛であっても限界がある。

だからこそ革職人に工夫を命じ、深い鞍と鐙を備えた「自分用の馬具」を作らせたのだ。

戦場での勝利は、その有用性を確かに証明した。


それに加えて、かつて趣味で耽溺した『三国志』の知識。

もはや「歴史」ではなく、自分の生きる「現実」として横たわっている。

――だが細部は必ずしも記憶どおりとは限らない。今後はその齟齬に注意せねばならぬ。


目を閉じ、涼州(りょうしゅう)の情勢を俯瞰して整理する。

父・馬騰は漢陽郡に根を張り、韓遂(かんすい)はその北西の金城(きんじょう)郡を拠点として相争っている。

両者の間に横たわる隴西(ろうせい)郡、西端の枹罕(ほうかん)の辺りには、漢に叛き自立した羌の部族の長・宋建(そうけん)が「河首平漢王(かしゅへいかんおう)」を称して諸族を率いていて割拠している。


さらに北方には匈奴(きょうど)鮮卑(せんぴ)、西・南には(きょう)(てい)が蠢き、反乱が絶えることはない。

外憂内患、涼州はまさに火薬庫だ。


そして東――長安では李傕(りかく)郭汜(かくし)が互いに兵を交え、天子は命からがら都を脱して東帰しようとしている。

それを曹操(そうそう)が本拠地である豫州(よしゅう)(きょ)へと迎え入れ、河北(かほく)袁紹(えんしょう)と対立して天下を争うことになるはずだ。


周辺では袁術(えんじゅつ)公孫瓚(こうそんさん)呂布(りょふ)劉備(りゅうび)臧覇(ぞうは)張燕(ちょうえん)張楊(ちょうよう)といった群雄も健在である。


南の荊州(けいしゅう)では劉表(りゅうひょう)が敵対する豪族を族滅せしめ中央との通行を遮断して天子のように振る舞い、益州(えきしゅう)では劉焉(りゅうえん)の後を継いだ劉璋(りゅうしょう)が柔弱で漢中(かんちゅう)で独立した米賊―五斗米道(ごとべいどう)張魯(ちょうろ)と対立を深めている。


揚州(ようしゅう)では劉繇(りゅうよう)を倒した孫策(そんさく)袁術(えんじゅつ)から半ば自立を果たす頃だっただろうか。


天下は乱れ、王莽(おうもう)による中断こそあれ約四百年続いた漢は目実ともに滅びようとしつつあった。


――自分はこの涼州の渦中に生きている。

前世の記憶を持ち、武と知を兼ね備える「馬超」として。

馬具の普及はもとより、効率的なトレーニング方法や組織運営論、農業や工業、そして何より歴史知識など「前世」の知識を活かせる場面も多いだろう。


馬超は静かに息を吐き、拳を固めた。


(まずは父の軍で立場を固める。馬具を広め、兵を鍛え、己の力を示すのだ。いたずらに韓遂と争い続ければ、いずれ東進してきた曹操に飲み込まれるのが史実として記されている。……だが韓遂や宋建を討ち、羌や氐を抑えて後顧の憂いを絶てば。そのうえでいずれ中原へ、あるいは益州を奪うべきか――)


火は小さく揺れ、幕内に長い影を落とした。

馬超の双眸には、若き将の野望と、異郷人の冷徹な視線とが同時に宿っていた。

宋建 字不明。生年不明。隴西郡枹罕の人。羌の首長で涼州における反乱指導者の一人。他の反乱指導者が次々と官軍に敗れたり内紛で死んでいったりする中、本拠地の枹罕に引きこもって「河首平漢王」を称し、百官を置いたり年号を定めたりと天子のように振る舞い30余年勢力を保ち続けた。最後は夏侯淵の討伐を受けて敗死した。


曹操 字は孟徳。155年生まれ。沛国譙県の人。みんな大好き乱世の奸雄。袁紹の舎弟だったが天子を手中に収めて調子に乗る頃。

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― 新着の感想 ―
曹操や袁紹に真似されて金にモノいわせて量産されるのが一番きつい
馬超たちは馬が強みだから、鞍に鐙、画期的な馬具は相当なアドバンテージになりそう。
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