第18話 訓練
ライムたちが休暇に入って、1週間が経過した。
休暇と言っても、全く魔塔に行かない訳ではない。
何故なら、生活するには収入が必要だからだ。
とは言え、今は楽に帰って来られる範囲にしており、比較的のんびり過ごしている。
ルビーとマリンは、早く開拓者になって下層に上がりたいようだが、ライムに宥められて大人しくしていた。
今日も今日とて、昼過ぎに魔塔を出た3人はリーナに換金を頼み、都市を散策してから帰る予定。
これは良くあるパターンの1つで、ライムも特に意識することなく、魔塔管理局をあとにしようとしたが――
「そう言えば皆さん、フェスティバルのことはご存知ですか?」
「フェスティバル?」
「わたくしは初耳ですね」
リーナの言葉を聞いて、同時に小首を傾げる双子。
見事なシンクロ具合にリーナは苦笑していたが、次いでライムに目を向けた。
しかし、彼にも心当たりはなく、端的に尋ね返す。
「わたしも知りません。 リーナさん、良ければ教えてもらえませんか?」
「かしこまりました。 フェスティバルは年に1回行われる、大規模な催しです。 東区画がメインとなりますが、西区画ではコロシアムで大会が開かれますし、南区画では『導きの乙女』が全メンバーを集めた集会を開くそうです。 唯一、北区画ではこれと言ったことはしないようですね」
「なるほど。 参加は義務なんですか?」
「いいえ。 ただ、普段とは違ったトライアを体験出来るので、東区画だけでも行ってみるのをお勧めします。 綺麗に飾り付けされますし、見て回るのも楽しいかもしれませんよ」
「わかりました。 ところで、そのフェスティバルはいつあるんですか?」
「3日後ですね。 朝早くから、夜中まで続きます。 まぁ、夜中は子どもには関係ありませんが」
そこでリーナが、ルビーとマリンをチラリと見やる。
それに気付いた2人は噛み付こうとしたが、寸前でライムが言葉を割り込ませた。
「教えてくれて、有難うございます。 ルビー、マリン、行こう」
「……はーい」
「……かしこまりました」
機先を制された双子は、矛を収めて席を立った。
そんな2人をリーナはニコニコ見ており、彼女たちをより一層イライラさせている。
そのとき――
「今日の訓練でわたしに触れたら、フェスティバルで何でも買ってやろう」
「え!? 何でも!?」
「ほ、本当ですか、お父様?」
「あぁ、勿論だ」
「よーし! 絶対触っちゃうんだから!」
「わたくしも、全身全霊を懸けて挑ませて頂きます……!」
胸の前で両手を握り締めて、気合いを入れるルビー。
手を胸に当てて、誓いを立てるマリン。
娘たちがやる気を滾らせていることに、ライムが微笑んでいると、リーナから興味深そうな声が聞こえて来た。
「ルビーさんとマリンさんは、ライムさんと訓練されているのですか?」
「そうよ! 羨ましいでしょ?」
「羨ましいと言いますか、見てみたい気はしますね」
「却下します。 貴女はここで仕事をしていて下さい」
「……マリンさん、もしかして怒っていますか?」
「何のことでしょう? わたくしは子どもなので、何を仰っているのかわかりかねます」
「怒っているじゃないですか」
「ふんだ! パパ、こんなの放っといて早く行こう! その方が、たくさん訓練出来るしね!」
「わかったから、腕を引っ張らないでくれ。 ではリーナさん、失礼します」
ルビーに請われたライムはリーナに挨拶し、出口に足を向けた。
その両隣に並んだ娘たちは、肩越しにリーナを見やって、どこか勝ち誇った笑みを浮かべている。
流石のリーナも僅かに憮然とした顔付きになっていたが、文句を口にすることはない。
そうして魔塔管理局を出た彼らは、真っ直ぐに自宅へと帰った。
急いで荷物の整理などを終わらせ、ルビーとマリンは庭で魔塔武装を構える。
闘志が溢れているように見えたライムは苦笑を禁じ得ず、2人から少し離れた場所に、自然体で立って告げた。
「いつでも良いぞ」
言い終わるかどうかと言うタイミングで、双子が全速力で駆け出す。
その顔には極めて真剣な表情が浮かんでおり、一片の手加減も考えていない。
正面から突っ込んだルビーが、右の剣を振り下ろす――直前、右にサイドステップした。
その背後から飛来した、マリンの長槍。
言葉にせずとも連携を取った両者だが、ライムはあっさりと回避。
だが、それを見越していたルビーは、サイドステップから前に踏み込み、左の剣を水平に振るった。
精確にライムの胴を狙っており、このままでは良くて大怪我。
そもそも、コロシアムならともかく、外でここまでの真剣勝負をすることは通常ない。
愛する父親を、その手に掛けようとしているようなものだが、ルビーからすればこの程度は挨拶。
「悪くない」
完璧に思えたルビーの斬撃を、ライムはバックステップでやり過ごした。
あまりにも素早く、無駄のない動き。
並の相手なら今の攻防で終わっていたが、そうならないと確信していたマリンは、既に行動を起こしている。
ライムの背後を取った彼女が、左手を前に突き出して【スプラッシュ・カノン】を放った。
しかし、それを察知していたライムは、射線上から逃れるべく左に転身し――
「はぁッ!」
長槍を握り直していたマリンが、ライムの退避先に投擲する。
彼女は【スプラッシュ・カノン】を僅かに右側に撃つことで、ライムを左に動かす罠を仕掛けたのだ。
見事な策だと言えるが、その程度では彼に届かない。
「少し露骨過ぎたな」
マリンの狙いを看破していたライムは、その場にしゃがみ込む。
頭上を長槍が通過し、マリンは悔しそうに歯噛みした。
とは言え、彼女の奮闘は決して無駄ではない。
「やぁッ!」
しゃがんだことで、僅かに動きを止めたライム。
微かな隙を見逃さなかったルビーが、双剣をV字のように斬り下ろした。
それでも彼が問題にすることはなく、足元が罅割れるほどの力を込めて、横に跳ぶ。
またしても窮地を脱したライムだが、息つく暇もない。
「ふッ……!」
それまで遠距離戦が主体だったマリンが、一気呵成に前に出た。
冷ややかな眼差しで彼を見つめ、怒涛の勢いで乱れ突きを放つ。
頭、肩、腕、脚、胴体。
全てを満遍なく攻撃していたが、それだけではなかった。
精確過ぎると、却って避けられ易いと知っている彼女は、敢えてアバウトな攻撃も混ぜている。
適度に散らばった刺突の雨は、極めて躱すのが難しいが――
「……流石は、お父様です」
悔しさの中に尊敬の念が入った、マリンの呟き。
掠らせもしなかったライムは一瞬だけ微笑んだが、すぐに表情を引き締める。
「これならどう!?」
正面から双剣をブーメランのように投げ放つと同時に、背後から【ファイア・アロー】を繰り出すルビー。
これは意外と難しく、【ファイア・アロー】の発射場所を自在に出来るのは、彼女がこの魔法を使いこなせている証左だと言える。
前後から挟撃されたライムだが、慌てることはなかった。
「攻撃する前に相手に声を掛けるのは、良くないぞ」
「む~!」
華麗なステップで回避されたルビーは、涙目で頬を膨らませた。
マリンは口を固く引き結んで、体をプルプルさせている。
負けず嫌いな娘たちに内心で苦笑したライムは、静かに問い掛けた。
「どうした、もう終わりか?」
「まだまだッ!」
「ここからが勝負です」
「良いだろう。 好きなだけ相手をしてやる」
折れそうだった心を奮い立たせた双子が、再び父親に挑み始める。
彼女たちの心意気に応えるように、ライムも真剣に付き合っていた。
どれだけ力の差があろうと、ルビーたちが諦めることはなく、全力を出し続ける。
だが、いくら娘たちに甘い彼でも、訓練に関してはシビアで――
「ここまでだな」
平坦な声を発した。
視線の先では、ルビーとマリンが地面に突っ伏している。
精魂尽き果てた様子で、ピクリとも動かない。
結局2人は、最後までライムに触れることが出来なかった。
それも、一切の反撃をしないと言う条件下で。
付け加えるなら、弾いたり防いだりと言う行動すら取らせず、全弾回避。
下手をすれば自信喪失しかねないが、彼はそうならないと確信している。
ただし今回に関しては、少しばかり事情が違っていた。
「ぐす……パパのプレゼントがぁ……」
「うぅ……お父様に何かを買って頂ける、チャンスだったのに……」
倒れ込んだまま、無念そうな声を漏らす双子。
顔は見えないが、2人が涙を流していることを、ライムははっきりとわかっている。
そして、解決する手段も。
「触れなかったから何でもは駄目だが、頑張ったから何かは買ってやろう」
「え!? 良いの!?」
「お、お父様に買って頂けるなら、どのようなものでも宝物になります!」
ガバッと身を起こして、瞳を輝かせるルビーとマリン。
変わり身の早さにライムは苦笑したが、しゃがんで2人と視線を合わせ、頭を撫でながら言い聞かせた。
「その代わり、今日の反省はしっかりするように。 何故わたしに通用しなかったのか、どうすれば良かったのか、考えてみて欲しい」
「うん! 次こそ、パパに触っちゃうから!」
「わたくしも、必ずや糧にしてみせます」
「その意気だ。 さぁ、昼食にしよう。 2人も、お腹が減っただろう?」
「言われてみれば、そうですね……」
「お腹空いた~!」
「訓練に集中していたからな。 行こう」
腰を上げたライムは、娘たちの手を取って立ち上がらせ、並んで『月夜の歌声』に向かった。
食事中も双子は訓練を振り返り、真剣な面持ちで考え込んでいる。
2人の様子に、料理を運んでくれたパメラとライムは、苦笑を見せ合った。
そうして数日後、フェスティバルの日がやって来る。
ほとんどの人が寝静まった時間帯、シャルロットも自室のベッドで眠りに就いていた。
穏やかな寝息が聞こえ、年齢以上に幼く見える。
ところが――
「……なるほど」
唐突に目を開いて、ポツリと呟いた。
横になったまま寝返りを打って、【至神の書】に触れる。
前回はおぼろげな内容だったものの、今回は比較的はっきりと見えた。
出来れば事前に阻止したいが、予知夢の未来は絶対。
ならば、起こるのを前提で動くしかないだろう。
面倒に思いつつ、そう決めたシャルロットは、1人の少年を思い浮かべた。
「ライム……」
その声には、不安と期待が半々の感情が込められている。
ベッドを下りたシャルロットは窓から月を見上げ、そのときに備えるのだった。