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「…………大変失礼いたしました」
アトラは言いたいことを全部飲み込んだ。この人が王家の関係者でも、そうではなくても――十中八九、王家から遣わされた者だとは思うが――突っ込んでいいことなど何もない。王妃はアトラを可愛がってくれたが、存命の王室の者はそうではない。第一王子は分かりやすくアトラを疎んじているし、王も別段アトラの味方というわけではない。ウィリディスの王室入りを認めたのだから、まあ、そういうことなのだろうと思ってはいる。
仮に王室関係者でないなら――それこそ突っ込んでしまうと危ない。もはや魔獣とどちらが危ないか分からないくらいだ。
分かるのはただ一つ。
「…………魔獣は、こちらで引き取るしかなさそうですね…………」
状況はもう、後戻りできないということだけだ。
業者は少し申し訳なさそうに言った。
「連絡を事前に差し上げたはずですが、行き違ってしまったのでしょうか。受け入れのご用意は整っているものとばかり……」
「…………」
(……魔獣が今日届けられると知っていた人は誰も、受け入れの用意のことなど考えていなかったということでしょうね……)
父も、妹も、継母も。気が回らなかったのか、気を回さなかったのか、誰かがやると思っていたのか、用意の必要などないと思っていたのか。困ったらぜんぶ使用人やアトラに投げればいいと思っている節もある。
(いっそ、私も投げ出してやろうかしら……)
捨て鉢にそう考えてみるものの、使用人たちだけで何とかなる問題とも思えない。回り回ってアトラに皺寄せが来ることが容易に想像できたので、仕方なくアトラは話を進めることにした。
「……地下牢が飼育環境に不適なのは承知していますが、しばらくはここに魔獣を置くしかないと思います。自由に運動させる場所も用意できないので、都度どこかへ連れ出す形になると思いますが……」
できるのだろうか。いや無理だろうと思いながら聞くが、業者は頷いた。
「逃げ出す心配なら不要です。魔珠がありますから」
「その、魔珠というものはどのようなものなのでしょうか? 魔獣を従える珠で、調教師が持つものとしか知らないのですが……」
魔珠というものは聞いたことがある。しかし詳しくは知らない。魔獣を従えるものだというくらいだ。
業者は少し躊躇う様子を見せたものの、秘密というほどのことでもないし、と納得したような様子を見せて説明してくれた。
「魔珠とは、魔獣の血を水晶に垂らして溶かしたものです。普通の液体であれば水晶に付着しても滴り落ちるなり乾くなりするだけですが、魔獣の血は違います。水晶に馴染み、溶け込むのです。水晶の色も血の色に変わります」
「それは……不思議ですね」
魔獣の生態は謎だと言われているが、それでも魔獣に関わる者の間では知が共有され蓄積されてきているのだろう。アトラのように一般の人がそうした情報を得られることは少ないが。
「それを持っていれば魔獣を従えられる、ということですか?」
「いえ、少し違います。魔獣は魔珠を非常に大切にするので、捨てたり損なったりするようなことはしないのです。その習性を利用して、魔獣を従えるのに役立てている……といったところでございます」
「なるほど……」
アトラは考え、言葉に出した。
「たとえは悪いですが、人質のようなものでしょうか。魔獣は非常に身体能力が高く、知能も高く、その気になれば人間を出し抜いて逃げ出すこともできでるしょう。でも、それをしないのは魔珠のため。魔珠が伯爵邸に置かれていたらあまり伯爵邸を離れられないし、魔珠を握られていたら反逆もできない、ということですね」
「おおむね、その通りです」
「でも……」
アトラはちらりと魔獣を見た。頑丈な檻に入れられている獣と目が合う。
「それなら、こんな檻などなくても従わせられるのでは……?」
業者は首を横に振った。
「檻は逃がさないためではなく、人に危害を加えさせないためです。魔珠を持つ相手には従わざるを得なくても、そうでない相手に容赦する理由はありませんから」
(うわあ…………)
アトラは内心で呻いた。納得はできるのだが、何も安心材料にならない。アトラが魔珠を持たせてもらえることなどないだろう。身の安全を確保するものを一つも持たずに、身一つでなんとかしなければならないのか。
(ううん、まだ分からない。三人とも魔獣を気に入ったようだし、庭の一部をつぶしたり森を拓いたりして運動場を用意してくれるかも知れないわ。魔獣を眺めるために地下でない場所に魔獣の生活場所を用意したり、ちゃんと専門の調教師を雇ってくれたりするかも知れない。そうなるかもしれないもの……)
予想というより願望だが、そのように考えて現実逃避をしてしまいたくなる。あの三人が、魔獣が来る日付を知らされていても何も用意せず、さっそくアトラに面倒事を投げてきたのに……ここから考えを改めるとも思えない。
「ぐおおおお!」
陰気な地下牢に押し込められることを悟った魔獣が吠え声を上げる。こもった地下の空間に魔獣の吠え声が反響し、背筋が寒くなるような怒気が辺りに満ちた。アトラだけでなく業者も身を固くしている。
「この魔獣の魔珠、どこにあるのですか!? 私に預けていただくわけにはいきませんか!?」
思わずそんな風に口走ってしまう。恐怖から逃れるために頭と口を使いたくなってしまう。
だがもちろん、業者の答えは否だった。
「魔獣が言葉を解するかもしれないので、具体的な場所はこの場で挙げられません。どなたが魔珠をお持ちなのかも申し上げられません」
「それは……そうですよね……」
牢屋の格子の出入り口部分を開き、檻と接続させながら業者は魔獣を奥へ牢へと追い立てている。狭い檻よりはまだましと判断したらしく、魔獣はしぶしぶと移動しながらこちらに敵意の籠った眼差しを向けた。
(誰か知らないけれど……魔珠を持った人は安全な場所にいて、私はこうやって損な役回りをさせられて……今ここで何か事故があって私が魔獣に殺されても……いいと思われているのだろうな……)
もはや諦めの境地で、家族に家族らしいことを期待したりはしないが……自分の命は自分で惜しまなければならない。魔獣に奪わせてたまるものか。
そう思ってはみるものの、魔獣の黄金の瞳に射すくめられると一気に自信がなくなっていくのだった。