第3話 月夜の歌声
北区画に入って暫くすると、喧騒が遠退いて緑の量が増えて来た。
都市の中に森があると言う、不思議な地形ではあるが、決して暗い雰囲気ではない。
さほど木々の背が高くない為、太陽の光を存分に浴びることが出来る。
道も整備されており、歩くのに困ることもなかった。
思ったよりも、よほど良い環境だと感じていたライムをよそに、ルビーとマリンは辺りをキョロキョロ見渡している。
娘たちの可愛らしい姿に、ライムが微笑ましくなっていると、ようやくして一軒家が見えて来た。
それなりに年季は入っているが、しっかりとしたレンガ造りの2階建てで、広めの庭まで付いている。
周囲には森しかないものの、逆に言えば近所付き合いで、トラブルが起こることもなさそうだ。
少なくとも外観には、問題がないとライムが確認していたところに、ルビーのはしゃいだ声と、マリンの静かに高揚した声が聞こえて来る。
「わぁ! ここがあたしたちの、新しい家なのね! 良いじゃない!」
「それを言うのは早いわよ。 まずは、中を確認しましょう」
「わかってるわよ。 て言うか、あんただって嬉しいくせに、何を澄ましてんの?」
「わ、わたくしは普通よ。 とにかく、行きましょう」
「はいはい。 まったく、素直じゃないんだから」
手を取り合って――とは行かないが、楽しそうに家に入るルビーとマリン。
苦笑を禁じ得なかったライムだが、娘たちが喜んでいることには満足していた。
2人に続いて中に入ると、流石に少し埃っぽかったものの、不潔な感じはしない。
物はほとんど何も置いていないので、調度品は自分たちで用意する必要がある。
とにもかくにも掃除からだと考えたライムは、娘たちに声を掛けた。
「まずは掃除をしよう。 それが終わったら荷物を整理して、ギルド登録に行く」
「りょーかいだよ、パパ!」
「精一杯、取り組みます」
ルビーは元気いっぱいに答え、マリンは真剣な面持ち。
2人に微笑み掛けたライムはリュクサックを下ろし、中から掃除道具を取り出した。
ちなみに、このリュックサックも魔道具で、見た目以上の収納量を誇る。
ただし、リュックサック自体がかなり大きい上に、中身に応じて重さも増して行くので、万能とは言い難い。
それでも、かなり有用だ。
3人で手分けして、手際良く掃除に取り組む。
この辺りは、普段から協力して来た成果が出ていた。
さほど大きくない家だったこともあり、それほど時間を掛けずに完了する。
その次は、前の家から持って来た家具などの設置。
テーブルや椅子に始まり、ベッドやタンスなど。
新調しようかとも考えたライムだが、慣れ親しんだ物の方が良いと言う結論に至った。
ちなみにこの家は、1階がリビングとキッチン、ダイニングで、2階に個室が4つある。
1部屋余るが、取り敢えずそこは荷物置きにすることにした。
こうして、生活出来る環境を整えたライムたちは、次の予定に移ろうとしたのだが――
『あ……』
グゥ~――と。
双子のお腹が同時に鳴った。
2人は恥じ入っていたが、苦笑を浮かべたライムは彼女たちの頭を撫でて、何でもないように口を開く。
「良い時間だから、先に昼食にしようか。 集落に行けば、何かしら食べられるだろう」
「ご、ごめんなさい……」
「何を謝っているんだ、マリン? 普通のことなんだから、気兼ねする必要はない」
「う~、恥ずかしいけど、お腹は空いた!」
「恥ずかしがらなくて良いぞ、ルビー。 情報収集出来るかもしれないし、行ってみよう」
「はい、お父様……」
「どんな食べ物があるか、楽しみ!」
すっかり立ち直ったルビーに比して、マリンは尚もモジモジしていた。
双子と言えど、性格は全く違う。
最後に家を出たライムは、鍵をしっかり閉めてから、3人揃って歩き出した。
森の道は枝分かれしており、それぞれの家などに続いている。
その中の1本に沿って進んでいると、しばしして開けた場所に辿り着いた。
コルダの言っていた通り、都市の中にもう1つ町があるような感覚で、多くの人が行き交っている。
東区画の大通りほどではないが活気良く、多くの店が見受けられた。
町外れには大きな畑があり、農業も行っているらしい。
ここが北区画の心臓部で、今後ライムたちも世話になる機会が多いと思われる。
このときにはマリンも復活しており、ルビーと一緒に物珍しそうにしていた。
非常に目立つ外見なだけではなく、新参者と言うこともあり、かなりの注目を集めていたが、声を掛けて来る者はいない。
何らかの事情を抱えた人が多いと聞いていたライムは、そうした背景もあるかもしれないと考えた。
4大ギルドの1つ、『野良猫の隠れ家』の実態も気になるところだが、今は他にやることがある。
「こちらに食堂があるようだな。 行こう」
「うん、パパ!」
「かしこまりました、お父様」
娘たちを引き連れて、町を練り歩くライム。
やはり視線を感じたものの、悪意はなさそうだ。
そのことに安堵しつつ、足を止めたのは、木造の建物の前。
看板が出ており、『月夜の歌声』と言う店らしい。
料理のマークと酒瓶のマークが掛かっているので、夜は酒場なのだろう。
そんなことを思いながら、ルビーとマリンに目配せし、ライムは軋む扉を開いた。
混雑していた客連中が一斉に彼らを見たが、すぐに談笑に戻っている。
3人が騒がしさを感じつつ、空いている席を探していると、1人の女性店員が歩み寄って来た。
「いらっしゃいませ! お兄さんたち、うちは初めてですよね?」
歳は20歳前後で、身長は160センツほど。
ブラウンのボブカットに、優し気な同色の瞳。
胸元は慎ましいが、充分以上に魅力的だ。
可愛らしい給仕服に身を包み、ニコニコと笑っている。
対するライムは、平然と言い返した。
「はい。 今日、トライアに着いたばかりなので」
「あ、そうなんですね! じゃあ、もしかして、お店に来ること自体が初めてだったり?」
「そうですね。 物件探しはしましたが」
「それは光栄です! 折角ですし、何かサービスしますよ!」
「良いんですか?」
「勿論です! その代わり、気に入ってくれたらまた来て下さいね!」
「わかりました。 では、お願いします」
「はい! 3名様、ご案内です!」
鼻歌交じりに前を行く店員。
ホムンクルスである自分にも、丁寧に接客してくれたことに、ライムは密かに感謝していた。
ところが――
「マリン」
「何かしら?」
「ちょっと危険ね」
「えぇ。 今のところはセーフだけれど……」
「もしものときは、あたしたちがパパを守らないと」
「当然よ。 何人たりとも、お父様に手出しはさせないわ」
後ろに控えていた娘たちは、こっそり闘志を燃やしていた。
自らの命が若干危うくなっていることなど露知らず、店員は3人を奥の席に案内する。
椅子に座ったライムたちはメニューを受け取り、何にするかを考え始めた。
どれも美味しそうではあったが、取り敢えずライムは聞いてみる。
「店員さん」
「あ、わたし、パメラ=レーシュって言います!」
「ではパメラさん、お勧めはありますか?」
「全部です! ……と言いたいところですけど、それだと困っちゃいますよね。 わたしとしては、鶏肉のシチューが特にお勧めです!」
「なるほど。 でしたら、わたしはそれにします。 ルビーとマリンは、どうする?」
「……パパと同じのが良い」
「……わたくしも、お父様と同じもので」
「そうか。 と言うことで、鶏肉のシチューを3つお願いします」
「えぇと……か、かしこまりました!」
ルビーとマリンに睨まれたパメラは、引きつった笑みで退散して行った。
そのことにライムは胸中で嘆息しつつ、敢えて窘めることはしない。
こう言うところは、彼がいかに娘たちに甘いかを物語っている。
もっとも、2人のライムへの想いと、彼のルビーたちに対する気持ちは、微妙かつ決定的に違うのだが。
何とも言い難い雰囲気の中、3人が無言で待っていると、やがてパメラが料理を運んで来た。
テーブルの上には3つのシチューと、サラダにパン。
シチューしか頼んでいなかったライムが、パメラに視線を向けると、彼女は軽くウインクした。
要するに、これがサービスなのだろう。
反射的に苦笑したライムは丁寧に頭を下げ、ルビーとマリンに言い放った。
「食べよう。 冷めたら勿体ないからな」
「……そうだね」
「……頂きます」
不満そうにしながらも、大人しくシチューを口に含む双子。
瞬間――
「美味しい!」
「これは……驚きました」
喜色満面なルビーと、目を丸くして口元に手を当てたマリン。
彼女たちの反応に、ライムはまたしても苦笑し、パメラはホッとしている。
しかし、接客業としてのプライドからか、そこで終わらずに口を開いた。
「お気に召したようで、良かったです! 他のメニューも美味しいので、機会があれば食べてみて下さいね!」
「ふん。 そこまで言うなら、また来てあげる」
「まぁ、料理に罪はありませんし」
「まるで、わたしには罪があるような言い方ですね……」
「だって、パパに言い寄ったじゃない!」
「お父様に、色目を使いましたよね?」
「そんなことしてません!? まぁ……格好良いな~とは思いましたけど……」
「やっぱり! む~!」
「手が滑って、この熱々のシチューをかけてしまいそうです……」
「し、仕方ないじゃないですか!? 実際そうなんですから!」
涙目で叫ぶパメラに、食って掛かるルビーと、冷ややかな目を向けるマリン。
一方のライムは他人事のようにシチューを食べていたが、仕方なく助け船を出す。
「ところでパメラさん、聞きたいことがあります」
「は、はい! 何でしょう!?」
「北区画には、『野良猫の隠れ家』が拠点を構えていると聞きましたが、確かですか?」
「え? あー……まぁ、そうですね。 あんまり、拠点って感じじゃないですけど」
「と言うと?」
「あそこは一応ギルドですけど、実質リーダーの単独なんですよ。 それで、他のメンバーは身寄りのない子どもたちで、リーダーが1人で養ってる感じですね。 だから拠点と言うか、孤児院って感じです」
「ふむ……。 聞いている限り規模は小さそうですが、どうして4大ギルドに名を連ねているんですか?」
「それは、リーダーが強いからですよ。 トライアでも最強かもって思いますね。 二つ名が『頂者』ですし。 あ、本名はカイルさんです。 彼自身が孤児だったみたいなので、下の名前はないですね」
「なるほど……。 相当強いようですが、危険な人物ではないですか?」
「あはは、大丈夫ですよ。 ちょっと荒っぽいところはありますけど、基本的には良い人です」
「それを聞いて安心しました。 それにしても、ギルドと一言で言ってもいろいろあるんですね」
「そうですよ! うちだって食堂兼酒場ですけど、ギルドですし!」
「そうだったんですか」
「はい! 『月夜の歌声』って看板を見ましたか? あれがギルド名です! 他にも鍛冶系ギルドとか農業系ギルド、薬品系ギルドに服飾系ギルドなんかもありますよ!」
「本当に多種多様ですね……。 戦闘系が大半だと思っていましたが、認識を改めた方が良いかもしれません」
「それも間違いじゃないですけどね。 割合で言えば、やっぱり戦闘系が多いですし。 でも、わたしたちみたいなギルドも、結構重宝されてるんですよ!」
「そうでしょうね。 どれだけ腕が立とうと、食事は必要ですから。 有難うございます」
「……ッ! そ、そんな、どういたしまして……」
超絶美少年であるライムに微笑み掛けられたパメラは、顔を赤くして目を逸らした。
だが、その先には――
「……マリン、やっぱり消しとく?」
「……そうね、ルビー。 わたくしも、そろそろ限界だわ」
怒髪天を衝く勢いの、ルビーとマリンがいた。
最早自身の命が風前の灯火のように感じたパメラは、身を仰け反らせていたが、そこに救いの手が差し伸べられる。
「落ち着け、2人とも。 パメラさんは、親切に情報を教えてくれたんだぞ? お礼を言わないと駄目だ」
「でも、パパ……」
「約束その3。 お世話になった人には感謝する。 わたしはそう教えて来たつもりだったが……キミたちには、伝わっていなかったらしい」
「そ、そんな!? わたくしが、お父様の教えに背くなどあり得ません! パメラさん、有難うございました!」
「シチューも凄く美味しかったわよ! サービスまでしてくれて、感謝しかないわね!」
ライムがわざとらしく落胆した仕草を見せると、ルビーとマリンは大慌てで手のひらを返した。
あまりの迫力にバメラは、別の意味で圧倒されていたが、次いで苦笑を浮かべて言葉を紡ぐ。
「お2人は、本当にお兄さんが好きなんですね」
「当たり前でしょ! パパは世界一なんだから!」
「お父様は、至高の存在です」
「あはは。 その呼び方には引っ掛かりますけど……ここにはいろんな人がいるので、深くは聞きません。 愛されてますね、お兄さん!」
「はい、可愛い娘たちです。 あと、わたしのことはライムと呼んで下さい」
「わかりました、ライムさん! 娘さんたちは、ルビーさんとマリンさんでしたね? 今後とも、よろしくお願いします!」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「よろしくね!」
「よろしくお願いします」
半ば強引ではあるが、なんとか丸く収めたライム。
その後、お詫びの意味も込めて2品ほど追加した彼は、料金を支払って店を出た。
何だかんだでルビーたちも、味には大層満足している。
そんな娘たちに苦笑したライムは、次なる目的地を示した。
「次はギルド登録だな。 そのあと時間があれば、魔塔を見に行ってみるか」
「賛成! やっぱり、どんなところか気になるもんね!」
「それには同意してあげる。 ギルド登録が、スムーズに済めば良いのだけれど……」
「こればかりは、行ってみないとわからない。 とにかく行こう」
「はーい!」
「かしこまりました」
率先して歩き出したライムに続いて、ルビーとマリンも歩み始める。
こうして彼らは順調に、トライアでの生活基盤を固めつつあった。
ここまで有難うございます。
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