第6話 影狼
魔塔管理局に戻って、換金を済ませたライムたちだが、ちょっとした騒ぎになった。
と言うのも、彼らからすれば当然の結果ながら、たったの数時間で1階層を突破したのは、初見にしては途轍もない速さだからだ。
ましてや、マッピングされていない地図を使用していたのだから、猶更である。
ちなみに、平均的な新人収集者なら、数日は掛かるらしい。
外見の良さも相まって、彼らの噂は急速に広まっているが、もう1つの要因がある。
それは、リーダーがライム、つまりホムンクルスだと言うこと。
反応は様々で、「面白い」や「興味深い」などの、比較的好意的な意見もあれば、「生意気だ」や「身の程を知れ」などの、批判的なものもあった。
いきなり有名人の端くれになったことに、ルビーは満更でもなく、マリンは微妙に恥ずかしがっている。
対照的な娘たちの様子を微笑ましく思いながら、ライムは特に意識することなく魔塔管理局を出て、帰路に就こうとしていたが――
「テメェが噂のホムンクルスか?」
太陽が寝静まって、街灯が点き始めたトライア。
暗闇の中から、ライムはいきなり声を掛けられた。
決して友好的ではなく、かと言って敵対的でもなく、あるのは純然たる戦意。
そのことを敏感に察知したルビーたちは、武器を手に取ろうとしたが、ライムは視線で制して1歩前に出る。
そして、どこまでも平坦な声で告げた。
「噂かどうか知らないが、わたしがホムンクルスだと言うことは事実だ」
「ほう……この俺を前にしても、ビビらねぇか。 中々、肝が据わってやがる」
「すまないが、わたしたちは今日トライアに来たばかりだ。 「この俺」と言われても、誰だかわからない。 更に言うなら、そこは街灯の光も届かないからな」
「くく、そいつは悪かったな」
全く悪いと思っていなさそうな口調ながら、暗闇から1人の男性が歩み出て来た。
歳は30手前と言ったところ。
雑に切られた黒髪に、獰猛な同色の瞳。
無精髭が生えており、肌は色黒。
身長はライムより高く、180センツ台半ばくらいありそうだ。
しなやかさと強靭さを、併せ持った体躯を誇っているように見える。
極東の島国に伝わる着物と言う衣類の1種、黒い着流しを身に纏っていた。
かなりボロボロで、相当古い物だと思われる。
腰には2本の刀を装備しており、そのうち1本からは強烈なプレッシャーが放たれていた。
そうしてライムが情報を整理していると、周囲の挑塔者が騒めき出す。
「か、『影狼』!? 『絶黒』のリーダーが、なんでここに!?」
「まさか、また魔塔に興味を持ったって言うの!?」
「いや、あいつは金が全てのはず……。 コロシアムで荒稼ぎ出来るようになってからは、1度も魔塔に行ってないって聞いてるぜ」
「ど、どっちにしろ、関わらない方が良いよね。 あんなのに目を付けられたら、終わりだよ」
さり気なく聞き耳を立てていたライムは、密かに警戒のレベルを引き上げた。
4大ギルドの1つ、『絶黒』のリーダー。
『影狼』は恐らく二つ名だろう。
何にせよ、厄介そうな人物に捕まったと思いつつ、ライムはひとまず問い掛けた。
「それで、わたしに何か用か?」
「その前に、一応名乗っておくぜ。 俺はヒサツグ=ゴトー。 あとのことは、まぁ、周りの雑魚どもが言っている通りだ。 金が全てって訳じゃねぇけどよ」
「意外と律儀なんだな。 わたしは、ライム=ハワード。 こちらの2人は――」
「あぁ、紹介はいらねぇ。 そっちの小娘どもに興味はねぇからな」
「だ、誰が小娘ですって!? あたしは、もう立派な大人なんだから!」
「取り消して下さい! 失礼ですよ!」
「うるせぇな、雑魚は黙ってろ。 俺は今、このホムンクルス……ライムと話してんだからよ」
「言わせておけば!」
「もう許しません!」
「落ち着け、2人とも。 ギルド同士の争いは、禁止されている」
「だって、パパ! こいつ、あたしたちを小娘って言ったのよ!?」
「雑魚とも言われました! 不愉快です!」
涙目でライムに訴え掛ける、ルビーとマリン。
しかし彼は譲らず、首をゆっくりと横に振る。
「それでもだ。 ここで事を起こせば、今後の活動がやり難くなる。 本当に大人だと言うなら、我慢してくれ」
「う~! ムカつくけど、パパに免じて今回は見逃してあげる!」
「わたくしも、今日のところは退いておきます……」
「そうか。 偉いぞ、2人とも」
「えへへ~。 もっと褒めて!」
「お、お父様の娘として、この程度は当然です」
ライムに頭を撫でられて、だらしなく頬を弛緩させるルビーと、モジモジして俯くマリン。
やはりまだまだ子どもだと感じつつ、その気持ちには蓋をして、ライムはヒサツグと相対した。
見るからに退屈そうに欠伸を噛み殺していたが、彼の視線に気付いて、ニヤリとした笑みを浮かべる。
「おままごとは終わったか?」
「そう見えたのなら、お前には物事を見通す力が欠如している」
「くく、言ってくれるな。 俺にここまで真っ向から言い返せる奴は、そういねぇぞ?」
「生憎と、現時点ではお前に遠慮する理由がないからな。 それより、用があるなら手短に頼む。 わたしたちは、今からパーティをする予定なんだ」
「まったく、テメェ本当にホムンクルスかよ? 人間にしか見えねぇぜ。 まぁ、良いだろ。 俺としても、長々と話すつもりはねぇからな」
そう言ってヒサツグは、刀の1本を抜き放った。
突然の行動に、ルビーとマリン、周囲の野次馬連中から、緊迫した空気が流れる。
だが、刃を向けられた当の本人は、微塵も動じることなく声を発した。
「正気か? ここは、魔塔管理局の目の前だぞ?」
「別に構わねぇよ。 俺にとっちゃ、多少の罰則は痛くも痒くもねぇからな」
「そうまでして、わたしと戦おうとするのは何故だ? ホムンクルスがリーダーだと言うことが、気に入らないのか?」
「はん、そんなことどうでも良い。 むしろ、逆だな。 ギルドを作ったホムンクルスってのに、興味があったんだよ」
「確かに珍しいんだろう。 しかし、それと戦いを仕掛けることに、どう言う繋がりがある?」
「最初は、本当に興味本位だったんだぜ? けどよ、実際見たら気が変わった。 テメェ、相当強ぇだろ? だから、やり合いたくなったんだよ」
「なるほど、戦闘狂か。 だったら、他を当たってくれ。 わたしに、そのつもりはない」
「そうは行かねぇな。 テメェほどの奴とは、滅多に出会えねぇ。 どうしても気乗りしないってんなら……」
そこで言葉を途切れさせたヒサツグは、凶悪な笑みを湛えて切先の向きを変える。
対象は、ルビーとマリン。
そのことに気付いた2人は、咄嗟に武器を構えたものの、はっきり言って及び腰だ。
見ようによっては気圧されているだけだが、これは彼女たちがヒサツグの強さを、漠然と認識している証。
雑魚としか思っていなかった美少女たちが、思いのほか高い水準にあることを悟って、ヒサツグは意外そうに目を丸くしている。
もっとも、彼からすれば格下なのは明らか。
すぐに笑みを取り戻したヒサツグは、刀を双子に向けたまま言い放つ。
「あの小娘たちに、相手してもらうか。 そうすれば、テメェも少しはやる気になるんじゃねぇか?」
隠すことなく挑発して来るヒサツグに、ライムは内心で盛大に嘆息した。
誘いに乗るのは癪に障るとは言え、ルビーたちを危険に曝す訳には行かない。
厳密に言えば、多少の試練を課すことはあるが、このクラスの使い手と戦うのはまだ早いと考えている。
考えを纏めたライムは、止む無く構えを取ろうとして――
「何の騒ぎですか?」
聞き覚えのある声が、耳朶を打った。
振り向いた先にいたのは、書類を抱えたリーナ。
驚愕しているかのように目を見開いているが、ライムには至極落ち着いて見えている。
それはヒサツグも同様なのか、それまでニヤニヤしていた彼の顔が引き締まっていた。
野次馬連中は何も言えず、その場に沈黙が落ちるかに思われたが、ライムの娘たちが声を上げる。
「リーナ! あのオジサンが、パパを狙ってるの!」
「罰則も承知の上で、戦いに持ち込もうとしています! 魔塔管理局は、そのようなことを許すのですか!?」
目尻に涙を溜めて、必死に叫ぶルビーとマリン。
自分たちの無力を受け入れた上で、ライムの為に出来ることをしようとしていた。
そんな娘たちの気持ちを汲み取って、ライムは薄っすらと笑みを浮かべている。
すると、2人の言葉を静かに聞いていたリーナは、頬に指を当ててしばし考え込み、何かを思い付いたように口を開いた。
「『影狼』さん、ルビーさんとマリンさんが言っていることは、本当ですか?」
「だったらどうだってんだ? 罰則ならキッチリ受けてやるから、文句ねぇだろ?」
「では、先に罰則を伝えておきますね。 今後、『絶黒』のコロシアムへの出入りを禁止します」
「……何だと?」
「聞こえませんでしたか? 『絶黒』のコロシアムへの出入りを禁止します」
「ふざけんな。 今まで、そんな罰則なかっただろうが」
「前例がないのは、関係ありませんよ。 魔塔管理局として適切な罰則を考えた結果、そうするべきだと判断しました」
「ただの受付嬢に、そんな権限があんのかよ?」
「そう思うなら、試してみますか? ライムさんには申し訳ないですけれど」
チラリと横目で、ライムを見るリーナ。
それに合わせて、彼は今度こそ構えを取った。
半身になって左手を前にゆらりと出し、右拳は腰の辺りに置く。
足を前後に開いて腰を沈め、真っ直ぐに背筋を伸ばした。
泰然としつつ、それでいて余計な力は抜けている。
毛ほども隙のない佇まいは、美しくすらあった。
野次馬たちは思わず感嘆の息をついており、ルビーとマリンは目を輝かせている。
一方のヒサツグは、より一層戦いたい欲求が増していたが、コロシアムへの出入り禁止は彼にとって致命傷だ。
忌々しそうにリーナを睨んだヒサツグは舌打ちして、刀を鞘に納める。
同時に構えを解いたライムに背を向け、肩越しに言葉を投げた。
「今日のところは帰ってやるが、これで終わりと思うなよ?」
「あまりそう言うことを言うと、小物に見えるぞ」
「ちッ! 口の減らねぇ野郎だ。 じゃあな、ライム。 また会おうぜ」
返事も聞かずに歩み去るヒサツグ。
周囲の野次馬も解散の流れになり、やっと場が落ち着いた。
初日から面倒なことになったと思ったライムだが、今は他に手掛けることがある。
「ルビー、マリン、有難う。 2人のお陰で、助かった」
「ううん! あたしたちの方こそ、守ってくれて有難う! すっごくカッコ良かった!」
「やはり、お父様は最高です! これからも、一生付いて行きます!」
両手を胸の前で組んで、ライムに迫る美少女たち。
思わず苦笑を浮かべた彼は、彼女たちの頭を撫でて宥めながら、もう1人の立役者にも感謝を述べる。
「リーナさんも、本当に有難うございました。 早速、借りを作ってしまいましたね」
「いえいえ、お気になさらず。 こう言うことに対処するのも、仕事の内なので」
「そう言ってもらえると助かります。 ところで、ヒサツグについて少し尋ねたいんですけど、彼は到達者ですか?」
「はい。 もう何年も魔塔には潜っていませんが、63階層までは行ったと記録に残っています。 ついでにお伝えしておくと、『絶黒』のメンバーは4人で、全員が到達者です。 ただ、『影狼』さん以外の3人は、複数人での攻略が前提ですね」
「逆に言えば、ヒサツグは単独でも上層に行けると言うことですか?」
「そうなります」
「なるほど……。 もう1つ聞きたいんですが、コロシアムとはどう言った施設ですか?」
「西区画にある、魔塔管理局が運営している施設で、簡単に言えば決闘を行えます。 魔道具の効果で肉体へのダメージを、精神へのダメージに変換しているので、死ぬことはありません。 試合形式はソロバトル、ペアバトル、ギルドバトルの3種類で、双方合意の上なら何かを賭けることも出来ます。 また、観客はどちらが勝つかジェニムを賭けて、当たれば配当金を得られます。 そして『絶黒』は、コロシアムを主戦場としているギルドです」
「ふむ。 それでヒサツグは、リーナさんの提示した罰則を避けたんですね」
「そう言うことですね」
「理解しました、有難うございます」
リーナから情報を得たライムは礼を言い、おとがいに手を当てて思考を回転させた。
コロシアムのことは一旦横に置いておくとして、単独で上層を目指す場合、ヒサツグ並の実力が必要になる。
正直なところ、今の双子には厳しい。
だからと言って悲観している訳ではなく、ゆっくり上って行けば良いと考えた。
ライムが思い悩んでいると心配になったのか、不安そうにしているルビーとマリン。
そんな2人に微笑を見せた彼は、柔らかい口調で言葉を連ねる。
「余計な邪魔が入ったが、行こう。 お腹が空いているだろう?」
「う、うん。 でも……パパは大丈夫なの?」
「問題ない。 敢えて言うなら、わたしもお腹が空いた」
「ふふ……でしたら、急がなくてはいけませんね。 ルビー、行きましょう」
「そうね、マリン。 行こう~!」
立ち直った娘たちが、率先して歩き出す。
その背中を微笑ましく見つめたライムは、リーナにもう1度感謝を告げた。
「では、失礼します。 リーナさん、今日はお世話になりました。 今後とも、よろしくお願いします」
「はい、お疲れ様でした。 また何かありましたら、お気軽にご相談下さい」
書類を抱えたまま、丁寧にお辞儀するリーナ。
対するライムも会釈して、踵を返したが――
「ところで、リーナさんは何階層まで行ったんですか?」
不意打ちの問掛け。
背後のリーナは頭を下げたままで、表情はわからない。
しかし、すぐに顔を上げて笑顔で返答した。
「わたしは挑塔者ではなく、魔塔管理局の局員ですよ」
リーナの言葉を背中で聞いたライムは、しばし黙ってから淡々と口を開く。
「そうでしたね。 失礼しました」
その言葉を最後に、娘たちを追い掛けるライム。
彼の背中をリーナは、笑顔のまま見送った。